「いいんですか!?」

「なにが」

「白さまを殺す事になるかもしれないんですよ!?」

「ああ」

「周瑜さまはそれでいいんですか!?」

「呂蒙」


小規模な軍を見事な采配で纏め上げる後ろ姿に呂蒙の悲痛な叫びがこだましていた。
しかしその叫びも虚しく、呂蒙の声は周瑜には届かない。


「これは命令なんだ」


冷たい氷のような瞳。
血の気のない人形のように冷え切った周瑜の顔と、背後に見える満月が、呂蒙の体を重くした。




見慣れない屋敷、見慣れない人々、見慣れない部屋。
唯一変わらないのは月明かりくらいだろうか。

無理を、言ってしまった。
真夜中張昭と張紘に嫁ぐと宣言し、兄さんにも朝一で伝えた。兄さんは信じられないと私を見て、でも何を言っても私の意志が変わらない事を知ると黙って背を向けた。その背中を見て私は思った。もう城にはいられない。だから身一つでここまで来た。私の夫となる釆家の嫡男は知勇兼備の勇将として聞いていたがまさにその通りと言った人柄だった。突然現れた私に驚きはした物の怒ったりはせず部屋を与え、不自由のないようと侍女まで付けてくれた。優しい人なのだきっと。そう思うと少し肩の力も抜けて体が心地よい怠惰感に包まれる。


「お眠りになられますか?」


部屋の端に控えた侍女が抑揚のない声で問いかける。
返事を返したくても私の体はもう限界のようで、そのまま意識は沈んで行った。

そして私は夢を見た。
幼い頃、父さんが生きていた頃の幸せな夢。

見慣れた城、見慣れた人々と見慣れた部屋。向こう側に幼い私と今より少し若い周瑜の姿があった。あ、そう言えばあの頃の周瑜はまだ髪も短かったなあなんて考えて懐かしくなる。


『周瑜は兄さんの親友で右腕なんだよね?』

『まあね』

『じゃあ周瑜はずっと一緒にいてくれるんだよね』

『はあ?』


幼い私の考えなしの発言。
きっと人はこれを純粋と呼ぶだろう。


『馬鹿じゃないの』

『なんで馬鹿!?』

『ずっと一緒とか餓鬼くさ…って、ああ餓鬼だったか』

『ひどい!!』


さらりと毒を吐いて周瑜は笑う。私も笑う。楽しくて暖かい空間を私は心底羨ましいと思えた。


『第一お前は女だし、将来お嫁に行くんだろ?』

『んーん、私お嫁に行くより兄さんや周瑜達といたい』

『さらっと女を捨てる発言するな』


あ、痛い。
笑顔のまま手刀が炸裂する。
私自身にされた訳ではないのに後頭部が痛んだ気がして押さえた。向こう側の私も後頭部を押さえて恨めしげに周瑜を見上げている。


『お前の馬鹿兄貴と…お前次第だな』


そう言って周瑜はそっと私の頭を撫でた。
何を言われているのか理解出来ずただ見上げる幼い私と、嫌と言うほど理解して体を震わせる私自身…その差は歴然としていて自分の成長を悟ってしまう。

私は周瑜が好きだと言ってくれた昔にはきっと戻れない。
あの夜開いた距離は考えていたよりずっと深い物だったのだ。

笑う私を目に宿し、向こう側の私達が霞んで消える。
段々と体から怠惰感が抜けて意識が浮上する感覚。
うっすらと光が見えて、私は恐る恐ると目蓋を開けた。


「ゆめ…?」


けれど私はどうやらまだ夢を見ているようだった。
何故だろう。見慣れない部屋なのに、今私の前で切なげに表情を歪ませているのは見慣れた…


「白」


私の好きな人だった。


120227