▼こちらからどうぞ!

はっはっ、と短い息遣いがやけに耳へと響く。
心臓が五月蝿くて敵わない。汗が顎から伝う感覚が気持ち悪い。それを拭おうと混乱する脳で腕を動かそうとしてみるも、力が入らない。そうでなくても羅遠が腕を握って抱きすくめているので動かなかった。
現在、燈室リウは神座羅遠に強く抱きしめられているのであった。
こうなった経緯を酸素が足りないせいでぼんやりとする脳みそで必死に考える。今日は家庭科の授業で、出たくなかったけどラオの料理する様を見ていたくて、そしたら家庭科担当の教員が燈室も何か手伝えと、この手に包丁を無理矢理握らせて、それで、そして、そうしたら――。
急にあの男の、あの日の映像がフラッシュバックして、どうしようも無い恐怖に、ああ、あああ!!と意味も無い音を口から零しながら羅遠の腕の中でがむしゃらに暴れた。

「――っ、リウ、リウ……!」

大丈夫だから、だから落ち着け、とラオが何度も声を掛けてくれるが、リウには届かない。尚も暴れるリウに、羅遠が更に強くその体を抱きしめると、何かぬるっとした物がリウの腕に触れていることに気が付いた。赤黒いそれは、羅遠の血液だった。それを確認した途端、リウは動きを一切止め、そのまま眠るように静かに意識を落としていった。「ごめんなさい、ごめんなさい」と仕切に呟きながら。


*


「もう大丈夫なのか」

ぼんやりと何処か遠くを眺めているリウに声を掛けると、ゆっくりと視線を合わせ「うん、もう大丈夫」と少しだけ笑顔を浮かべて言うのだった。本当は大丈夫じゃない癖に、と詰ってやりたかったが、ここは抑える。

「……先生や皆、ビックリしただろうなぁ」

あーあ、と苦笑するリウは、いつもの覇気が足りない。いつもの笑顔なのに、見ていてとても痛々しかった。頼むから、もう笑わないでくれと言ってしまいたいくらいに。

「ビックリした、所じゃ無いだろう……」
「嗚呼そうか、気味が悪い、かな。急に叫んだり、包丁振り回したり、イカレてるってのが正しいか」

クスクスと全然笑っていない目で淡々と言葉が紡ぎ出されていく。見ていて痛々しかった。

「……もうこれ以上、自分で自分を傷付けるな」
「……」
「誰もお前のことをそんな風に思わない。それ程クラスの奴らは薄情に見えるか」
「……違うんだ。違うんだよ、ラオ」

ふるふると力無く首を横に振りながら、リウは包帯に巻かれた俺の左手を取った。

「実際にオレはおかしいんだ」
「一体何処がだ」
「おかしいんだよ、ラオ」
「……理由を話せ。――否、話したくないならそれでもいい。ただ自分を卑下するのは止めろ」

左手を焦点が合っているか分からないような目でじっと見つめたまま、リウは動かなくなった。カチ、カチ、という時計の音がやけに辺りに響いている。暫くして、リウが口を開いた。

「オレは、父親を殺したんだ」


*


オレの父親は酒とギャンブルと女に溺れた、所謂ろくでなしだった。母親の顔はよく覚えていない。多分ハーフだったんだろうと思う。きっと父親が何処かで引っ掛けてオレを孕ませたんだ。母親はオレを産んですぐに父親の元からいなくなった。父親はオレが邪魔で仕方が無かったらしい。オレはすぐに父親の実家に預けられた。そこでもろくでなしの息子のオレは邪魔者だった。食べ物は与えられたけど、ある程度まで育てば家事の殆どを押し付けられた。学校に行ける年になると、学校に行って、帰ってくれば家事。楽しみも何も無い、それだけの毎日だった。
ある日、とても運が悪いことに、学校の帰りにろくでなしの父親と遭遇した。そのまま有無も言わさずに父親の家に連れて来られた。その日から父親とオレの二人での生活が始まった。オレは父親の言うことを何でも聞いた。聞かないと殴られるからだ。言うことさえ聞いていれば殴られない――たまに失敗して殴られるだけで済んだ。この頃には多分、オレの心は死んでいた。
そんな生活が1年くらい続いた時、父親が何か小さくて柔らかいものを持って来た。赤ん坊だった。また女を孕ませて押し付けられたのかと呆れながら、大して興味も無く赤ん坊の顔を覗き込んだら、笑ったんだ。初めて目にした、荒んだ目のオレに向かって。小さな手で指まで握って。その時から赤ん坊はオレの希望だった。初めて誰かの為に何かしてやりたいと思った。心の底から。
弟が出来てからオレは少しだけ前向きになれた。相変わらず、盗みも、他にも色々してたけど。この頃になると失敗はしなくなったけど、父親に腹いせに殴られることが多くなった。それでも痛くなんてなかった。弟に手を挙げられるよりずっとマシだった。
でもある日、学校から帰って来ると、父親が小さな弟の首を締め上げようとしていた。夢中で父親に飛び込んでその手を離させて、弟の安否を確認した。弟は何とか無事だった。ほっとしたのもつかの間で、オレの行動にブチ切れた父親は台所から包丁を取り出して来た。弟を背にして父親と距離を取っていったけど、狭い部屋の中じゃあすぐに壁に行き当たった。父親が包丁を振りかぶって、それを避けようとしたけど腹に当たって。庇ったんだけど、弟の左目の少し上辺りも赤い線が走っていた。
――それから気付いたら血まみれの、父親だった体が目の前に横たわっていた。オレの手には父親が手にしていた筈の包丁が握られていて、それも真っ赤に染まっていた。
そこから先はあまりよく覚えていない。気が付くとオレと弟は施設に居て、オレは無気力な毎日を過ごしていた。暫くはすぐにあの日の映像がフラッシュバックして、オレはしょっちゅう暴れてた。
何年もしてようやく落ち着いてきたけど、包丁だけはどうしても握れなくなった。包丁だけじゃなく平たい刃物も駄目だった。一度施設でやらかして、何人もの大人がやっとで抑えられた。
高校に入って施設を出て、ああ、これでやっと迷惑掛けずに済むんだって心底ほっとした。弟を施設に残したままなのは気掛かりだけど、それでもオレが傍に居るよりはずっと良い。
オレはもう、何も愛す資格なんて無いから。


*


「――もう、やらないって思ったんだけどな」

愕然とした。言葉が出ない。
それは普段のリウからは想像も出来ない、壮絶な過去だった。否、薄々は感づいていた。リウの後ろにずっとついている、その真っ黒な影に。

「やっぱり駄目だった。ラオに出会って、決心が揺らいじゃった」

あはは、と一つ笑うが、すぐに無表情に戻って、リウは俯く。最後の方なんかは声が震えて情けないったらなかった。

「ごめん、ラオ。本当、ごめん……ごめんなさい……」

俺の左手を震える両手でぎゅっと握り締めるリウを見て、ようやく分かった。この不器用な天邪鬼は誰かを愛し、愛されたかったのだ。

「ごめんなさ……」
「リウ、聞け」

俯く顔を両手で挟んで向き合うようにさせる。それでもリウは頑なにこちらへ目を合わせようとはしなかった。

「……リウ、目を合わせろ」

そう言って辛抱強く待っていると、やがて怖ず怖ずと目線がこちらへ向き、逸らされないようもう一度頬を両手で挟んでしっかりと固定した。



尻切れだけどここまで_(:3」 ∠)_

2012/02/07 12:27 (0)

prev | top | next


「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -