俺は預言に散々振り回されてきたヴァンに、更に人生をねじ曲げられた人間だ。 一番の未練はあの場に立つあいつ。 それに優しかった母や、俺の事は見てくれなかったが厳格だった父。兄貴分だった彼だって。国の事もある。 今となってはもう二度と、手にする事は叶わない俺の全てだったモノ。 全部レプリカに奪われちまったが、今は彼女にだけは手を伸ばす事は、可能なのだ。 たとえ、それが――あいつへの裏切りとなる行為だとしても。 勿論、それはしないし、してはいけないのだ。 だけど。頭で理屈は捏ねられても、心は従ってはくれない。 あいつはレプリカを俺だとずっと思い込んでいる。今だって嫌という程見せ付けられてしまった――なのに、彼女はたった一瞬目にしただけで、何と言ったか。 別にいなくても良かったと切り捨てる考えは、以前だってそう思ってたわけではないけれど今回のナマエの一言により余計に、俺はどうしても持てそうになくなってしまった。 俺がそうして、一種の新たな感情に戸惑う中。 俯く彼女の双眸こそ未練に塗れ、地面に冷たい雫を落とさんと耐え忍んでいた事は、俺はまたもや気付かず仕舞いだった。 まあ尤も、逸らされてしまう前に認めたあいつを見つめるナマエの深紅の瞳が、憧れよりも形容しがたい不思議な色を乗せていた事だけは、わかっていたんだがな。 ◆◆◆ 僕がナマエを気に入ったのは、それこそ人に訊かなければわからない、覚えてないような、そんな年齢の頃だったらしい。 何でとか、正直はっきりした感情なんて考えた事もなかったけど(子供って普通そうだと思う)、預言に詠まれてるからという理由だけで親許を離されてしまったまだ赤子だった自分は、多分無意識に“母”という存在を求めてたんだと思う。 最初はお姉さんだとエベノスに聞いたからそう呼んでたけど(ねぇねとしか言えなかったが)、いつだったか僕の中でナマエは自分にとって一般的にいう“お母さん”に当たるんだろうかとふと考えた。 ナマエもナマエで、他の次期導師だからと腫れ物に触るような扱いをしてきたり媚を売ってくる施政者とか預言狂信者とかと違って、(僕が見てきた限りだけど)望む通りに毎日遊んでくれたりご飯や勉強も何の下心もなく接してくれてたのだと思う。だからこそ、僕は彼女を家族として慕ったのだと気付いた。 それから名前で呼ぶようになった。 エベノスがナマエのおかげで元気になった時は僕も素直に嬉しかったけど、老衰だけは彼女にもどうしようもないと聞いていた。 実を言うと、ナマエの何でもできるイメージが覆されたのはこの時。 だけど同時に、エベノスには悪いけど安心もした。 ナマエは、あまりにも人間離れしてる気がしていたから。その片鱗を見せつけられる度疑問を口にしてきたけど、へらへらした笑顔でかわされ時に複雑な表情をされる事もあった。 …まあ、何だろうとナマエは僕にとってはお母さんだから、気にはしないんだけど。 そしてエベノスが亡くなり悲しむ暇もないまま、ついに僕も導師となる時が来た。 毎日執務に追われるけど、ナマエに導師守護役になってもらったおかげで(…殆ど命令に近かったけど)一緒にいられる時間は増えたので、暫くは割と充実した日々を送っていた。 そんな時だった。『ヤツ』が、現れたのは。 そして、秘預言によって知ってしまった――自身の、終焉。 それも丁度、この頃だった。 「――面白そうだね、そのレプリカ?計画。いいよ、僕も乗ったげる」 何食わぬ顔でヤツ…『ヴァン』にそう返したけど、僕は正直腸が煮え繰り返っていた。 だって“預言に縛られた全ての人類は滅びるべき”、ヴァンは高らかにその理想を僕に語ってくれたけど、それにはナマエも含まれてる。むしろ、ヴァンは彼女の存在を邪魔に思ってるみたいだった。何故なら彼女の話題が出る度、その都度目が冷えてたから。すぐわかった。 …僕も気に入らない相手によくそんな目をするらしいし(ナマエ談)。 ま、肝心のナマエは預言に対して否定的なんだけどね。