入ってすぐ、あった光景に私の思考が一時停止した。 ちょっとちょっと、これは一体どういう事だ。 「なんで王が酔いつぶれてるのよ…」 仰向けに寝転がる王の頬は少し赤く、近づけば微かに酒の匂いが漂ってくる。 助けを求めて一人酒を煽る黒装束の男へ視線を投げれば、横目で一瞥される。 「陛下は見た目より強くありませんので」 「意外だわ…」 見た目が見た目な分、酒にも強いだろうと勝手な予想を立てていたが違うらしい。 驚きながらも、風邪をひかせるわけにはいかないと、寝台から毛布を取ってくる。 小さく身を捩る姿は普段からは考えられないものだった。 「あら、戻るの?」 「…陛下がつぶれた以上ここにいる意味もありますまい」 とってつけたような敬語に肩をすくめる。 初めて会った時から分かっていた事だが、この男は私を王の妃(仮)と認めていない。 なるべく接点を持たないようにして生活して来たが、まあいい機会だ。 酒だってまだまだある。 悪いけど部屋かりるわよ王。 「今日は無礼講って事で、腹割って話しましょうウィンガルさん」 ウィンガルは表情に明らかな嫌悪を浮かべ酒の入った器を煽った。 正直に言って確かに自分はこの女を好きではなかった。自身の立場をわきまえず、のうのうと生活するこの女が。 現にレイチェルは、今も王の隣を陣取って酒を飲み続けている。 もう一杯、そう呟き瓶を手に取るとレイチェルは、また一気に酒を飲み干した。 男よりも男らしい飲みっぷりは気持ちの良いものであったが、ウィンガルからすればそれすら気に障る。 けれどそれを表面に出すほど愚かではなかった。酒を口に含み喉を潤す。酒が良い精神安定剤となっていた。 「…さて、そろそろ気分もよくなって来たし聞こうかな」 程なくして瓶が空になる。 レイチェルは器を机におき、柔らかく微笑んで見せた。 「あなたが私を嫌っている理由って、やっぱり父の事?」 心臓が一度跳ねた。 苦い表情を浮かべウィンガルも器を置き、口を開く。 「レイチェルさ…」 「今夜は無礼講って言ったでしょう。敬語、やめて」 「………」 勘に触るが、相手がその気ならばそれに従おう。 一瞬で頭の中を整理し、ウィンガルは冷たくレイチェルを見据えた。金色の瞳には嫌悪が見られる。 「貴方の父親はかの指揮者よりもタチが悪い」 つい最近の事だ。 指揮者がラ・シュガル現王、ナハティガルの元から去ったと言う知らせは敵国ア・ジュールにも届いた。 同時に、ラ・シュガル名家であるクレストア家当主も現王を裏切ったと言う知らせもこちらの耳に届いていた。 さらにクレストア家当主はナハティガルの復讐を恐れ、 「ア・ジュールに逃亡。こちらでの地位を確固なものとするために翁と通じて貴方を陛下にあてがった…違うか?」 ウィンガルは四象刃の一員だ。王に、ガイアスに仇なすものを排除する事も役目の一つなのである。 クレストアを警戒するのは当たり前の事だった。 「間違ってないわ」 そして警戒は明らかな敵意へと変わる。 一瞬の出来事だった。ウィンガルは鞘から刀を抜き、レイチェルの首筋へあてがった。一ミリでもずらせばこの首から真っ赤な血が溢れ出すだろう。 想像してウィンガルは唇を持ち上げた。 しかしその笑みも瞬時の内に消え去ってしまう。 怯え、泣き出すだろうと予想していたレイチェルが微かな怯えも見せず自分を睨みつけていたのだ。 「……確かに父は裏切り者よ、しかも国外逃亡までするほどの最低な人」 「はっ…分かっているじゃないか」 「これに関しては言い訳も何もしない。でもね、父がそうだからって私もそうとは限らないでしょう」 もう我慢の限界だった。 ここがガイアスの私室だと言う事も忘れ、声を荒げる。 「綺麗事をほざくな!口では何とでも言える…!!もし仮に貴様が裏切らないとしても父親はどうだ!?あのような男、信用できるとでも思ったか!?」 ウィンガルは何も間違っていなかった。 それはレイチェルも認める。 そもそも前科のある相手を信じるほうが無理なのだ。 レイチェルはグッと目を閉じ、大きく息を吸い込んだ。 「私は紛れもなく父の子供だからクレストアの名は一生捨てられない。だからウィンガルさん、どうしても私が信用ならないなら貴方は私を監視すればいい」 「監視だと…?」 「私はガイアス王が道を違えでもしない限り絶対に裏切らない。もし裏切ったその時は…」 言おうとしている事はすぐに予想がついた。 ウィンガルは一字一句逃さぬよう耳を澄ませる。 「この刀で私を殺してくれてもいいから」 予想通りの言葉にウィンガルは刀を引いた。 納得はしていない。 だが今ここで刀を振り上げる気にはならなかった。 「殺して、とはな。一体何が貴様のような女にその言葉を言わせたのか…」 「…そうね…」 レイチェルは冷え切った首筋に手を押し当て目を細める。 「約束、まではいかないけど…この人と同じものを背負ってみようと思えたから…」 途中で放り出す気にはなれなかったの。 レイチェルの視線の先には眠り続けるガイアスの姿がある。迷ったが、その視線の中に恋慕の情は見当たらない。憧れ、と呼ばれるものが少々ある程度だ。 ウィンガルは腕を組み舌打ちをする。レイチェルに対してではない。 まったく忌々しい女を連れてきてくれたものだと、翁を恨んでの行動だった。 110930 |