最近ジャオとウィンガルは何時も以上に多忙な様で、城を空ける事が多くなっていた。
元々外の仕事の多かったジャオは分かるとして、ガイアスの補佐を担当しているウィンガルが城を開けるのはとても珍しい。そう首を傾げたのはつい数日前だ。

そして今現在、ウィンガルと共に帰還したジャオはレイチェルの前で困り顔を浮かべ、巨体を縮ませている。


「レイチェル、お主に折り入って頼みがあるのじゃが…黙ってワシに付いて来てはくれんか」


そうして準備も早々に連れて来られたのは、夕日の眩しいハ・ミル村であった。




甘い果実の香りが鼻腔を擽り、レイチェルは頭からすっぽり被ったショールの下で、小さくくしゃみを上げる。

初のワイバーン体験は思ったより怖くはなく、ジャオが急いでいたおかげか大した負担を感じる間もなく終わった。
ワイバーンを林に繋ぎジャオはこっちじゃ、と先導する。
しばらく林を歩くと村外れにポツンと小さな小屋が建っていた。


「ジャオ…ここは…」

「入れ。中で説明する」


寝台、暖炉、机、少ない家具達が狭い室内に無造作に置いてあるだけの殺風景な小屋だった。所謂物見小屋と言う奴で、ジャオの巨体が入ると、とても窮屈に感じられた。
ショールを取り、レイチェルはキョロキョロと辺りを見渡す。そしてある一点に目を止めた。


「階段?」

「うむ…話すより見る方が早いやもしれんな」


狭い階段を降りた先には、地下室だろうか…小さな扉があった。脇から顔を覗かせるレイチェルにジャオは苦い表情で取っ手に手をかける。


「開けるなバホー!!」


しかし甲高い声がそれを制した。


「(え?なに…?)」


声は地下室からした。
声から察するに、どうやら中には子供がいるようだ。しかし何故こんな所に子供が…内心驚いていると、ジャオがガチャガチャと取っ手をひねる。


「ほれ娘っこ!今日こそは開けてもらうぞ!」

「キャー!おっきいおじさんがぼく達を苛めるよー!!」


甲高いのをそのままに、子供の声が泣き声に変わる。このままではいけない。慌ててレイチェルはジャオを止めた。


「それじゃあ逆効果よ」

「ぬぅ…しかし、」

「いいから上で説明して」


少し怒った表情で説明を求めるレイチェルに拒否権はない事を悟ると、ジャオは扉を一瞥した後、落ち込んだ様子で地上へ上がる。そして椅子に腰掛け、重たい声で話し出した。


「あの扉の先には十一歳になる娘がおる」

「…なんであんな場所に」

「それは話せん。だがな、ここに来てから数日…娘っこはずっとあそこに塞ぎ込んで飯すら満足に食べん。何度かああして説得しておるのだが成果はなくてのう」


閉じられていた双眼がうっすらと開きレイチェルを映す。
懇願する瞳に、レイチェルはジャオの頼みを悟った。


「お主は子供の扱いに慣れていると聞く。どうにかして娘っこに扉を開けさせてくれ」

「うーん…」


はいならそうしましょう、と簡単に頷ける頼みではない。確かにレイチェルは子供の扱いは、ジャオよりは慣れている。だがそれは子供の方も好意的に接してくれたからこそ成り立った物であって、拒否する子供と言うのは初めてだ。もし上手く行かなかった場合その少女はますます塞ぎ込む可能性がある。責任は重大で、レイチェルは悩んだ。
しかしジャオの懇願する視線が突き刺さる。それに何もせぬまま無理だと言うのは気が引けた。

仕方がない、レイチェルは息を吐いた後両手を上げる。
それに了承の意を汲み取ったジャオは嬉しそうに膝を叩いた。




ジャオの熱い視線に見送られ、地下室へ戻って来たレイチェルは階段に座り込み恐る恐る扉に向かって声をかける。
怖がらせないようになるべく優しく心がけて。


「そこ、楽しい?」


返答は、ない。


「お腹空いてない?」

「お姉さんダレー?」


ようやく反応が返って来た。
甲高い声は明るく、とても塞ぎ込んでいる子供の物とは思えない。
このチャンスを逃してはならない。レイチェルも負けじと明るく話しかける。


「おっきいおじさんの友達よ」

「友達ー?」

「そう、友達」

「友達ってなあに?」

「そうね…友達は、一緒に遊んだり色々話したり、楽しい事を分け合う人よ」

「へぇー」


どうやら少女は友達に興味があるようだ。しきりに友達ってなに?楽しい事ってなに?どんな話をするの?など、様々な質問をぶつけて来る。それに一つ一つ丁寧に回答して行くレイチェル。しかし少女の放った一言がレイチェルの口を止めた。


「でもぼくには友達っていないなあー」


言葉が出なかった。
世間話をするように、何ともないように、発せられたそれはあまりにも大きな衝撃だった。友達がいない。そんな悲しい事を何とも思っていないように言える少女が、レイチェルには悲しくて、仕方がなかった。




さすがに夜まで城を空ける訳にはいかない。
少女に軽い別れを告げ、レイチェルはカン・バルクへ戻っていた。
食事湯浴みを終え、やっと一日の終わる就寝前。珍しく落ち込んだ様子のレイチェルにガイアスは書類整理もそこそこに、横に座り、レイチェルの黒髪を梳いていた。


「どうした?ハ・ミルで嫌な事でもあったか?」

「嫌な事はなかったわ。ただ、悲しかっただけよ」


寝台の上で膝を抱えレイチェルは目を細め、眉間にシワを寄せる。そこに悲しみと…強い何かを見いだしたガイアスは、レイチェルの言葉を待った。


「私、あの子に友達を作ってあげたい」


それは強い意志の現れで。
何処か独りよがりとも取れる、その固い意志にガイアスは微笑する。


「そうか。ならばお前の意志を俺は見届けよう」


見上げてきた瞳が嬉しそうに綻び、次いで照れて俯く。
原因は髪を梳き続けている自分の指にある事は明白だ。
しかし拒否はしないのだから、止めるつもりはない。
この髪の指通りをガイアスは思いの外、気に入っていた。


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