モビーディックの巨大な船体を揺さぶるそれが過ぎ去り、びしょ濡れの甲板はもとの喧騒を取り戻していた。
 威勢良く報告の声が飛び交う中、船員たちは多かれ少なかれ安堵の表情を浮かべながらまた自分の持ち場へと取り掛かる。
 綱吉も同じ様にほっとした表情で、今は凪いでいる海を眺めて身体の力を抜いた。船長に報告を終えた隊長2人がこちらに歩いてくるのを見て手すりに寄りかかっていた身体を起こす。廊下の壁の取っ掛かりに掴まっていたとはいえ、床に投げ出されないように身体を支えるのは酷く体力を消耗した。

「被害はほぼ0。もう少し気付くのが遅けりゃこうはいかなかったぜ。お手柄だったなァ、お疲れさん。」
「いえ、俺は感じたことを言っただけなので……。トルネードって、あんなにいきなり来る物なんですね。ちょっと怖かったです。」
「はは、ちょっと怖いで済ませるツナもスゲェと思うぜ!」
「ほんとにねぃ。あそこで腰抜かしてる若ぇ奴らに見習わせたいよい。」
「あはは……。」

 隅で兄貴連中に蹴飛ばされながら立ち上がっている船員数人をちらりと見て、綱吉は苦笑する。
 不本意ながら修羅場をくぐり抜け、銃弾と暴力に晒された日々はこの世界でも通用する何かをもたらしていたらしい。
 それが綱吉の新しい『家族』に褒められるとは。哀しいような嬉しいような、複雑な気持ちだ。

「さて、」

 そんな綱吉の心境を感じ取ったのか話題に区切りをつけて、サッチが言う。

「案内の続きといきましょうか! 昼飯時だからちょいと混むけどな。」
「そういえば途中だったねぃ……休まなくて大丈夫かい、ツナ。」
「あ、はい、平気です。」
「決まりだな。」

「あ、えーと、ツナ!」

 改めて船内へと続く扉を潜ろうとしたその時、背後から明るい、だがまだ聞いたことの無い声で呼び止められた。
 筋骨隆々、海の男を体現したような船員が、振り返ったまま固まってしまった綱吉の様子を気にもせず、笑顔のまま大きく手を振った。

「さっきはありがとよー!」
「すげぇな坊主、助かったぜ!」
「ありがとうな! 今度なんか奢ってやるよ。」

後ろに居る船員達も口々に言葉を投げ掛け、楽しげに笑ってから自分の作業へと戻っていく。

「やっぱり末っ子てのは愛される運命なんだよなーッ」

 なかば呆然としてしまった綱吉に、サッチが弾んだ声音のまま冗談目かして言った。




 そうして上機嫌に案内された食堂は、流石というか、かなり広く作られていた。入り口で厨房に入るというサッチと一旦別れ、マルコが先導役に代わる。さっきの騒ぎで皆駆り出されているのか、席の数に比べて人影は少ない。
 中は例に倣って天井も高く、物珍しさにキョロキョロと周りを見回しながらマルコの背に続いた。

「……まるで子犬だねぃ。」
「? マルコさん、何か言いましたか?」
「いや、何でもないよい。配給の列はここだよい。」

 ふわふわと重量に逆らう髪を揺らして小首を傾げる綱吉に、堪えきれずに頬が緩む。それをさり気なく隠しながら短い列の一番後ろに並んだ。トレーを二枚取り、一枚は綱吉に渡す。
 配膳されるのは主菜や副菜といったものだけらしい。主食はパンと白飯の選択制だ。マルコはパンを数切れずつ皿に取り、綱吉は見よう見まねでご飯をちょこんと盛る。同じ様にスープを取って、カウンターテーブルの前まで進んだ。
 マルコはコックから皿を受け取りながら、説明を続ける。

「基本的に配給は平等、急ぎの仕事を抱えた隊長連中が順番を譲ってくれるように頼むことはあるが、普段はこうして並ぶ。ある程度は量の調節もできるし、それで足りない奴は他の隊員と交渉することもあるねぃ。」

 ふと、マルコの前にいたコックが入れ替わった。金色のリーゼントが視界に入る。この半日で早くも見慣れた影だ。

「あとはコックと交渉するとかな。それから船医に食事制限受けた奴も別メニュー。というわけで、ツナはこれな。」
「ありがとうございます、サッチさん。」

 厨房に入る時に着替えたのだろう、先程とは形の違うコックコートを着たサッチが皿をいくつかトレーに乗せてくれる。量はかなり控えめだが、今の綱吉には丁度良い。

「病み上がりに肉と油はキツいから、代わりに魚の煮付けとマッシュポテトのサラダ、それからフルーツのクラッシュゼリー。無理はすんなよ、食べきれなかったらマルコの皿に移していいぜ。」

 パチンと送られたウインクに曖昧に笑って返すと、呆れた表情を浮かべたマルコがサッチの頭を軽く小突いた。

「なに言ってるんだい……先に席に着いてるよい。」
「へいへい、了解。あっ! ツナの隣りは空けといてくれよ!」
「知るか、座りたきゃ早く来るんだねい。ツナ、おいで。」

 さっさと背中を向けて歩き出すマルコに慌ててついて行く。
 そこで、あ、と思い立って振り返った。

「サッチさん、ご飯ありがとうございました。いただきます!」
「おう。よく噛んで食うんだぞー?」

 ひらひらと振られる手の平に綱吉もぎこちなく振り返して、少し先で足を止めていたマルコの元に小走りで駆け寄っていった。
 
「やっぱ超いい子だわ……。」

 ぼそりと響いたその言葉に、周りのコックや離れて見守っていた船員達もが同意するように頷いた。新しい弟は色々な所で無自覚に、兄貴連中の心を擽っていく。
 さて、と。そんないい子の隣の席に着くべく、サッチはおもむろに配給の手を早めるのだった。






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