時刻は真夜中、外は暗く明かりは小さく灯る蝋燭と窓から差し込む雪明かりしかない。そんな暗闇の中金と赤の四つの瞳が不気味に浮かび上がっていた。金の瞳を持つウィンガルはそっと目を伏せて懐から一枚の書状を取り出しガイアスへ手渡す。無言でそれを受け取り、目を通すとガイアスもまた赤の瞳を伏せた。


「いつだ?」

「明日が宜しいかと」

「ふ…随分と急ぐな」

「事は急を要しますゆえ」


端的に答えるウィンガルの声色からは焦りなどは伝わって来ず、現実味のない話だとガイアスは小さく笑った。しかしそれも一瞬の事で、次の瞬間には冷たい王の表情へと戻り蝋燭へ書状をくべる。炎に包まれ燃え、灰となった書状だった物に目もくれずガイアスは部屋を後にした。





「まさか風邪をひくとはな」


呆れ混じりに呟くガイアスの視線は寝台で伏すレイチェルへ向けられている。時刻は八の鐘が過ぎた頃、城内の者達はみな慌ただしく動き回っている時間だ。枕に顔を埋めレイチェルは罰が悪そうに鼻を啜った。狩りに出たあの日、魔物の水飲み場に落ちたレイチェルは案の定風邪をひいた。しかも中々治らず、ここ数日はずっと寝台に潜っている。ガイアスが呆れるのも無理はなかった。


「ごめんなさい…」

「良い。話すのもつらいのだろう、喋るな」


首を振りガイアスが制止したと同時、数度扉を叩きウィンガルが部屋へ入って来た。何時もの無表情で形だけ頭を下げウィンガルはガイアスへ呼びかける。


「陛下お時間です」

「うむ」

「なに?出かけるの?」


そのような事昨日は話していなかったはずだが。不思議そうに見上げるレイチェルにガイアスは事も無げに答える。現在ジャオとプレザは国境の調査に出ておりアグリアもつい先日任務により城を出て行ったため、城に残っている四象刃はウィンガルだけだ。そのウィンガルが時間だと呼びに来るという事は二人揃って城を開けるという事だ。そんな大事な事を今まで何故聞かされなかったのか。レイチェルが不思議に思うのも無理はなかった。


「心配するな、日暮れ前には戻る」

「ええ…」


何処へ行くの、聞くのは簡単だがガイアスの口振りからしてあまり話したくはない場所らしい。頷きを返しレイチェルは力なく片手を持ち上げた。


「いってらっしゃい」


今日は見送りにいけないからせめてもの微笑んで手を振る。しかしガイアスはそれに応えようとしない。今度こそ不思議に思い、首を傾げてみればどうした事かガイアスは長刀を床に置き、汗で張り付いた髪をさらりとなで上げた。ため息をつきたくなるほど優しい手つきに何故か胸が苦しくなる。


「行ってくる」


どこか名残惜しそうに指が離れ、長刀を取りガイアスが部屋を出る。こちらへ一瞥を向け、ウィンガルもまた部屋を後にすると室内は一気に静まり返った。薬を飲んだためかまぶたが重い。窓の外の雪景色へもう一度いってらっしゃいと呟きレイチェルはまぶたを閉じた。





それからしばらくが経ち、鐘の音でレイチェルは目を覚ました。さっきの音からして三の鐘…まだ日暮れには遠い。もう一眠りしようかとも思ったが睡魔は去っていた。それに体も幾分か楽になっている。回復は近いようだ。


「ん…?」


しかしふと、違和感を感じレイチェルは首を傾げた。何時もあるはずの存在がいない。


「リジュ?」


自分つきのメイドであるリジュは目が覚めるとすぐに水を用意してくれていた。けれど今はその姿もなければ水だって用意されていない。レイチェルは辺りを見渡し、また違和感を覚えた。人の気配がない、異様なほどに城内が静かだ。眉を顰め、レイチェルは上掛けをとり、護身用に棍を持ち部屋を後にした。

廊下に出てもやはり人は見当たらない。いよいよ不安が現実性をおび、レイチェルは早足に階段を駆け下りた。窓の外には城下が見える。しかしそこに人通りはない。外で元気に遊びまわるあの子供たちでさえいなかった。

レイチェルが向かったのは謁見の間であった。当然の如く見張りの兵士達の姿はない。普段自分で開ける事などない扉をゆっくりと開きレイチェルは顔を覗かせた。そして室内で見た光景に目を見開く。絶対に他の者が立つ事のない玉座の前で、老人と会話する初老の男性、あれは…


「お父様!?」


レイチェルの悲鳴にも似た叫び声に二人が一斉に振り返った。それは見紛うはずのない実の父と、この国の権力者、翁ことコロウである。後ろで扉が閉まり、レイチェルは驚きと怒りのままに父に詰め寄った。しかし父へと登城の理由を問いただす前に翁が動いた。翁が片手を上げたと同時背後から腕を押さえられレイチェルは膝をつく。迂闊だったと歯噛みしつつ自分を捉えた者を確認するため後ろを振り返り、レイチェルは目を見張る。


「リジュ…?」


震える声でその名を呼べば、リジュは無言で腕の拘束に力を込めた。本当にリジュなのか、レイチェルが凝視しようとリジュの表情に揺らぎはない。普段の様子など感じさせないしっかりとした面もちでそこに立っている。


「レイチェル」

「お父様…」

「登城の理由をしりたいか」


久しぶりに間近で見た父の顔は多少痩せたようだった。冷たい声色に気分では臆しながらも気丈に頷きを返す。すると父、クレストア家当主は首を振り、レイチェルの前に膝をついた。そしてまるで子供を叱りつけるように囁き出す。


「レイチェル、お前は馬鹿ではないだろう?」

「…………」

「まだ分からぬと言うか。ならば教えよう」


ニタリと父の顔が歪む。ぞっと背筋が粟立ちレイチェルは浅く息を吐き出した。馬鹿ではない、その通りだ。今まで数え切れぬほど膨大な量の書物を読み漁って来たレイチェルの脳はすでに一つの言葉を叩き出している。けれどそれを受け入れたくはないと心が叫ぶ。だが父は無情にもその事実を言い放つ。


「裏切りだ」


120325