03
「ねぇねぇカトーあとどれくらいで着く「ゴトーだ。それから敬語」
「……あとどれくらいで着くんですか教えてくださいなカトーさ、っんぶ…!!!」
「引っ叩くぞ見習い」
「ひっぱたいてから言わないでよ…!!」
スパンッと小気味いい音をたてて決まった頭への平手打ちは、かなり痛かった。
くそう、ちゃんと堅ができればこんなに痛い思いをしなくて済むのに。
まぁ、その堅と無意識にしか使えない硬を修得するための修行を、これからしていくんだけど。
「ねぇ、ほんとにまだ……なんですか?」
「もうすぐだ。黙って付いてこい」
「…はぁーい」
ゾルディック家では、まだ念を知らない坊ちゃま達の近くで不用意に念を使うのは御法度らしく、修行は本邸はもちろん執事室からも離れた樹海で、というのが暗黙の了解らしい。
それを知らずに執事室のすぐ傍で、先日習った硬の修行をしようと念を使った私は、ゴトーにいつもより厳しい折檻を受け……はしなかったけど、顔面を思い切り強く掴まれて、
「キルア様が近くにいるのがわからねぇのか!!?あ゛!?」
なんて、かつて無いほど真剣に怒られた。
ゴトーのそんな雰囲気に飲まれたわたしがこれまた珍しく素直に謝れば、ゴトーはなにやら複雑そうな顔をして。
そのまま目を逸らしてチッと軽く舌打ちをしたと思えば今度は、付いてこい、と一言だけ残してずんずんと歩いて行ってしまった。
ゴトーが怒ってるのか呆れてるのかはよく分からないけど、怒鳴られっぱなしも気まずいので、とりあえず言われたとおり付いて行くことにした。
それがほんの数十分前の出来事。
「なにボケッとしてんだ。着いたぞ」
「…うんわぁー…ひろーい……」
目の前に広がる、ぽっかりと拓けた広場のような場所。
樹海の中とは思えないほどすっきりとしたその空間は、なんとなく神秘的にも思える。
「……デートスポットかなんかですか、ここ」
「何が悲しくてオレがてめェをわざわざデートスポットに連れて来なきゃなんねェんだ?あ?」
「アハハーやだなぁ冗談ですって。カトーさんとデートなんてむしろこっちから願い下げってやつでっ、ぶむぐっ!!!」
「敬語使えばなんでも許されるわけじゃねェからな」
「ん゛ー!!ん…っん゛ん゛ー!!!!」
避ける間もなく片手で口と鼻を覆われて、酸素を絶たれた。
まずい、死ぬ、
これは普通に死ぬ…!!
「―…っ、ぷ、ぶはあぁっ!!!」
酸欠で意識が飛びそうになったギリギリ一歩手前で、ゴトーがわたしの顔面から手を離す。
急激に肺へと入ってくる大量の酸素に咽せながら、わたしはそのまま地面にへたり込んでしまう。
「げぇっほげぇっほ……、おっふ……うぇぇぇ………し…死ぬかと、お、思った……」
「念能力者があの程度で死ぬわけねェだろ」
「いやいやいや死にますよ酸素絶たれたら念能力者だろうがなんだろうがお陀仏ですからバカですかカトーさん実はバカですか」
「馬鹿馬鹿うるせェぞ馬鹿女」
「いだっ……!!!」
頭にゲンコツ一発。
そんなシンプルな攻撃はどうしてなかなか、威力抜群だ。
「何悶えてんだ、さっさと立て」
「っ〜……っ、………!!!」
なんて無茶を言いやがるこの鬼畜。
こちとらあんたのせいで修行の前に既に満身創痍だっていうのに。
「ここならキルア様達は滅多に近付かねェ。土地勘がつくまで、念の修行はここでやれ」
「…………、」
「返事」
「…はぁい」
確かに、ここなら本邸からはかなり離れているし、あの馬鹿みたいに重い修練の門からも適度な距離を保っているから、坊ちゃま達に念の修行を見られることはまずないだろう。
…口頭で伝えるだけじゃなくてわざわざ連れてきてくれる辺り、ほんっとうに微量だけど、ゴトーには感謝しなければなるまい。
「おい、なに呆けてんだ。さっさと始めろ」
「……なにを?」
「馬鹿か、修行以外に何がある」
「え……」
言いながら、近くの木にもたれて座り込むゴトー。
え、なに、この状況。
なんで座り込むの、
なんで帰らないの、
なんで見守るかんじなのお願いやめて。
「…あの、場所はもう覚えたんで、ひとりで大丈夫…です」
だから帰れ、と言い切りそうになったけど、寸前でこらえて言葉を胸にしまう。
