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朝日が昇り露が完全に消えてしまったあと、鞄に入っていた持ち物を回収した。

元々沢山ではなかった持ち物の大部分はすぐに回収出来たが、あの時側にあったはずの携帯はいくら探しても見つからなかった。

……出来ることならここで壊してしまいたかったのに。

あの気味の悪い笑い声と喉を焼く激痛を思い出してしまって、ぶるりと身を震わせた。


(――迎えに行くから――)


意識を失う寸前に囁かれた言葉が、鼓膜にこびりついて剥がれない。
――電話口から聞こえた声とは違う、低く不思議な声音だった。

(迎えに、か……)

まるで歓迎するような口振りだが、それを今まさに危害を加えている相手に言うのは如何なものか。
軽くなった鞄に拾い集めたノートやボールペンを入れながら思う。

(つまり、今すぐ俺の目の前に現れることはない……って、ことだよな)

迎えに、とわざわざ言うくらいだ。
まだ猶予はあると思っていいだろう。
それに町か村に出れば、こんな子どもの姿だ、何かしらの保護は得られるはずだ。
そう思えば子どもに戻って良かったかもしれない。

(まあ、言葉が通じるかってのもまだ分からないけど)

――あの声の主に会ってはいけない気がする。

頭の中の声を振り払うように蓋を思い切り閉めて、大きすぎる鞄を肩から斜めに掛けた。
ほとんど空同然の鞄がずっしりと重い。

たとえ言葉が通じなくても、身振り手振りでなんとかなるものだ。
日はまだ高い。


行けるところまで行ってみよう。







森は緩やかな斜面にあった。
下へと進んでいけばいずれ平地に出るだろう。
……多分。
途中ケモノ道にぶつかる度に進路をずらし、ただひたすら麓に出ることを信じて下っていく。



(っ危ね…、……って、クルミ?)

足下に転がる、クルミに鋭いトゲの生えたような無数の木の実。ウニのような姿に首を傾げる。

これ、食べられるのかな……。

ふと思い立ち一つ拾い上げて、トゲに気を付けながら力を込めてみる。
しかし硬い殻は指先の力だけではびくともせず、早々に割ることを諦めた。

ここで時間を掛けるほど、空腹を感じている訳ではない。
手に取った実のトゲをもう一度眺めた。少し考えた後、幾つか拾って鞄に放り込んでおく。

(ここら辺、ケモノ道多いし……)

武器というには心許ないが、まぁ無いよりはマシだろう。丸腰でいる不安感から多少解放されてほっと息を吐いた。

懸命に歩き続けて、いつの間にか塞がっていた素足の傷から新しく血が滲み始めた頃、やっと平地が現れた。
まだ森は続いているが直にそれも途切れるだろう。木々の隙間から覗く空はまだ明るかった。

……二度目の夜は迎えたくない。



(……あ、ケモノ道)

どんな生き物が通るのか分からず、ずっと避けて歩いていた。
後ろ斜め右方向から前に伸びる細い道。一度跨いでから離れるように歩くのがいいだろうと、小走りでそこを横切る。
――と、足を踏み入れたとき。



「ガルルルル……」
(ひっ、!?)

突然の唸り声。
息を呑んで、ほとんど反射的に振り返ってしまた。
黒のごわごわとした毛皮、見るからに鋭い大きな爪、暗い赤色にぬらりと光る目玉。
食事の帰りなのだろう。口からはみ出るほど大きく鋭い牙が血で濡れていた。
姿こそ似てはいるが、野犬などといった可愛らしいものではなく、もっと陰湿な空気を纏った生き物が口から血を滴らせながら唸り声を上げている。

――こんな化け物、聞いたこともない。

咄嗟に昔見た、野生の熊に遭ってしまったときの対処法を教えるテレビ番組を必死に思い出す。

(クソ、もっと真剣に見とけばよかった……!!)

野生の動物は――。
ああ、そうだ、走るものを追いかける習性があったはずだ。
ばっちり合ってしまった目を逸らさないように、ゆっくりと後退する。
こいつを刺激してはいけない。

……音を立てれば終わりだ。

(あと、三歩……下がったら、一気に走る……)


3歩……

獣は動かない。
様子を窺っているのか、警戒しているのか……警戒なら、その方が都合がいい。

2歩……

ケモノ道から外れれば、木々や背の高い草が目隠しになる。
自分の身体が半分以上隠されたのを確認したとき、ガサリ、と音を立てて化け物が動いた。
どうやらこちらに興味を抱いてしまったらしい。

後ろ手で鞄から木の実をそっと取り出して右手のひらに握り込んだ。
トゲが皮膚を裂いて、血が一筋流れた。

(あいつの目をなんとか逸らさないと)

1歩……

ゆっくり、木の実を目の前に翳す。
それを小さく左右に揺らすと、赤い目玉が釣られてぎょろりと動いた。

すぅ……っ

肺いっぱいに空気を吸い込む。
チャンスは一度。距離は充分取った。
血の付着した木の実をゆっくりと大きく振りかぶり、

――――ヒュッ

視線が逸れる。


「……っ!」

その瞬間思い切り地面を蹴った。
数秒して、自分のものでない足音が後ろから追いかけてくるが、今度は振り返ることなく目の前の道なき道を走り続ける。
木の合間を縫いながら逃げてきたけれど、方向は間違うことなく来れたらしい。次第に、草の背は低く、木々の間隔がまばらになってきた。
自分の荒い呼吸音と足音に混じって聞こえる軽い足音。

「はっ、……っ」

(――まだ着いてきてる――!?)


こちらはもう、足がもつれそうになっているというのに。

視界が開ける。
足音はもう聞こえなくなっていた。
下り坂の緩やかなカーブを描く地面は、コンクリートでこそないが、人の手で整備されたちゃんとした『道』だ。

逃げ切れた、のか――?

足ががくがくと震え、立っていられない。体力が底をついたようだ。
心臓がうるさい。
腕を上げるのも億劫で、額を流れる汗もそのままに地面に座り込む。
きちんと整えられた道。
目の前に広がる風景の奥に畑と村の影を見つけて思わず涙ぐんでしまった。

この先に、人がいる。



――背後で、微かな音を聞いた気がした。




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