頬は真っ赤で、呼吸も荒く、魘されているエリーゼを見下ろし大きなため息をつく。
処方された薬を飲ませ、何とか寝かせはしたが何故自分がこんな事をしなければならないのだろう。

ハ・ミル村の村長である老婆はそわそわと扉とエリーゼを見比べた。早くそのレイチェルとやらは来ないものか。
レイチェルと言う名から女性だとは分かるが、顔もエリーゼやジャオとどのような関わりがあるかさえ分からない人間を待ち望むと言うのは中々変な気分である。だが魘されるエリーゼが恋しがり譫言のように呼び続けるのだから仕方ない。


「(これだからよそ者は嫌いじゃ)」


よそ者は何時も厄介事を持って来る。
再度大きなため息をつくと、それをかき消すようにバタンと扉が開かれた。椅子から立ち上がり、そちらを見ればジャオと、その隣に見知らぬ女が立っている。十中八九エリーゼの待ち焦がれたレイチェルだろう。
疲労を露わにし、村長は二人へ近づいた。が、その横を黒い何かが通り過ぎる。はっとして振り返れば寝台前で膝をつき必死にエリーゼへ呼びかけるレイチェルの後ろ姿が目に入った。


「ジャオ殿、あの女性は一体…」

「あまり詳しくは聞かんでくれ。レイチェルはただワシの変わりにエリーゼの面倒を見てくれているだけなんじゃ」


ジャオの言い方からしてあまり触れて欲しくない話題らしい。村長は返事を返す事なく外へ出た。夕日の赤が眩しい。




薬は飲んだと言うが効いていないのではないか。
ティポもエリーゼも苦しそうに荒く息を吐き、額には大粒の汗が滲んでいた。


「レイチェル、椅子に座ったらどうじゃ?ずっと床に座ってると身体が冷えるぞ」

「そうね…」


言われた通り寝台傍の椅子に腰掛けレイチェルはエリーゼの額にくっついた前髪を払ってやる。
その際触れた額は熱く、レイチェルの中の不安をますます大きくさせた。

それからどれほどの時が経っただろう。
長いような短いような感覚では捉えきれないが、時が流れたのは確かだ。
ジャオは報告のためと一旦カン・バルクへ戻り、レイチェルは依然としてエリーゼの様子を見守り続けていた。


「……レイチェル、なんですか…?」


その時だ。良く耳を澄ませていなければ届かないような、か細い声がレイチェルの耳に届いた。


「エリーゼ…!」


椅子から転がり落ちるように膝をつきエリーゼの顔を覗き込む。とろんとした虚ろな瞳に自分の顔が映り、安心感を覚えた。


「喉は渇いてない?」

「大丈夫、です」

「なら服着替えましょうか。汗かいて気持ち悪いでしょう」

「大丈夫です…それよりもレイチェル、」


キュッと小さな手がレイチェルの手を掴む。エリーゼの隣で眠っていたティポも身を乗り出してこちらを見つめていた。


「今日は、いなくならない…ですか?」

「今日は一人で寝るのヤダよー」


二人の目は必死だ。
帰らないで、傍にいて。
子供らしい我が儘を言うエリーゼをレイチェルは初めて見た。少し悩む素振りを見せ、レイチェルは苦笑する。


「そうね…病気のエリーゼを置いてはいけないものね」


これはエリーゼが勇気を振り絞ったたった一つの我が儘かもしれない。拒否など出来るはずがなかった。
しかし城で待つ夫には何と伝えようか。怒るだろうか、心配してくれるだろうか。今度こそぐるぐると頭を悩ませているとズシッと大きな音を立て、ジャオが小屋に入って来た。どうやら報告を済ませ、急いで帰って来たらしい。


「ぬ、娘っ子の目が覚めたのか!」

「ついさっきね。それより報告って、」

「ああ…このまま数時間経っても娘っ子が目を覚まさなかった場合、レイチェルを連れ帰るべきかと思ってのう…じゃが、」


そこで言葉を止め、ジャオは困り顔をした。


「これでは連れて帰りようがないのう」


離れていても分かるほど強く、エリーゼはレイチェルの手を握りしめているし、ティポに至ってはジャオを睨みつけている。
連れて帰るなバホーと言う声が聞こえて来そうだ。
レイチェルは眉を下げ、苦笑するばかりで何も言わない。


「仕方がないのう」


そう言い残し、結局ジャオはそのまま一人、カン・バルクへ戻って行った。
文句や苦言の一つも残さないのがジャオらしく、城で必死に説明するだろう姿を思い浮かべレイチェルは悪い事をしたなあ、と内心ジャオに謝罪した。


「レイチェル、移らないですか?」

「大丈夫、大丈夫。大人はそう簡単に移らないわ」


現在レイチェルはエリーゼと一緒の寝台に入っている。
先ほどの我が儘から一転、レイチェルの身を気遣うエリーゼは年不相応だ。


「病気の時は目一杯我が儘言って周りを困らせた方が特よ?」

「え?」

「私は良く周りを困らせてたから」


誰しも幼い頃病気になると、何が食べたい、誰に会いたいと色んな事を要求した物だ。レイチェルも例外ではなく自分の体験談を織り交ぜながら面白おかしく話を聞かせる。その度、エリーゼは弱々しいながらも可愛らしい笑みを浮かべ、続きをせかした。


「……エリーゼ、病気が治ったらジャオにお願いしてどこか出かけようか」

「お出かけ?村から、出られるんですか…?」

「うん、どこ行きたい?」

「何処でもいいです…外を見てみたい、です」

「なら…海に行こうか」


つい先日、リジュとの会話を思い出す。
海に連れて行ってもらうと喜んでいた自分の幼少期に果たしてエリーゼが当てはまるかは分からない。だがそれは杞憂であった。エリーゼはキラキラと目を輝かせ海、と復唱する。


「海、見たいです」

「良かった…ならまずは海に行きましょう。次はどこに行く?」

「なら、大きな街に行ってみたい」

「そうね。お洒落な洋服やアクセサリー買いたいね」

「は、はい」


恥ずかしがりエリーゼは布団に顔を埋めた。
それに笑い声をこぼし、レイチェルは些か強い口調でエリーゼを呼ぶ。


「色んな所に行った後、エリーゼにお願いがあるの」

「お願い…?」

「自分で友達を作って、私に会わせてくれないかな?」

「私が作るんですか?」

「ええ。男の子でも女の子でも誰でもいいの。エリーゼが自分で友達を作った所を私が見たいの」


一瞬、ポカンと口を半開きにさせエリーゼは今日一番の力強い笑みを浮かべた。


「分かりました。ティポと一緒に友達、作ります」

「うん、ボク達頑張る」


レイチェルの我が儘ですね。

付け加えられた一言はまさに的を射ていた。
何の反論も返せぬまま、今度はレイチェルが顔を赤くして布団に顔を埋める番であった。


120213