さっきまでぱらりぱらりとまばらだった雨音が強くなってきた。ああ、今日は本当についてない。よりによって雨なんて。ぐちゃぐちゃに着替えを詰めこんだリュックとサッカーボールを手に茫然と立ち尽くした。暗くなった空を背に、暗い感情ばかりが頭の中でぐるぐる渦巻く。雨に打たれる感覚も、肌寒さを感じる身体も、母親と一緒になって自分を叱っているような気がしてならなかった。悲しくて悲しくて、雨に混じって少しだけ泣いた。

「っ、あ」

脇に抱えたサッカーボールがつるりと滑った。コロコロと泥にまみれながら転がったボールを追ったら誰かの靴に当たって止まるのが見えた。雨の降りしきる公園には自分しか居ないと思っていたから、泥だらけのボールを拾いあげる白い手の先を見上げるのがちょっとだけ恐ろしく思えた。

「はい」
「あ、ありがとう」

靴がゆっくりと歩みよって手渡すボールを受け取って、手首より上をそろそろと見上げた。手首、腕、肩、首ときて、ゴールに見えた顔は手と同じくらい白くて、頭は濡れてなお鮮やかな赤色をしていた。白い顔は何を考えているのか分からなかったけど、辛うじて目元が赤かったから、もしかしたら泣いていたのかもしれない。

「…ん?」

赤い頭がくいくいと袖口を引く。何かと思ったら、びゅうっと吹き付けた一際強い風が一気に体温を奪っていった。震えるどころでなく、歯が鳴る。目の前からも聞こえてきて合奏になった。がちがちがちがち。

「か、風邪引いちゃう、から、雨宿りしようって、言いたかっ、たんだけど、さ」

歯の根が合わないそいつの声は震えながら途切れ途切れに寒い、と呟いた。

「……そうしようか」

本当は雨宿りしたら負けだとか意地を張っていたのだけど、もうこれ、無理だ。風が吹くなんて完全に予想外だ。滅茶苦茶寒い。
ガタガタ震えながら二人で遊具の下に避難した。二人してずぶ濡れで唇が真っ青なのがどうにも可笑しくて、どちらともなく笑ってしまった。

「おれ、えんどうまもるって言うんだ。お前は?」
「えっと、ヒロト。」
「ふうん。ヒロト、クッキー食べるか?」
「うん。ありがとう。まもるの名前ってどういう字?」
「こう。ヒロトは?」
「カタカナだよ」
「へえ、かっこいいな」
「そうかなあ」

目の前でふにゃりと眉を下げるヒロトはおとなしくて、話し方や仕草が優しくて丸っこい。俺のリュックの中でどうにか雨水をしのいでいた服に着替えたあと、ヒロトは脱いだ服を丁寧に畳んでなるべく汚さないように慎重に場所を選んで置いた。そして砂だらけの地面に放って汚れた俺の服すらも、砂を払いながら綺麗に畳んで自分の服の隣にそっと置いた。

「ヒロトは、偉い子だな」
「ん…そんなことないよ。それより、服ありがとう。」
「俺も、畳んでくれてありがとな」
「ううん」

秋と冬の間を行き来してるこの季節は雨の日ともなれば鋭さすら覚えるくらいで、寒い寒いと体を震わせながら腰を下ろしたヒロトとぴったり寄り添って毛布にくるまった。膝を抱えて俯いたヒロトの体は表情や雰囲気と裏腹にぽかぽか暖かい。その温もりがあまりに心地好くて、だけど同時に涙を誘った。母ちゃんに叩かれた頬の痛みが、脈動に合わせてつきつきと皮膚の下を蠢いてる。怒鳴られた声が耳の奥で繰り返し響いて、なんで浮かんだのかはわからないけどとにかく滲んできた涙をヒロトの肩にたくさんたくさん落とした。

「まもる?どうしたの」
「ヒロト。俺、母ちゃんと喧嘩しちゃったんだ。母ちゃん、サッカーしちゃ駄目だって。じいちゃんみたいになっちゃ駄目だって。俺はサッカーもじいちゃんも大好きで、母ちゃんにそんなこと言って欲しくなくて、喧嘩して家出しちゃった。嫌なこと言われた。サッカーしちゃいけないって、俺はサッカー大好きなのに、駄目だって言われた。サッカーしたいけど、でも母ちゃんに言われて、母ちゃん、俺のこともう嫌いになっちゃったかなあ」

じわじわ涙が滲む視界で、ヒロトの表情も輪郭もぐにゃんぐにゃんに曲がった。眉がぎゅっと寄せられて悲しそうな顔に見えるヒロトは毛布の中で俺の手を握って、そんなこと、ないよと呟いた。その声に合わせて目尻から涙がこぼれた。ぽたぽた。ぽたぽた。黒々とした染みがなんとなく直視できなくて、それから目を背けるように首を横に捻ったら、俺の隣に座るヒロトまでもが泣いていた。

「ヒ、ヒロト…?」
「まもる、俺も。俺も、喧嘩しちゃったんだ。」
「ヒロトも?」
「俺は父さんの本当の子供じゃないから、父さんをがっかりさせちゃうんだ。サッカーが大好きになって、上手になって、園の小さい子達を可愛がって、ヒロトって呼ばれたら返事して、父さんの理想のヒロトにならなきゃいけないのに。わかってるのに、できるのに、時々こうして逃げ出して泣いてるんだ。だって、だって、」

だって俺は、吉良ヒロトじゃない。
歯をくいしばるように口の隙間から漏れた言葉を、俺はよく理解出来なかった。

「じゃあ、お前は誰なんだ?」
「基山、基山だよ。基山は死んでしまった両親からもらった、大切な名字なんだ。」


遊具の外からカラカラとひび割れた5時の鐘が聞こえた。雨はいつの間にか止んだらしい。雨の止んだそのあとに、俺とヒロトの足元の小さな染みだけがぽつんと残った。この染みは一体どれくらいで消えてしまうのだろう。俺が、ヒロトが、泣き止むまで残っているだろうか。目を閉じて膝頭に額を押し付けて、ヒロトを呼ぶ誰かの声をどこか遠くに聞いた。ヒロトは涙を拭いながら、姉さんだ、と呟いた。

「帰るの?」
「うん…まもるは?」
「……俺も帰ろうかな」
「そっか。また会える?」
「おう。そんときはサッカーしようぜ」
「いいよ、サッカー大好きなんだ」
「うん、俺も。」

ばいばい。ばいばい。手を振って別れた。泣いた後だから、鼻の頭や目が真っ赤になってて、頭が痛いし、目元がだるい。酷い顔だったけど、ヒロトは薄く笑って「でも俺は、父さんのためにもっと頑張るよ」と言った。それが良いことなのかどうかはわからないけど、俺はとりあえず頑張れと手を振った。俺も帰ったら、母ちゃんにもう一度サッカーが大好きだって言ってみよう。ヒロトとサッカーするために家から20分はかかるこの公園まで遊びに来るのと同じくらい、無駄だけど大切なことな気がした。


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