何時もより些か早く終わった陳情はこのためだったのかと、レイチェルはその女性を見て大いに納得した。

やや硬質な黒髪を高く結い上げ、赤い瞳にメガネをかけた利発そうな女性の名前はカーラと言うらしい。彼女の教育制度についての話は中々に興味深く、レイチェルも真剣に耳を傾ける。ガイアス相手に臆する事なく自分の意見をハキハキと言えるカーラにはとても好感が持てた。


「それでガイアス王…私を呼んだ理由は何でしょう?」

「うむ…レイチェル」


突然名を呼ばれレイチェルが驚いたようにガイアスを見る。ガイアスはレイチェルの瞳を真っ直ぐと見つめ、またカーラと向き合った。


「近々戦がある」

「ラ・シュガルとですか」

「ああ。小規模な物と予想されるゆえそう長くはかからんだろうが…カーラ、俺が城を留守にする間これに歴史を教えてやってほしい」

「「は?」」


重なった声にレイチェルとカーラは互いの顔を見合わせた。そして揃ってガイアスを見上げ、何を言うのかと眉根を寄せる。しかしガイアスはそんなのどこ吹く風で話を進めてしまう。


「良いか?カーラ」

「それは…今は学校も長期休暇中だし大丈夫と言えば大丈夫だけれど…」

「ならば良いな。レイチェルも良いな」

「私は有り難いけれど…」


良いのだろうか。
チラリとカーラを盗み見れば、頬に手を当て、ため息をついていた。そして諦めたように目を伏せ、口を開く。


「仕方ありませんね。貴方は昔から強引ですから」

「そうか…」

「(あ、)」


レイチェルは思わずはっとした。ガイアスの、カーラを見つめる眼差しがあまりにも暖かかったのだ。
レイチェルはそっと胸に手を置く。痛んだのではない。むしろ眼差し同様の暖かさを感じていた。けれど何故そんな暖かさを感じているのか、理由が分からない。不思議がるレイチェルの視界には会話を続ける二人の姿があった。




「随分親しそうだったけど、カーラさんって恋人?」


何の脈絡もなく問われたそれにガイアスは書類を落としそうになった。

カーラの謁見も終え、これから夕食まで暇だろうと執務室まで連れて来たレイチェルは、長椅子に腰掛け読書をしていたはずだった。ガイアスが呆れ顔で振り向けば、読んでいた本は横に行儀良く置かれている。じっと見据える真っ直ぐな瞳にガイアスはため息をついて、ゆっくりと答えた。


「お前が何を勘違いしたかは知らぬが…カーラとはそのような関係ではない」


大方レイチェルは親しげな様子、しかも相手が女性である故に恋人と安易に決めつけたのだろう。
書類を手にガイアスはレイチェルの横に座り辺りを探る。そして話し声が聞こえる距離に誰もいない事を確認し、続けた。


「これはウィンガル達、一部の者しか知らぬ事だが…カーラは俺の妹だ」

「え?」

「カーラは俺と血の繋がった唯一の妹だ」


再度言い放たれた衝撃の告白にレイチェルは心底驚いた。しかし、そうならばあの暖かさにも納得がいく。我ながら安易に馬鹿な質問をした、とレイチェルは先ほどの自分を恥じ、俯いた。


「(でも妹で、唯一の血縁なら離れて暮らすなんて…あ、)」


浮かんできた言葉にレイチェルは切なげに表情を歪めた。ガイアスは書類に目を通しながら、器用にそれを読み取る。
頭の良い女だ。ガイアスは微笑した。


「分かっただろう。カーラを守るためにも俺は必要以上にカーラと接してはならぬのだ」


ガイアスは王族の血をひいてはいない。己が力と信念で、約十年前、ア・ジュール王を冠した。ゆえに敵は多い。だから唯一の血縁者と言えど、民と平等に接する。どれだけ悲しく寂しい事だったのだろう。カーラ、そしてガイアスの心情を思うと切なさがこみ上げる。

レイチェルは顔を上げて、そっとガイアスの大きな手に自分の手を重ね合わせた。ガイアスはチラリとこちらを横目で見るが、振り払いはしなかった。レイチェルはもう片方の手も重ね、ぎゅっと力を込める。


「思ってた以上に暖かいわね」

「お前の手は、冷たいな」

「ごめん…嫌だった?」

「いや、良い」


引っ込めようとした手を浚い、ガイアスはその手を、自分の手で挟みこむ。書類が音を立てて床に落ちたが、気にはならなかった。
レイチェルがしたように力を込めれば、レイチェルの頬がうっすらと色づく。


「(本当に頭の良い女だ)」


そして…優しい女だ。


「…お前の掌の冷たさは、嫌いではない」


頬を真っ赤にさせ、瞳を潤ませた伴侶を前に、ガイアスは優しく目を細めて見せた。


111116