ガイアスがカン・バルクを後にして一週間と少しが経った。カーラとの距離感は今だ縮まる事もなく平行線の一途を辿っている。

身支度を整え、さっさと退室したカーラをレイチェルは引き止めもせず見送った。けれどこの距離感を残念には思う。
何時ものように窓から広場を見下ろす。せめてカーラが居住区に下りるまでは見守りたかった。しばらく経ちカーラの後ろ姿が見える。そのまま居住区の方角へ歩むカーラだったが、何故か止まってしまう。


「ん?」


思わず窓を開け身を乗り出せば何やら騒がしい。泣き声に近い男の叫びが寒空に響き渡り、同時に小さく焦った声が耳に届く。声からして女性で、しかもこの声は――…


「レイチェル様…!?」


驚愕に目を見開くリジュに返事を返す事もなくレイチェルは脇を通りすぎ廊下に躍り出る。兵達やメイド達が驚き呼び止めるが全て無視してレイチェルは全速力で広場へ走り抜けた。

外の空気は相変わらず冷たく、反射的に腕を抱けば、広場に集まっていた民達が口々に王妃とレイチェルを呼ぶ。民達の間を掻き分け中心へ進めば一人の男が兵士に縋りつき涙ながらに何かを懇願していた。その横ではカーラが男を必死に宥めている。


「何事!?」

「お、王妃!」


三人に駆け寄り膝をつけばカーラが目を見開き何か言おうとする。しかし、カーラより早く男が矛先を兵士からレイチェルへと変えた。


「王妃…!どうか、どうか子供もお助けください…!!」

「……子供?」

「私が説明を」


敬礼を取り兵士が話し出す。


「この男性の子供が昼頃一人で音無しの洞窟へ行ってしまい、数時間が経った今でも帰ってきていないとの事です…」

「あの子は足を痛めた私のためにハートハーブを取りに行くと…始めはただの冗談だろうと真に受けていなかったのです…何時ものように遊びに行っただけだと、そう思っていたのに……」


悲痛な叫びを上げる男にレイチェルはキュッと眉根を寄せた。
子供が昼頃にカン・バルクを出たのなら、魔物に襲われていてもおかしくはない。しかもモン高原には対抗部族もうろついている。もし運よくそれらに襲われていなかったにしても、この寒さの中何時間も子供がたった一人でいるのだ。いずれにせよただではすまない。
それはカーラも分かっているのだろう。男の肩に手を添え、兵士を睨み上げている。


「早く救出してあげて!」

「し、しかし今ここに残された部隊は数えるほどしかないんだ。民のためとは言え人員を割く事は出来ない…」

「…っ、なんて事!」


カーラの瞳に怒りが滲む。
男は悲観に暮れ、とうとう地面に膝をついてしまった。

必死に慰めるカーラに対して、兵士はただ棒立ちするのみ。これにはさすがにレイチェルも言葉をなくした。そして、悲しくなった。民を思い、先導するガイアスに仕える兵士が目の前の小さな命を助けようともしない。

男の悲痛な叫び声やカーラ、そして周囲の民達の声が一瞬遠ざかる。レイチェルはグッと拳を握りしめた。


「―――…く」

「お、王妃?」

「私が探しに行く」


その決断に、最初に声を上げたのはカーラだった。カーラは立ち上がり、掴みかからん勢いでレイチェルに詰め寄った。


「あなた正気なの!?」

「正気よ」

「いいえ正気じゃない!そもそもあなたは自分の立場を理解してすらいないわ!もしあなたに万が一の事があれば民は、ガイアス王はどうなると思っているの…!!」


カーラの言う事は正論だ。王妃であるレイチェルが一民のために危険を冒すなど本来あってはならない。それくらいレイチェルも理解はしている。それでも誰かが行かなくてはならないのだ。


「誰かが行かないとその子供は帰ってこれないでしょう」

「だからって…!」

「私はこの国の王妃です。民を守る事も私の役目の一つよ」


レイチェルはカーラを押しのけ、男を立ち上がらせると兵士に指示を飛ばした。


「この男性を城の中へ。随分冷えてるから何か暖かい飲み物をあげて」

「は、はっ」

「それと一応この事はガイアス王に知らせておいて」

「了解いたしました」


唖然とするカーラを置いて、話はどんどんと先へ進んでしまう。まず兵士に付き添われ男が城へ入り、その後をレイチェルが追う。カーラははっとしてそれを追った。


「待って!王妃は音無しの洞窟がどこにあるのかご存知なのですか?」

「…地図を持って行くから大丈夫よ」

「知らないのね…」


頭を抱えてカーラは大きなため息をついた。あれだけの啖呵を切りながら場所すら知らなかったとは…ひとしきり頭を痛め、カーラは小さく手を上げた。


「私が、案内します」


諦め混じりの言葉にレイチェルは目を見張り、恥ずかしそうに頬をかいた。


「宜しくお願いします」


ぺこりと頭を下げたレイチェルにカーラは頬を引きつらせる。レイチェルには歴史の講義の前に、王妃としての振る舞いを教えるべきなのかもしれない。


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