王都カン・バルクで日が暮れる頃、城を飛び出したレイチェルを迎えに行くため、ハ・ミルを訪れたジャオは物見小屋に入った途端何時も細められている目を見開いた。
夕日の差し込む室内の片隅に置かれた寝台の上には、レイチェルに抱きついて眠るエリーゼとティポ。そしてそんな二人を抱きしめて、こちらに人差し指を立てるレイチェルがいる。その様子にジャオは全てを悟った。ゆっくりと寝台に近づけば気配を感じとったエリーゼが身動ぎをする。その姿は赤子のようで、遠き日の暖かな思い出に重なる。
外で子供達の遊ぶ声を聞きながら、くしゃくしゃとジャオは目尻の皺を増やした。




まったく、これでは以前と変わらないではないか。

不機嫌な顔をしてのウィンガルの一言を思い出す。
真剣な表情で数冊の本を見比べるレイチェルはこちらを全く気にかけていない。
近づいてタイトルを見れば明らかに子供向きで、何の用途に使われるかは直ぐに分かった。しかし熱心なのは良いがそろそろ夜も遅い。自分はまだしもレイチェルは明日に響くだろう。


「そろそろ寝たらどうだ?」

「あと少し、」

「寝ろ」

「……強制?」

「そうだ」


このまま続ければ強制的に寝台へ連行されてしまう。
心残りはあるが仕方ない。
しおりを挟み、レイチェルは渋々と布団に潜った。


「…ねぇ」


しかし眠る気はないらしい。


「…なんだ?」

「幼い頃って何をしてもらうと嬉しかった?」

「幼い頃か…」


幼い頃、そう言われても大した思い出はない。
記憶に深く根付いているのは病弱な父に兵法や、時々ではあるが剣術を教わった事。そして妹であるカーラの世話をした事くらいだ。
とてもじゃないがレイチェルが求める幼い頃の話は出来そうにない。
枕に片頬を埋めて見つめてくるつりがちな目にガイアスは僅かに眉を下げる。


「俺はあまりそう言った本に触れた事もない」


触れたのは兵法、戦術、剣術、そう言った類の物だけだ。
遠い過去を思い出しながらガイアスは話を続ける。


「母はカーラを産んで早くに死に、父は病弱だった。だからそう言った親の暖かみと言う物は良く分からん」

「寂しくなかったの?」

「いや。父や周りから兵法や剣術を学ぶのは楽しかったし、カーラもいた。寂しいと感じる暇すらなかったな」


何でもないように話しているがガイアスは気づいているのだろうか。裏を返せばそれは寂しいと感じる心を封じて来たと言う事だ。
それから二十年以上が立ち、今ガイアスは賢王としてア・ジュールを治めている。きっと本心から寂しさなど感じてはいないだろう。だが過去生きていたアーストと言う幼子はどうだ。寂しくないと言い切れるのか。様々な憶測が脳内を飛び交い、少し息苦しさを感じた頃。


「暗い顔をするな」

「あ、」

「そろそろ消すぞ」


大きな手が髪をかき乱し、枕元の灯りへ伸びる。
ふっと光の消えた室内に布ずれの音だけが響き、やがて消える。段々と夜目が利いて来て、見えた大きな背中にかかった黒髪を払ってやる。そしてレイチェルは声をかけた。


「今度良かったら読み聞かせの練習に付き合ってくれない?アグリアに頼んだら嫌がられたの」

「…寝ろ」

「ええ、おやすみなさい」


声色に拒否はなかった。
はっきりとした了承は得られなかったけれどきっと付き合ってくれるだろう。確信を持ちレイチェルは布団に顔を埋める。
早く寝よう。
明日も早いのだから。


110104