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 12歳の誕生日。その日俺は森へ出掛けていた。
 鏡の前でウィッグをしっかり被って、眼の色は母さんの魔法で変えて貰って。念のためにとフードを深く被って目元を隠した。
 絶対バレない格好で前日に見つけた『穴場』から、家への帰路を急ぐ。日暮れまでに家に帰る約束だった。

「母さん、喜んでくれるかなぁ。」

 小さなカゴいっぱいに入れた果実は母さんの好物だった。摘みたての小さく膨れた赤い実は、ふんわりと甘酸っぱい香りを漂わせている。
 カゴをひっくり返さないよう気を付けながら歩き慣れた道を進み、ようやく木々の隙間から家が見えたとき、ふと感じた違和感に足を止めた。
 ―――玄関のドアが開いている。
 よく見れば入り口の植木鉢が倒れたまま放置されており、溢れた土が石畳を汚していた。
 こんな事を几帳面な母さんがするとは思えない。

 背筋が冷たくなるような嫌な予感がむくむくと湧き上がってきて、俺はそっと木の陰から出た。玄関ではなく、裏口に回る。

「母さん……?」

 カゴを抱き締めたまま、細く開けた扉から中を伺った。ひっくり返った椅子に倒れたテーブル、物が散乱して足の踏み場も危うい程だった。
 サーッと血の気が引くのが分かった。異常な事が起こっているというのを否応無しに理解した。ふらふらしながら物を避けて、母のよく座っている窓辺に向かう。

「……なん、で………」

 母さんは確かにそこに居た。差し込む西日に照らされて、その胸元がやけに赤く濡れて見える。震える腕からカゴが滑り落ちた。母さんの足元を赤い実が転がって、同じ色をした水溜まりの中に浮かんだ。
 駆け寄ることも出来ずに、恐る恐る近寄って、膝を折る。抱き起こした身体はまだ暖かかった。

 ミシリ、と床が鳴る。

 振り向いて見上げると、其処には髭面の男が立っていた。汚らしい手に、赤く濡れた包丁が握られている。

「お前が、母さんを………」

 男は唾を飛ばして何か喚いていた。そこの女、抵抗、自業自得……そんな単語が聞こえた気がする。
ギャーギャーと一通り騒ぎ終えると、満足したのか男は赤い包丁を振りかぶった。
 こんな男に、俺は殺されるのか。せめて母さんをこれ以上傷つけられないようにと、抱き締めた腕に力を込める。目を閉じる寸前、振り下ろされる包丁の切っ先が陽に赤く朱く光って見えた。



 ごとん、と何か落ちる音がした。

 覚悟していた痛みはいつまで経っても訪れず、ゆっくりと目を開ける。
 男の身体、短い足、穴の開きそうな靴、そこで、濁った目を見開いた髭面と眼が合った。
 ドスンと倒れた男の背中に離れた頭が潰される。ねっとりした液体が水溜まりを広げた。

 ―――何が起こったのか。

 解るのは目の前の人間がたった今死んだ事だけ。
 ふいに、差し込む西日が遮られた。自分の影に重なってもっと大きな影が伸びる。
 窓と自分の背中の間に、誰かが立つ気配がした。

「覚醒の兆しを感じて来てみれば……。」

 村の誰とも違う、落ち着いていて低く響く声だった。
 パチンと指を鳴らす音と共に男の身体が消える。母さんに教えて貰った、無言呪文という言葉が脳裏を過ぎった。

「下賤な輩が―――に触れるんじゃねぇよ。」

 小さく忌々しげに呟く声は俺の正面に移動し、そこで初めてその姿を見た。朱みを増した陽に照らされた、俺と同じ色をした『ナニカ』。
 艶やかな夜の色を纏ったその人はゆっくりと俺に手を伸ばす。指先が喉に触れた。

「あなたは、誰―――?」

 言い終える前に走った熱さと小さな痛みに、口を閉じて顔をしかめた。指先がツ―――と胸元に降り、また小さく痛みが走る。
 不思議と恐怖は感じなかった。

「誰、か………誰だろうなぁ。」

 何が楽しいのか、『ナニカ』はくつくつと笑いながら、左の鎖骨の下を撫でる。

「これは証だ。お前がもう少し大きくなったら、迎えに来る。」



 ―――その後の記憶は無い。

 気が付いたら、村長が必死に俺の肩を揺すっていた。いくら呼び掛けても反応が無く、ただただ宙を見つめていたらしい。

 母さんは俺に抱かれたまま冷たくなっていて、血も完全に固まってしまっていた。
 ぼんやりとしながら、せめてお墓を用意したいと思った。でも、俺だけではきっと時間が掛かりすぎてしまう。
 だから目の前の村長に協力を頼もうと、口を開いて―――何も言えずに、唇を閉じた。




 その日、俺は声を失った。





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