昼間は居住区に赴き、医師の手伝いをしているが、夕方から夜にかけての空き時間はレイチェルにとって暇で仕方なかった。 大好きな本を読もうにも資料室の蔵書はとっくの昔に読み終えているし、かと言ってカン・バルクには図書館なんてこじゃれた物はない。ならば他の街に行ってはどうか、そう考えた事もあったが、ガイアスは許してもあの側近は許してはくれないだろう。 自ら地雷原に飛び込むような馬鹿はいない。よってこの案は却下。 仕方なしに、もはや見慣れた資料室を訪れたレイチェルだったが、思わぬ先客に扉を閉めるのも忘れ硬直する。 「んなっ…ラ・シュガルのババアっ!!」 長い白髪を振り乱し叫ぶのはア・ジュールが誇る精鋭部隊、四象刃が一人。 「…こんにちは、アグリア」 自分がアグリアに嫌われているらしい事は先日の件で認識済みである。下手に刺激しないほうがいいだろう。 レイチェルはぎこちなく笑みを浮かべ、手持ち無沙汰に近くの本を取った。目当ての本棚はアグリアの横にあり、近づけなかったのだ。 「(出直そうかしら…)」 ウィンガルの時とは違う、露骨な敵意にはまだどう接したらいいのか分からない。 それに昨晩のプレザの言葉もある。 本を棚に戻しレイチェルは扉の取っ手に手をかける。 しかし扉が開かなかった。その変わりに―… 「……ぁ」 無情にもガチャン、と重たい音が静まり返った室内に響き渡った。 向こう側から鍵をかけられたのである。 「おい、ババア…」 靴の音を響かせアグリアがそばに来る。 先ほどのレイチェル同様、取っ手に手をかけるとアグリアはワナワナと肩を震わせた。 「っざっけんな!!!」 アグリアは力いっぱい扉を足で蹴り上げた。だがまだ子供のアグリアの力ではびくともしない。レイチェルも取っ手を捻ってみるが途中で止まり、いくら力を加えても扉は開きそうになかった。 「チッ!どけ、ババア!」 アグリアは自分より身長の高いレイチェルの身体を押しのけて扉の前に立つ。そして中心部に杖が埋め込まれた大きな刀を取り出す。 まさか…嫌な予感を感じレイチェルはとっさに動いた。 「ダメ!!」 小さなアグリアの身体を後ろから抱きかかえレイチェルは声を張り上げる。 突然の浮遊感にアグリアは口をあんぐりを開けて目を見開いた。 「なっにすんだババア!」 「あなたここが何処か分かってるの!?」 「ああ!?」 「資料室でしょ!ここで火の精霊術なんて使えばこの城はたちまち火の海よ!」 アグリアが火系の精霊術を得意としていると話していたのはジャオだったか。定かではないが大惨事を防げたと心の中でジャオに感謝を述べる。 「…………」 しばらく無言の睨み合いを続ければアグリアは視線をそらした。敬愛する主君の城を壊すのは本意ではない。アグリアが観念したと知るとレイチェルは、強く巻きつけていた腕を解いた。 アグリアはレイチェルと距離を取り床に胡座をくむ。表情を見れば不機嫌です。とデカデカと書かれている。 レイチェルは苦笑を浮かべ部屋の外へ思いを馳せる。 この資料室はレイチェルの部屋にほど近く、訪れるのはガイアスか女中くらいだ。しかも現在の時刻は六の鐘が鳴ったばかり。夕食は八の鐘が鳴る頃に取っているため、最低でもあと二つ鐘を待たなければならない。 「(…出られるのは一体いつになることやら)」 あまり使われていないこの資料室に暖炉器具なんてものはない。カン・バルクに来たあの夜は全然寒さを感じなかったのに、今は寒さが身に染みる。ショールをかけて来て本当に良かった。顔をショールにこすりつけ、幸せ気分を味わったのもつかの間。レイチェルははっとして顔を上げた。 「アグリア、寒くない?」 「あ゙あ?」 「ほら鼻声になってる!」 アグリアの服装は雪国には相応しくない。太ももは露出しているし良く見れば首もとだって開いている。 もう、どう接したらいいのか分からないだの言っている場合ではなかった。 「うぷっ」 「ほら貸してあげるからちゃんと身体に巻きつけて」 「なにすんだ…おいっ」 「手が冷たい…窓際にいちゃダメね。こっちの方が暖かいから……」 「人の話聞けよババ…っ、ふぇっくしゅん!」 威勢良く叫んだはいいものの次の瞬間、アグリアは盛大にくしゃみをもらす。 レイチェルの言う通りアグリアの身体は指の先にいたるまで冷え切ってしまっていたのだ。 「ちくしょう…」 小さくアグリアが呟く。 それに聞こえないふりを決め込みレイチェルはアグリアを立たせて扉側へ誘導した。 しかし冷えたアグリアの小さな身体をまた床に座らせるのには抵抗がある。かと言ってアグリアがレイチェルの膝に座るかと言えば否。 どうしたものかと頭を悩ませた挙げ句レイチェルは自分が先に床に座り長いスカート部分を横にずらせた。それにより足が露出してしまったがこのままではアグリアに風邪をひかせてしまう。 アグリアをスカートの上に座らせレイチェルはほっと息をついた。 「……ラ・シュガルの奴はキライだ…」 何の脈絡もなくもらされた言葉にレイチェルは一瞬息を止めた。プレザの憂いをおびた表情が脳裏を過ぎった。 「……テメェも、キライだ」 それっきりアグリアは何も話さなくなった。 膝を立てショールに顔を埋め、寝ているのかすら分からない。 熱がないかと心配になるが、冷たい自分の手が触れて良いものだろうか。治癒系の魔術は使えるが果たして風邪に利くがどうか…考えに考えてレイチェルはそっとアグリアの前髪をかきあげた。 「寝てる…」 人を殺した経験があるとは思えない、あどけない寝顔だ。 思えば何故アグリアのような幼い少女が刀を持ち、戦っているのだろう。 『……ラ・シュガルの奴はキライだ…』 その言葉を思い出し、なんとも言えない気持ちになる。 そっと髪を撫でてレイチェルは早く時が過ぎてくれるよう祈った。 111022 |