「あら、早いのね」


ムスッとした表情で何時もより早く部屋に戻ってきたガイアスに、長椅子に腰掛けていたレイチェルは驚き本を閉じた。
ガイアスは返事を返さずズカズカとこちらに歩み寄り、隣に座る。近くなった距離にようやくレイチェルはガイアスの表情に怒りが滲んでいる事に気がついた。


「なに?何かあったの?」

「翁だ」

「ああ…」


好々爺とした老人を思い浮かべ妙に納得してしまう。あの翁は変な所で強引で、ガイアスすら黙らせてしまう。元はこの婚姻もその翁の強引さがガイアスに勝ったゆえなのだ。


「レイチェル」

「はい?」

「良い夫婦とは何をすればいい…?」

「は?」


思わずレイチェルは聞き返した。まさかガイアスからそんな言葉が出てくるとは…一体翁は何を言ったのだろうか。
答え倦ねているとガイアスはため息をつき、忌々しく事の経緯を説明した。

まず、何時ものように執務をこなしていると突然翁がやって来たらしい。そして翁は執務をこなすガイアスに向かって、


『たまには王妃と夫婦らしくしなされ!!』


などと叫び、無理やり執務室を追い出した。執務室に戻ろうとしたガイアスだったが鍵はかけられ、終いには『もし無理やりこじ開けようものなら抗議する』と言ってきた。これにはガイアスも呆れてしまったようで、幸い今日の分は終了していた事だしと部屋へ返ってきたらしいのだ。


「それは…まあ、お気の毒に」


返せる言葉もなかった。
ガイアスは額を手で覆い、心底疲れている様子だ。


「せっかくなんだし、日頃の疲れを取るためにも今日はゆっくり休んだら?」


そもそもガイアスの一日は多忙である。夜が明けぬ内に起床し、朝の執務をこなし共に朝食を取った後は民の陳情を聞き、その後は軽い昼食を取り軍議や部族長達の会合などに出席。そして夕食後、残った仕事を片付け、ようやく一日を終えるのだ。

やり方はいただけないが翁なりの心配、なのではないか。レイチェルはそう考えガイアスに提案する。
しかしガイアスがそれを素直に聞くはずもない。


「さっき良い夫婦は何をするって聞いたわよね?」

「ああ」

「私の祖父母は良く膝枕してあげてたわ」

「…は?」


先ほどと逆にガイアスが驚き、聞き返す。だがレイチェルは真っ直ぐにこちらを見て、さあ来いとでも言うように膝をポンポンと叩いているではないか。
ガイアスはうっと言葉につまり、仕方なしにレイチェルの膝に頭を置いた。


「…柔らかいな」

「それって太ってるって事?」

「違う。中々心地よいと言っているのだ」


レイチェルの使う香だろうか、柔らかな匂いが鼻腔を擽る。若干の居心地の悪さを感じつつガイアスはまぶたを閉じた。すると頭上で本を開く音が聞こえた。どうやら中断していた読書を再開させたらしい。
しばらくペラ、ペラと一定の間隔で響くページを捲る音に耳を済ませていれば段々と身体が心地よい怠惰感に包まれていくのが分かった。


「(なるほど…確かに俺は疲れていたらしい…)」


ページを捲る音が少しづつ遠ざかって行く。小さく身じろぎして、ガイアスはゆっくりと四肢を放り出した。




「………」


ガイアスが寝た事を感じ取るとレイチェルは本をパタリと閉じる。本に隠されて見えなかった表情は真っ赤に染まっていた。
自分から提案したクセに、とてもじゃないが読書なんて出来そうにない。


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