まだ幼さの残る少年の白い背に、出来るだけ触れぬように薬を塗布する。聞けばまだ14才だというのに、泣き言はおろか、声の一つも上げようとはしなかった。
今までろくな手当てもされず放置されてきたのだろう。傷口が赤く腫れて熱を持っている。
痛々しいそれを丁寧に新しいガーゼで覆いながら、アリアはツナが医務室に担ぎ込まれてきた時の事を思い出した。
それはよく晴れた日、敵船と遭遇した白ひげ海賊団が清々しいほどあっさりと勝利を収めたその直後のことだった。
負傷者0という輝かしい数字に感心しつつ業務をこなしていると、いきなりバン!と大きな音を立てて扉が開かれたのだ。船医からの説教を恐れて、こんな事をするクルーは滅多にいない。あるとすれば、それは重症人を運び込む時くらい―――驚いて医務室内にいたクルー全員が振り向くが、扉を開けた張本人はそれに目もくれず、早足で船医の下へ歩いていく。
珍しく焦りを表情に出した一番隊隊長に呆気にとられてたアリアは、次いで彼の腕にまるで見覚えのない少年が抱えられていることに気が付いた。その足下に点々と落ちる水滴と血痕を見つけて慌てて立ち上がる。
「おいマルコ、ドアぐらい静かに開けられねェのか―――。」
カルテを手にした船医が不満げにマルコを見遣た。が、腕の中でぐったりと意識を飛ばしている少年を捉えた途端顔色を変える。強面を更に厳しいものに変えて、静かに問うた。
「何があった。」
「わからねぇ、空から降ってきたんだよい。その時にはもうこの状態だった。」
「……直ぐに処置する。そこに寝かせておけ。アリア、緊急手術だ。」
「分かりました。直ぐに準備します……!」
―――結論から言えば、命は助かった。
しかし、傷の上に傷を重ねられた身体は衰弱していて、その上泥水に浸かっていたらしい傷口は化膿してしまっていた。
暫く起き上がることも難しいという。
中でも特に酷かったのは両足の刀傷だった。
バッサリと腱を切られ、どんなに懸命なリハビリを経てももう走ることは出来ないだろう。寧ろ、この傷で失血死しなかった事が奇跡だ。
「……こんな小さい子が、なんでここまで傷付けられなきゃならなかったのかしら……。」
銃創。火傷。刀傷。打撲痕。どれも荒くれ者の海賊達だって泣き叫ぶような、深い傷だ。拷問の跡にも似ているが、目的を持って付けられたというよりは、寧ろ―――。
何にせよ、15にも満たないような少年が受ける傷ではない事は明白だった。
「……アリア、この子どもの担当を任せる。」
「え?」
船医の言葉に目を瞬く。
こういった重傷患者は船医が担当するのが常なのだが。
「男に恐怖心を持っている可能性がある。目が覚めて、暴れられても困るからな。感染病患者用の個室にベッドを置いてやれ。」
それは、少年に性的暴行の痕跡があったからだろう。胸に苦しいものを感じながら「分かりました」と船医に伝える。
船医は、壁際で眉をひそめながら処置の様子を見ていたマルコへも顔を向けた。
「これの処遇をどうするのかは知らないが、不用意に近づくなよ。パニックを起こされたら傷に障る。」
「ああ。他の奴らにもそう伝えておくよい。」
「……それで?」
「あぁ?」
「空から降ってきたってのはどういう事だ。」
「ア、アリアさん……っ」
耐えきれなくなってしまったのだろう、ふるふると小さく震える身体を見て、思考の中から引き戻された。
「すみ、ません……おれ、もう……っ」
顔色が悪い。アリアは側に置いてあったブランケットを身体をくるむように掛けて、そっと柔らかい髪を撫でた。人肌の感触を怖がる少年が怯えないようにゆっくりと言葉を紡ぐ。
「分かったわ、休憩にしましょう。何か温かい飲み物を貰ってくるわね。」
「ありがとう、ございます……。」
―――この子どもには、もう辛い目にあってほしくない。
青ざめた顔で微笑む、どこか儚さを感じさせるツナの姿に、そう強く思った。
――――――
zero-0-
全ては始まったばかり
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bkm