波乱の婚儀も何とか無事終わり、あれから民への披露目も済ませ、レイチェルは新たな自室となる部屋へ通された。と言ってもその部屋はガイアスの私室であり、幾度となく訪れた場所であるため新鮮味も何もあったものではない。メイドが下がるのを見届けレイチェルはふうと肩の力を抜いた。


「疲れた…」

「あの程度でか」

「それもあるけど問題はこれよ!こ・れ!」


そう言いながらレイチェルは自分の頭を指した。自然と視線がそれを追い、ガイアスはああと納得する。


「随分と仕込まれたな」


昼間とは打って変わり、レイチェルの長い髪は下の方で緩く結ばれていた。それだけなら何時もと変わらないが、妙に艶がある。十中八九メイド達に無理やり髪油をつけられたのだろう。頬を引きつらせながら拒否するレイチェルの姿が思い浮かぶ。
ガイアスの座る寝台の上に座り、レイチェルは煩わしげに髪を撫でていた。


「しかも薄く化粧までされちゃうし…」

「ん?」

「良く見たら唇赤いでしょ」


今度は唇を指すレイチェル。
良く見てみろと無意識か詰め寄ってくるレイチェルにガイアスは少し後ずさりをした。


「(“これ”は意識していないのか…)」


メイド達が何故、髪油や化粧を施したかくらい考えなくても分かるだろうに。
チラリと視線を投げるがレイチェルは首を傾げるだけで、ガイアスは心配していたのは自分だけだと悟った。
邪念を振り払うようにガイアスは寝台横の机に手を伸ばす。これまた身を乗り出して来たレイチェルをもう片手で制しながら。


「酒?」


レイチェルの声が小さく弾む。
ガイアスが持っているのは紛れもなく酒瓶だ。しかし同時に持ち出された器が何時もと違う事に気がついた。


「それ瓜?」


中身をくり抜かれた瓜が二つ寝台の上に並んでいた。


「ザイラの森で取れる瓜でな。古来よりここ、カン・バルクでは初夜を迎える男女が誓いと共に、これで酒を交わしてきたらしい」

「変わった風習ね」

「ああ。だが、俺にはうってつけだ」


壁に寄りかかっていたガイアスが身体を起こすと空気が一瞬にして変わった。
心なしか肌がピリピリと痛み、つられてレイチェルも姿勢を正す。


「今宵をもってお前はア・ジュール王妃となる訳だが…それに当たり、いくつか制約を設ける」

「制約?」

「そうだ。まず一つ目」
 
 
一呼吸置いてガイアスは続ける。


「俺は一生お前を一番に優先する事は出来ぬ」


その言葉にレイチェルは静かに目を伏せた。
ガイアスは王だ。民を第一に考え、民のためにより良い政治を行う。王として民以上に優先させるべき存在はあってはならない。ガイアスの強い意志は始めから分かりきっている事だった。レイチェルは視線を上げこくりと頷く。


「あなたは王だもの。当たり前ね」

「では二つ目だ」


二つ目の制約は何となく想像が出来る。無意識の内にレイチェルは何も入っているはずのない腹部を撫でていた。


「俺はまだ子を成すつもりはない」

「想像はついてたわ」

「ならば話は早いな。俺にはリーゼ・マクシアの平定と言う野望がある。その野望を実現させぬ内に子は成さん」


翁には悪いがな。
付け加えられた言葉にレイチェルは苦笑する。ピリピリとした空気は何時もの物へ帰っていた。
しばらく経った後、ガイアスの口を開く気配にレイチェルは三つ目かと身構える。しかしその口から吐かれた言葉は三つ目などではなく、


「俺は数年の内にリーゼ・マクシアを平定する。我が野望をなしたその時は…お前との子を成したい」


動揺を誘う言葉。

レイチェルは思わず固まった。
けれどすぐに顔を真っ赤に染めて手を振り、慌て出す。


「ちょ、えぇ!?そりゃ子供は作る、べきなんだろうけど!私なんて答えればいいのか…!」

「良い。お前が慌てるのも無理はなかろう」


低く喉を震わせ、ガイアスは酒瓶の蓋を取り外した。
そして今だ顔を赤く染め何やら呟くレイチェルに瓜を一つ持たせ、そこに酒を満たす。自分も同様に酒を満たすと、ガイアスは思い出したようにレイチェルを見つめた。


「お前からも何か制約があるか?」

「え?」

「俺ばかりでは不公平だろう」


そう言われるとそんな気がして来る…レイチェルは瓜を両手が抱え視線を泳がせた。何か、何か制約したい事はないか。探して制約するのもどうかと思うが何故かレイチェルは必死だった。
何も言葉を発さぬまま悪戯に時が過ぎ、ようやくレイチェルはおずおずと口を動かした。まるで親に欲しい物を強請る子供のようである。


「じゃ、じゃあ…」

「ああ」

「う、浮気はなしの方向で…お願いします」


珍しくガイアスは目を見開き、言葉を失った。
対するレイチェルはガイアスからの返事がない事にどぎまぎしている様子だ。
今度はガイアスが返事を返せない番だった。


「(欲がないのか…?)」


まじまじと見つめてみればレイチェルがうっと首を引っ込めてしまう。どうやら呆れられたと思ったらしい。まあ、当たりと言えば当たりだ。願おうと思えばどんな事だって願える状況だったのだ。それこそ極端な話、父親の地位を上げたいと願えばそうしてやれた。

ガイアスは瓜に満たされた酒の水面に視線を落とす。眉間にシワを寄せた自分の顔が揺れ動いていた。


「…いいだろう」

「え、あ…ありがとう?」

「礼を言われる理由が分からんな」

「それは、」

「まあ、いい。ほら、腕を回せ」


会話を無理やり終わらせガイアスは瓜を持った腕を伸ばす。
不服そうにしながらもそれに従い腕を伸ばせば、腕が交差する。レイチェルの目の前に迫るのはガイアスの持っている瓜、ガイアスの目の前にはレイチェルの持つ瓜がある。


「…飲み辛そうね」

「形式だけだ。一口で良い」


ガイアスが瓜を傾ける。
慌てて唇をつけ同じように瓜を傾ければ、ガイアスも酒を飲んだ。さすがアルコール濃度が高いだけあって喉が熱い。しかもこの体制だ。一口だけで精一杯だった。


「あっつい」


ぽつりと零した呟きにガイアスは酒を飲み干した後、そうかと短く返事を返した。
交差した腕を解いた後、レイチェルは残りの酒を一気に煽り深々とため息をついた。

こうして二人の初夜は明けて行く。


111110