「お嬢様…良くお似合いでございます」


メイド達によって美しき飾り立てられた主の晴れ姿に従者は目に涙を滲ませた。
レイチェルは鮮やかな赤の民族衣装に身を包み、紅の塗られた唇を持ち上げた。


「ありがとう」


従者の後ろで控えるメイド達にとっても満足の出来のようだ。頬を紅潮させ胸を張る姿は誇らしげでレイチェルはシャランと簪を揺らしながら頭を下げた。
従者はハンカチを取り出すと堪えられなくなった涙を拭い、恐る恐るレイチェルへ近づき、懐から小さな箱を取り出した。


「こちらのメイド方には大変失礼になるかと思いますが…どうかお嬢様、これをお付けください」

「……これは、」


中から現れたのは中央に琥珀のあしらわれた上品な簪。
メイド達がざわつき出した。今つけている簪にくらべ、従者が出したそれはあまり見栄えが良いとは言えなかった。せっかくの自信作を壊してしまう、メイド達は祈るようにレイチェル達主従を見守る。しかしその願いも届かずレイチェルは頭の簪を取り、変わりに琥珀の簪を差した。


「良く、お似合いです…」


くしゃくしゃになった従者の表情にレイチェルの目にも思わず涙が浮かぶ。けれどここで泣いてはならないと目を見張り、なんとか抑る。
その時、ゴーンと時を告げる鐘の音が城内に響いた。


「レイチェル様、お時間です」


それを合図にメイドが前に進み出て、崩れた髪を直し、ヴェールを被せた。
どこからともなく現れた幼い少女の手を取り、レイチェルは式場へ向かう。




カン・バルクほど近くザイラの森にも教会はあるが、城内にも負けず劣らずとした礼拝堂が存在した。広々とした空間にはこの日を待ち望んだ翁を始めとする多くの忠臣達が今か今かとその時を待っている。
礼拝堂の祭壇上で花嫁到着を待つガイアスの横にはウィンガルの姿があった。


「緊張はしておられぬようですね」

「この程度で緊張する訳がなかろう」


ガイアスは飾り紐で一つに結い上げた黒髪を揺らす。普段の戦武者と言った装いから一変し、黒の民族衣装で王然として立つその姿に感嘆の息をつく者は多い。ウィンガルのからかいを一蹴した直後、ガイアスの耳に待ち皆が望んだ鐘の音が届いた。ああ、時が来たのだ。すっとウィンガルが身を引き、祭壇下に控えるのを見計らったように礼拝堂の大きな扉がギイと音を立て開かれた。 
 
「おお…」


参列者が次々と感嘆の声を上げる。後ろを振り向く事を許されないガイアスは段々と近づいてくる足音に耳を済ませた。あと三歩、二歩、一歩。足音が止む。
ここでようやく後ろを振り返り、ガイアスは息を飲んだ。

少女に手を引かれ祭壇下に立つレイチェルの花嫁姿は、ヴェールに隠された表情が見えない事が残念に思えてならないほど、美しかった。女と言うものは化粧と服だけでこうも変わってしまうのだから恐ろしい。レイチェルが聞けば絶対怒るであろう事を考えながらガイアスは、少女の手を離し一人祭壇を上がってくるレイチェルを見つめ続けた。

花嫁は夫に生涯の忠誠を誓わなくてはならない。男尊女卑とも言える考えに反感はあれど、それが古くからの習わしである。それに倣い、長い裾を踏まないよう注意しつつその場にレイチェルは膝をつき最高礼を取った。そしてそのまま三日間で覚えた言葉を言おうと息を吸い込む。
だが次に取られたガイアスの行動に、この場にいる者全てが震撼した。


「陛下…!」


唯一声を荒げたのは一番親しいウィンガルである。
しかしガイアスは睨みでそれを黙らせ、一気にレイチェルの腕を引っ張り上げた。

この日のために何日も準備を続けてきた者達が嘆き出す。
このままでは事が運ばない。だが唯一意見が言えるだろうウィンガルが黙ってしまった今、主君であるガイアスに意見出来る者は誰もいない。参列者達ははらはらと見守るしかないのである。

そして当事者であるレイチェルもまた、はらはらと夫となる男を見上げていた。


「前にも言っただろう?俺は古い習わしに従うつもりはないと」

「っ〜〜!?」

「そう驚くな。事が進まぬ」


誰のせいだと…!!
睨み上げてくるレイチェルの瞳には怒りが滲んでいた。
ガイアスはそれに意地悪く笑い、レイチェルのヴェールを取り外す。露わになったレイチェルの貌は当初の印象の通り美しい。


「レイチェル・クレストアに問う」


場内がまたざわめき出す。
その言葉は本来ならば最後に発せられるはずの物だ。
慌て出すレイチェルを無視しガイアスは元より頭に入っている言葉をスラスラと述べた。


「汝は我と共にありどのような苦難ですら耐え幸福を分かち合えると誓うか。もし誓うのであれは今この場で証を見せ、誓わぬのであれば即刻我が元から立ち去れ」


あまりに突然の事にレイチェルは顔を真っ赤にさせ慌て出す。助けを求め、一番間近にいたウィンガルに視線を投げるが無視された。後で覚えてろ!なんて悪役紛いの台詞を胸中で吐き捨て、レイチェルは大きく息を吸い込んだ。


「ア・ジュール王ガイアスに問う」


変わり、礼拝堂にレイチェルの声が響き渡る。


「汝は我と共にありどのような苦難ですら耐え幸福を分かち合えると誓うか。もし誓うのであれは今この場で証を見せ、誓わぬのであれば即刻我が元から立ち去れ」


言えた…ほっと息をついたのもつかの間。唇に触れた暖かなそれにレイチェルは目を見開き、硬直する。参列者の誰かの黄色い悲鳴とアグリアの叫びを確かにレイチェルはその耳で聞いた。

数秒が経ち、触れるだけで離れたそれの主は息がかかるほど側で囁く。


「誓ってやろう」


礼拝堂内が歓声に包まれる中、レイチェルは唇を噛み、拳を握りしめる。
そうでもしなければ今にも叫んで逃げ出してしまいそうだったのだ。


111105