勢いよく踏み込んだ洞窟内は薄暗く視界はあまり利かなかった。それでもレイチェルは先ほどの悲鳴の主を探すため、奥へと足を踏み入れる。


「(一体どこへ…)」


ホーリーボトルの効果は後僅かだ。切れるまでに何とか探し出したい。魔物や対抗部族の脇をすり抜け、目を凝らし耳を澄ませる。すると、奥の方から微かな泣き声が聞こえた。


「(そっちか!)」


細い抜け穴をくぐり抜けると広い場所に出る。そしてその中心に鎮座するソレにレイチェルは思わず息を呑んだ。


「スノウドラゴン…」


図鑑で見たよりもソレの存在感は圧倒的だった。スノウドラゴンは大きな羽を広げ、口元から鋭く尖った牙を覗かせる。長く伸びた尻尾は歩く度揺れ動き、大きな音を立てて壁をえぐった。

思わず足が竦む。だが気弱になる心を奮い立たせ、レイチェルは一歩一歩慎重に辺りを探り始めた。そうして、ようやく見つけ出す。岩の間に隠れた小さな洞穴の奥に見える浅黄色の服の端を。
レイチェルは棍棒をその場に起き、穴へと入った。膝を擦りながら前進すると、目の前に膝を抱え必死に涙を我慢する少年が現れた。レイチェルは安堵の息をつき、怯える少年の肩を叩く。


「ひっ…!」

「もう、大丈夫よ」

「お、王妃様…?」


知っている顔を見たからだろうか、少年がくしゃくしゃと顔を歪め大粒の涙を零し始める。それを両手で抱きしめてやりながらレイチェルは優しく言葉をかけ続けた。
しかし何時までもここにいる訳にはいかない。身を纏う光はもう朧気だ。


「さ、早くこんな所抜けちゃいましょう」

「うん…」


レイチェルが先導し少年がその後を追う形で二人は洞穴から抜け出した。そばに置いてあった棍棒を取り、もう片手で少年の手を引く。急ぐ気持ちはあれど来た時同様、慎重に一歩一歩と抜け穴へ急いだ。だが、抜け穴まで数歩の所で…レイチェルの周りから光が消えた。


グルッ…!


気づいた時には既に遅し。
スノウドラゴンは地響きを伴い、こちらに向かって来る。
レイチェルも全速力で走った。この少年だけでもここから出してやらなければ…それだけの一心で。


「ひっ…」

「早く!穴をくぐって!」

「あ、足が動かない…」

「そんな…!」


少年の足はガタガタと震えていた。この寒さの中長時間もたった一人でいたのだから無理はなかった。だが今この場でそれは死に直面する。
レイチェルは少年を無理やり穴へ押し込んだ。少年は必死にレイチェルを呼び続ける。しかしそれに返事を返せる余裕はなかった。


「くっ…」


スノウドラゴンはもうすぐ目の前まで迫っていた。
鋭い爪がレイチェルを狙う。間一髪でそれを避けるが、休む間もなく次の一手が迫る。岩をも砕く尻尾がレイチェルの身体を地面に打ちつけた。

ヒュッと浅く息を吸い込み、襲いくる激痛に耐える。少年は変わらずレイチェルを呼び続け、スノウドラゴンの攻撃を避けながらレイチェルは力の限り叫んだ。


「早く行きなさいっ!!」


スノウドラゴンの爪が岩に深い斬り傷を残す。


「洞窟を抜けた先に人がいるから!!その人の所へ早く走りなさいっ!」


それから程なくして少年の声は聞こえなくなった。

レイチェルはふらふらと覚束ない足取りで辺りを逃げ回り、カーラの忠告を思い出す。
やっぱりカーラは間違ってはいなかったのだ。今頃火のついたように怒っているであろう義理の妹を思い浮かべ、ついでプレザやアグリア達四象刃を思い出す。


「(もっとちゃんと話しておけば良かった…)」


ウィンガルとももう一度くらい話しておけば良かった。
まるで走馬灯のようにこれまであった出来事が頭を過ぎる。
最後に浮かんだのは深紅の瞳を持った夫の姿だ。


「ごめんね…」


約束、守れそうにないや…


スノウドラゴンが大きく吼える。
呆れたように笑うガイアスを思い浮かべ、レイチェルは襲いくる痛みに目を閉じた。


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