治癒術どころかダアト式譜術を扱える彼女が、預言を詠めないハズはないだろうに実際それをしてるのを見た事はなかったし。 ヴァンに頼んでナマエ一人助けてもらえば良いとかそういう問題ではないまして、自身が死んだ後彼女が消されないとも言い切れない。 …まあナマエは簡単に殺られはしないだろうけど、そういう事でもない。 それに、ナマエにだって大事な人間はいる。話によると、彼女はダアトに住む母親を殊更大切に想っているのを僕は知っている。 …父親の話は聞かないから、きっといないんだろうね。 それ以外だって、たとえ預言に縛られた人間相手だとしても、ナマエは無益な殺生を好まない。戦争に参加した、預言のせいで消されるかもしれなかった人間達への対応でわかりきっている。 甘いと言えばそこまでだけど、多分どこまでも非情な人間だったなら、きっと僕はナマエを追いかけなかったと思う。 人として暖かいからこそ、僕はそんなナマエが――好きになったんだし。 勿論、この感情は、幼いそれこそ赤子の時に失ったから僕は知るワケもないのだけど一般的にそうとされる、家族に対する親愛の情と言うモノ。 …そこから、動く事はないのだけれど。 だからこそそんなナマエが、人類滅亡なんて事になったら、絶対に泣くに決まってる。…実際泣いてるのを見たのはエベノスが亡くなった時のみだけど。 (普段冗談で音素を飛ばした時とかは涙目だったけど…特に第五音素。何でだろうね)。 それでも、ここで断るわけにはいかなかった。 ――いつか、近い内に僕は消えるから。 秘預言で視たけれど、僕の病はエベノスよりずっと重かった。きっとナマエにも無理だ。 治せないとわかって彼女を追い詰めるくらいなら、いっそ知らせないでおいた方が良い。 僕のレプリカでも何でも、すぐにナマエは“違う”って気付くだろうけど。 それでも代わりを遺しておけば、彼女を少しは悲しませないで済むと思うから。きっと、僕がいなくなればエベノスの時にそうだったくらいなのだから――さぞ、泣き腫らしてくれるのだろう。…泣かせたくはないけれど、同時に泣いてほしいともふと思う。 (そしてのちに、そうしてほしいようなほしくないような娘が、もう一人出来てしまうのだけど)。 「どうせ預言には逆らえないんだし、その時が来たら。手筈通りに僕のレプリカ、宜しく」 僕の言葉に、散々邪魔な人間を切り捨てたり容赦のない仕打ちをしてきた僕が言うのも何だけど(あまり酷いとナマエに止められた事もあった。そして逆らえない僕がいる)、ヴァンは悪いカオ…凶悪な笑みを浮かべていた。 でも今は従ったフリをしておくけど、全て自分の思い通りにいくなんて、思うなよ。 ナマエを消そうとした時点で、アンタは僕を敵に回したんだから。身を以て知るがいいさ。 …僕には時間がないから、障害たり得る行動に出てもらうのはきっとナマエや、その計画に反発するであろうどっかの実力者とかになっちゃうと思うけど。 ――預言が絶対じゃないなんて、本当はナマエのおかげでとっくの昔に知ってるんだけどね。 エベノスは、本来病死だったんだよ。戦死者だって、それこそ星の数程出る筈だった。 要は変えようと誰かが動けば、結果は違ってくるって事。 全く、“預言は数ある選択肢の一つでしかない”と一番に唱えるべき導師である自分が、他人に気付かされるなんてね。 だけど現実って、どこまでも皮肉だ。 ナマエや…のちのあの娘にしても、このままがずっと続けばいいのにと思えてしまうくらいに、こうしてこのオールドラントもまだまだ捨てたモンじゃないってせっかく気付けたのに、僕は彼女達を遺してしまう事になる。 一応抗える限りはやってみようと思うけど、その前に。 もし、ナマエが人質にでもされたら僕は動けなくなる。 僕はこれから、ヴァン一味に対してのみ分厚い仮面を着けて、遺された時間を生きていくよ。 これが僕の、ナマエに対する最期の親孝行だ。 ――でも。 僕だって、と望んでないわけではないんだ。 最期になんてホントは――したくない。 |