(シムカタ前提で片山と畑・ハタカタ表現有り)
唇と唇を合わせたら、カチャリと磁器を合わせたような無機質な音がした、気がした。
片想いとは言え、別に避けられてるわけでも嫌われてるわけでもないから、普通に2人で呑みに行ったりもするわけだ。
ただたまたまちょっと度が過ぎて家に連れ込んだだけ。
そもそもそういうことだって別段珍しくないし、そりゃあ好きな相手だから、全然意識してないと言えば嘘になるけど。
『まだ帰りとうないねん』
とろんと伏せられた目元と上気した頬で拗ねたように呟かれる殺し文句。
『せやかてお前、今帰らんと終電なくなるで』
『タクシーあるやん』
『俺に払わせる気やろ』
『駄目なんー?』
『俺かてお前と同じ給料日前じゃボケ』
『けど今呑み屋来てるやろ』
『お前がどうしてもて言うからや』
ワガママいっつも聞いてんの、俺やん。
なぁ、気付いてんの?
『あーやっぱまだ飲み足りん』
誘導尋問、と言われるだろうか。
『じゃあさ、俺ん所で宅飲みは?』
終電降りて駅から出たらコンビニで酒を仕入れてアパートまで歩く。
吐く息が白い。
片山は、顔周りにまとわりつくフードのファーを時折鬱陶しそうに手で払っている。
俺はと言えば、何が起こるはずもないのに、どうしてもドキドキしていた。
『ほら着いたでー』
『んー。お邪魔ー』
足取りこそふらついていないが、顔色や言動から察するに相当酔っているように見える。
スニーカーを狭い玄関に脱ぎ捨て、まっすぐに正面の部屋に向かう。
その靴を揃えるのは俺の役目だ。
『畑、酒』
『うっさいわ、さっさと潰れとき』
偉そうに、部屋にどっかりと胡座をかいた片山が俺…というか酒を呼んだ。
それにしても今日は特別ぐずる気がする。
だが甘えられるのが嬉しいのは男の性で。
缶がゴロゴロするコンビニの袋を持って、片山の元へ向かった。(距離にして、約四メートル)
『もーな、よう分からへんわ』
『あ?』
『どんだけ一緒居っても、何考えてるんか分からん』
『………』
『時々な、むしょーに不安になるん』
『………』
『乙女みたいやんな』
あぁ、なるほど。
何か様子がおかしいと思ったら。
あいつが原因か。
自分を乙女だと揶揄した顔は、形として笑ってはいるけれど辛そうで、まさかあり得ないけれどこいつが泣き出すような気がして、それから何かどす黒く中身のない感情が湧いて俺の心臓は無酸素運動みたいなひどく能率の悪い鼓動を繰り返した。
そんな顔、反則だ。
俺の想いを感づいているとしたら余計に。
『なぁ、俺じゃだめなん?』
『は?あり得へん、ないない。シムさんのがよっぽどかっこえーもん』
『…っそ』
なんだそれ。
俺惨めすぎる。
『畑じゃなーシムさんにはかなわへんねん』
『…そんなの、』
『シムさんめっちゃ上手いし』
これ以上聞きたくない。
『そんなの、試してみな分からへんやんけ』
『……は?』
『俺よりシムさんのが上手いとか、試してみな分からんやん』
『…………、じゃあ、試す?』
そして話は冒頭に戻る。
そっと合わせた唇をそっと離して、恐る恐る目を開けると一切の色を持たない無感情な目とかち合った。
「……ふうん…………」
感想ともとれない声を漏らし、片山は只でさえ細い目を細めた。
冷や汗がどっと溢れごくりと唾を飲むと、重りのようなものが胃に落ちる。
片山の薄くて柔らかい唇に心底興奮した。
(目ぇ、瞑ってくれた)
中学生かってくらい単純に、バカみたいにドキドキしている。
片山の肩を掴む手に力が籠もった。
「もっかい、えーか?」
「……」
返事の代わりに片山は無言でまた目を瞑った。
了承の意と心得てそのまま唇を押し付けたら、歯をぶつけそうになってしまったが。
酔って気が大きくなっていることと興奮していることが手伝って勇気を出してさっきよりほんの数秒長く、強くキスをする。
流石に舌を入れたら怒られる気がして、そしたらわき腹に独特の感覚が走りびっくりして唇を離した。
そこを見ると、片山が俺のTシャツの裾から手を差し入れている。
えっ、と思う間に、片山の指先は俺の背筋をつつとなぞった。
「か…、カタ?」
ぐるぐる。ぐらぐら。
目眩でもしてるようだ。
酒のせいなのか、現実と受け入れがたい今の状況のせいなのか。
片山がじっと俺を見る。
腰がピリピリと痛んで、爪を立てられたことが分かった。
「………っ、」
俺も片山の脇から震える手を差し入れぎゅうと目を瞑った。
この手を、今ならこいつの背中に回してもいいのか。
ぐ、と腕を動かそうとした瞬間、
片山が俺のTシャツから手を抜いた。
「やっぱやめ」
「え」
すとんと抜け落ちた手のひらは床にぺたりとだらしなく着地した。
一呼吸置いてから、片山は立ち上がって「シャワー借りるで」と言った。
「あ、着替えないんやった。畑の借りてもええか?」
「…ええけど、人の下着着るて嫌やないんか」
「別に。今更お前に遠慮とかせーへんわ」
「じゃあ置いとく」
「おおきにー」
シャワーに向かう背中を見る気にもなれなくて、額に手を当て鼻から溜め息を漏らす。
後悔した。
見せつけられたのは距離と差。
むしろ突き放されたかもしれない。
なのに、どうして自分はこんなに好きなんだろう。
望みのカケラすら塵みたいなもんで、それでも捨てきれずに温めて。
想いは膨らむ。湧き起こって昇ったら、せききったように溢れ出す。目頭が火照って漏れだした。
握った拳の上に生温い滴が溶ける。
いくら後悔しても選択肢は増えないなんて。
「く、そ……っ」
有り得ない。