これと同一設定


最初は妹のようにしか思っていなかった。
小さくて純粋で、何時も後ろをひょこひょこ付いて来て。たまに振り返って手を繋いでやると嬉しそうに笑って。可愛いなあと本当に妹のようでただ守ってやらなければと強い使命感を覚えていた。
俺はあの頃幸せだったんだ。

でも幸せは長くは続かないもので、俺が大学を出た頃両親が亡くなった。病弱だった父がまず亡くなり、後を追うように母も亡くなった。その瞬間から俺はまだ小さな弟や妹を一人で育てなくてはならなくなった。
思い返せば俺は必死だった。二人に寂しい思いをさせたと言う自覚はある。それでも何かに突き動かされるように柄にもなく、ただ必死だった。寄りかかる人間も作らず、仕事に没頭して…そして、気がつくとあいつが目の前に立っていた。


“馬鹿じゃないの”


たった一言。
冷たい言葉だった。
それでも怒る気になれなかったのはあいつの指に沢山巻かれた絆創膏や、暖かな湯気を立てる食事、何より真っ赤に腫れ上がったあいつの双眼のせいで。

多分その時なのだと思う。
十も年の離れた妹を一人の女として想い始めたのは。




「まさか突然泊まりに来るなんて…」

「朝一で取引先へ行かなければならなくてな。ここからの方が近い」

「…まあ、いいけど」


少しばかり不服な表情をしてお茶を煎れるナマエは普段見慣れぬ格好をしていた。所謂部屋着と言う奴だろうか。風呂上がり故か結い上げた髪から覗く白い項と、体のラインの分かる寝間着が妙な色気を醸し出し、別にそんな気はないと言うのに何故かいたたまれなくなる。


「大人になったな…」

「そりゃ、もう十年以上経つもの」

「…そうだな」


カタンと音を立て置かれたのはホットココアだ。甘いのはあまり好きではないが、就寝前にコーヒーは飲めない。あえて口につけず談笑していれば、ナマエの手首に見慣れぬ物が見えた。ブレスレットだ。細い手首を囲うように蛍光ピンクのブレスレットがつけられている。俺があまりにも見つめたせいか、ナマエは苦笑しながら腕を上げた。


「友達がくれたの」

「ほう…」


友達とは、男だろうか。
もしそうなら今すぐ取って引きちぎってしまいたい。
沸々とわき上がる真っ黒な感情とは裏腹にナマエは笑顔で会話を続けた。この前の試験が思ったより上手く解けただとか、大学の教授が変人だとか。楽しそうに俺の知らないナマエを話す。正直、結構限界だった。


「ナマエ、そろそろ寝なくては明日辛いのではないか?」

「大丈夫、明日午前は暇だから。それでさっきの続きなんだけど…」


ペラペラと言葉を紡ぐナマエの口は止まらない。真っ黒な感情は次第に真っ黒な塊へと変化し、俺の胸を重くして行った。限界は当の昔に越え、今やナマエの話も時々相槌を打ちながら聞き流す程度となった。
そうしてようやく俺の変化に気づいたのか、ナマエは気遣わし気な表情になりおずおずと顔を覗き込んで来る。


「ごめん、私はよくてもアーストは明日早いものね。そろそろ寝ようか」

「………」

「……怒ってる?」


何も言わない俺を怒っていると勘違いしたらしい。だが俺が歪んでいるからなのか慌てる姿も愛しく想える。
衝動的に手を伸ばし、ブレスレットのついた手首を掴み上げると双眼がこぼれんばかりに見開かれた。


「似合わんな」


蛍光ピンクのブレスレットはナマエの優しい気質に合っていない。唖然とするナマエを良いことに取り外し床に投げる。あっと声を上げ拾おうとするナマエだったが残念ながら俺が手首を掴んでいるため叶わない。


「アースト!」

「お前はあんなキツい色より優しい色の方が似合うだろう」


そうだ。
あんな色より、優しい桜のような薄い色の方がナマエには似合う。


「今度俺が似合う物を買ってやる」

「はあ?」

「だからあれはもう着けるな。いいな?」


念を押し、解放してやれば弾かれたようにナマエはブレスレットを拾い上げた。
そして俺を睨みつけると急いで寝室へ駆け込んでしまう。
どうやら怒らせてしまったようだ。


「案外子供のままだな…俺は…」


ガイアスに指摘されるだけはある。俺は違う人間にナマエに関する全ての事を渡したくないのだ。些細な送り迎えだってその内の一つだ。
だからこそ考えてしまう。もしナマエに恋人が出来たら俺は、俺達はどうなってしまうのだろうかと。出来ればそんな日は来ないで欲しい。もし仮に来るとしたらその時は俺が隣に立ててればいい。勝手すぎると怒られそうな欲望を黒い塊へと変え、俺は冷めたココアを流し込んだ。
この甘ったるい味が塊を溶かしてくれる事を願って。


「ん?」


その時、小さくガチャリと聞こえた。
ちらりと視線を向ければそこには床に座り込みこちらを盗み見るナマエの姿があって思わず吹き出してしまう。


「どうした、眠れないのか?」


そう優しく問いかけながら俺は重たい腰を上げた。
俺を見上げる笑顔は相変わらず純粋なままで、とてつもなく自分が愚かに感じられた。


全て俺であればいい/120222