大きな何かが倒れこむ音と共に、野太い悲鳴が響く。それが自身の父親の声だと気付いた時にはすでにガイアスはそこに立っていた。 表情は硬い。怯え、腰を抜かす父と対照的なその表情がまるで他人事のように感じられていた。多分、このままガイアスは長刀を振るうのだろう。止めなくては、と頭で自分が訴えていたがうまく身体は動かない。 「レイチェル」 ガイアスの真紅の瞳が射抜くようにこちらへ向けられる。思わず肩を跳ねらせ、レイチェルは棍をもつ手に力を込めた。するとガイアスの瞳が細められる。冷たさを消した庇護するかのような優しい色だ。 「目を、閉じていろ」 言葉すらも優しい。けれど、レイチェルは素直に目を閉じる事を良しとしなかった。ふらつき、上手く動かない身体を無理やり動かしてガイアスの横に並び、その腕に手を添える。そのまま視線を父へ向ければ、何たる事か。レイチェルの父は、先ほどの威勢の良さからは考えられないほど動揺し、今にも白目を剥いて倒れそうなほど怯えきっていた。 なんて弱い男なのだろう。 レイチェルは眉を顰め、唇を噛んだ。これが自分の父。この程度の覚悟もなく、国を取ろうなどと考えていた愚かな男は紛れもなく自分の父親だ。 真紅の瞳が「目を閉じろ」と暗に伝えてくる。レイチェルは首を振った。 「いえ、見ているわ」 そして静かに告げる。 「これは私の問題でもあるのだもの」 振り上げられた長刀が反逆者へ吸い込まれ、また大きな音が響く。飛び散った血がレイチェルの服を赤く染めた。 つい、と視線を上げた先に長刀が西日で赤く染まるのが見える。嗚呼、もう夕方なのか、ぼうとした頭でそう思ったと同時、レイチェルの意識は暗転した。 倒れ込んだレイチェルの身体を受けとめたのはウィンガルだ。ガイアスは長刀を鞘へ収めると、近くに佇む兵へ今の状況について問いかけた。 どうやら粗方の敵対勢力は排除でき、捕われていた者達も解放されたらしい。 「甘いな、留めは刺さんのか」 「殺す意味もあるまい」 「意味ならばあるだろう。対抗部族への見せしめになる」 ガイアスの赤の瞳が冷たく細められた。 暗にこれ以上口を出すなと言われているのだ。ウィンガルは表情を歪め、支えるレイチェルの顔を見下ろす。 熱がぶり返したようだ。顔色は白く、息も荒い。 早く暖かな部屋で休ませるべきだろう。 痛みに息を荒くさせた反逆者二名が牢へ連れて行かれたのを見送り、ウィンガルは体を抱え上げる。しかしそれを遮る腕があった。 「俺が連れて行く」 「この女は反逆者の娘だ。王自ら触れるべきではない」 「だが王妃でもある。俺はこれしきのことで離縁するつもりはない」 「ガイアス!」 自然な動作でレイチェルを抱き上げたガイアスはウィンガルの諫める声を無視して謁見の間を後にした。赤い背中が見えなくなるとウィンガルは額を押さえ苛立たしげに舌打ちをする。 「やはり入れ込んでいるではないか」 未だ落ち着きを取り戻せずにいる城内で、闊歩するガイアスの姿は嫌なほどに目立った。それもそのはず。なにせ王の腕には反逆者の娘が抱かれているのだ。皆、複雑な思いで道を譲る。 王妃も可哀相に なぜ陛下はあんな女を 様々な感情が身を刺すようだ。 ようやくたどり着いた自室の寝台に寝かせたレイチェルの寝顔はやはり安らかとは言えない。昼間自分を送り出した時の笑みを思いだし、その変わりようにガイアスは目を細めた。 「陛下…」 その時だ。寒気が部屋へ流れ込み、窓辺に置かれたままだったレイチェルの読みかけの本がパラパラとめくれる。 小さく震えた声にガイアスは冷たく一瞥を返す。そしてレイチェルを外界から隔離するように天幕を下ろすと、その声の主に向き合った。 140207 |