「いいからさっさと始めろ。時間が惜しい」
「………はい」
…時間が惜しいなら早く帰ればいいのに。
なんでわざわざわたしの修行の見物なんて……。
「集中しろ、オーラを乱すな」
「…はぁい」
「あと肩の力を抜け。自然体が一番オーラを制御しやすいからな」
「…はい、」
…見られている感覚は嫌だけど、どうしてなかなか。
アドバイスは的確。
ゴトーは体罰がかなり激しいけど指導力には優れていると思う。
面倒見も、まぁ、……それなりに。
何より、ゴトーの主に対する忠誠心は本物だ。
そこだけは尊敬してなくないこともないような気がしなくもない。うん。
ほんとにそこだけ、だけど。
「……なに百面相してんだ気色ワリィ」
「いーえ、べつになんでも」
「…あんまりふざけてると喰われるぞ」
「はいはいすみませんー………って、…ん?喰われる?」
一体なにに、と言おうとした瞬間、樹海の奥から不穏な気配を感じる。
「っな、……な、に…」
ゆっくり近付いてくる気配と足音。
徐々に明らかになってくる狼のようなシルエットを見て、一気に血の気が引いた。
だって、規格外だ。
人ひとりなんて余裕で丸飲みに出来てしまいそうなほど、大きな口と体格。
喰われる、なんて言葉も妙に納得してしまう。
光の見えない無機質な目が、不気味でしょうがない。
「っ……、…」
突如現れた未知の恐怖で、全身がおかしなくらい震え出す。
「あ…、…ぁ………っ!」
「……落ち着け、***」
崩れ落ちそうになった身体を、背後から支えるように優しく抱きとめられる。
不安に負けたわたしは相手があのゴトーだということも忘れて、縋るようにその腕に抱き付いた。
「っ、ねぇ、あ…あれっ、あれなんなの……?」
「だから一旦落ち着け。大丈夫だ、襲ってはこねェ」
「ほ、ほんとに…?」
「あぁ。こいつはゾルディックの番犬だ。敵意を向けない限り、執事には攻撃してこねェようになってる」
部外者は躊躇いなく食い殺すがな、
なんて、ひどく物騒な言葉を付け加えるゴトー。
食べるんだ、
やっぱり人間食べるんだ……
「普段は門の傍にいるが…気配やオーラを感じるとこうして寄ってくる。これからもここで修行するなら、今のうちに慣れとけ」
「な、慣れとけって、そんな無茶な…」
「…まぁ、今すぐにとは言わねェ。次ここに来るときは必ずオレに声掛けろ。慣れるまでは付いててやる」
「え…」
「なんだ、不満か」
「や、その……不満、は…ない、ですけど…」
…なんだろう、この違和感。
スパルタ教育がすっかり身に付いてしまっているせいか、突然の優しさがひどくむず痒い。
鞭が極端すぎると、飴にまで警戒を抱くようになってしまうらしい。
「オレを盾にしてミケを遮りながら修行するか、ミケにビビりながらひとりで修行するのか、3秒以内に選べ」
「っ、次の修行も!ぜひご一緒に!お願いします!!」
「…あぁ、いい返事だ」
ゴトーはそう言ってかすかに笑うと、わたしの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
あの恋に落ちるきっかけとして有名な頭ぽんぽんをされたのだから、乙女としてここはときめくべきところなんだろうけど、どうしてなかなか難しい。
急に優しくなったゴトーにはときめき云々より、強烈な違和感しか感じられない。
むしろなんというか、
「……優しさが不気味」
「よし、やっぱりてめェはひとりで修行しろ」
「ごめんなさいつい本心が……って見捨てないでください…ちょっ、お願いだから置いてかないで…!!」
行かせまいとゴトーのスーツのジャケットを両手で鷲掴めば、お返しと言わんばかりに頭を両手で掴まれるというか容赦なく握り潰された。
「い、ったぁいィィィィイ…!!!」
「なら離せ、服が千切れる」
「あんたが帰らないって言ったら離す…!!」
「あ?」
「…離すます!!です!!」
「…っは、なんだそりゃあ」
少しだけ目を細めて、ゴトーが笑う。
こんなやりとりを、少し、ほんの少しだけど楽しいと思ってしまうわたしは、きっとどうかしてるんだと思う。
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