決意を固める
台所にて、お弁当箱を取り出しながら深呼吸を一つ。このあと伊織は、孝支の部屋に行かねばならないのだ。及川と自分の関係について、あれ以上何の話をするのかはよくわからないし、孝支があんなに伊織と及川の関係を気にしている理由もよくわからない。しかし、唯一わかっていることがあった。これが謝るチャンスであるということだ。これを逃すと、伊織は一生孝支に謝れない。それだけは間違いないと思った。

「伊織? 怖い顔になってるわよ」
「……ちょっと、緊張して」
「孝支とお話するだけでしょ? お弁当箱はあとで洗っといてあげるから、さっさと行ってきたら?」
「心の準備がまだ!!」
「そういうときの伊織の心の準備は、いつまで経っても終わらないじゃない。ほら、早く!」

母の正論に言い返す間もなく、台所を追い出されてしまう。お弁当箱を洗ってもらえるのはありがたいけど、今日ばかりは素直に感謝できない。

廊下に出てきたものの、孝支の部屋には足が向かない。このままここでぐずぐずしていたって仕方がないのだが、それでも行く気にはなれなかった。決心がつかないのだ。「失敗したらどうしよう」そんな考えが頭の中いっぱいに広がっていた。

(でも、あんまり待たせるとこーちゃんが呼びに来るよね……)

呼びに来た孝支に、心の準備がないまま無理やり連れていかれるよりは、自分から出向く方が1000倍マシだろう。
伊織は意を決して、階段を一段一段ゆっくりとのぼっていく。動悸が激しいし、手にはじっとりと汗が滲みだす。なんだか胃まで悲鳴をあげているような気がしてきた。

「大丈夫、大丈夫……。さっきはちゃんと話せてたし……!」

小声で自分を励ましてなんとか階段をのぼりきる。富士山登頂に成功したかのような疲労感と達成感だが、実際は自宅の一階から二階に移動しただけだ。
階段をのぼって突き当たり、孝支の部屋の前に立つ。部屋の前に立つことすら、いつぶりだろうか。
胸に右手をあて、鼻から大きく息を吸い込む。新鮮な空気で肺をみたしてから、三秒息を止め、そして一気に脱力し息を吐く。緊張した時に行う伊織のルーティンだ。高校受験のときも、みんなの試合前も、絶対に落とせないテストの時だって、このルーティンをすることで少し落ち着けた。今日もきっと大丈夫だと自分に言い聞かせて、ドアを見据える。

(いざ、勝負!)

コンコンコンとドアを三回ノックすると、中から「どうぞ」と孝支の声。普段通りの声の調子だ。孝支の声を聞いてほっとすると同時に、少し苛ついた。

(私はこんなに緊張してるのに、なんでこーちゃんは普通なの!?)

もちろん、これが八つ当たりでしかないということは伊織も自覚している。緊張が行き過ぎた故の理不尽な怒りだ。しかし、「この場においては、この怒りは必要なものだったのかもしれない」と伊織は、後日思った。この時、意地っ張りで素直じゃない伊織は、理不尽な怒りのままにドアを開いたのだった。この怒りがなければ、ドアを開けるまでに更に時間を要していたのは言うまでもない。

「お邪魔します!」
「お、おう」

菅原伊織、一世一代の謝罪が始まろうとしていた。



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