人にはちょっと言えないようなお仕事を終えて、いそいそと家路につく。


最近同棲を始めた彼が私の帰りを待っていてくれてると思うと、疲れを忘れるくらい浮かれてしまう。


彼の優しい「おかえり」の一言を想えば、私の足取りは不思議なほど軽やかになるのだ。


彼とお揃いで買った某黄色いクマのキーホルダーが付いた鍵で、玄関扉を開ける。



「ただいまダーリン!」


「おかえりハニー◆」


「………は、?」



家に上がることなく、開けた扉を閉める。


…見間違いだろうか。


愛しのダーリンが一瞬あの変態ストーカー…もといヒソカに見えた気がするのだけど。


……ううん、やっぱり気のせいだわ。


きっと仕事続きで疲れてるのよ。


さぁ、早くこの疲れをダーリンに癒やしてもらわなきゃ。



「…ただいまダーリン!」


「おかえりハニー◆、…って何回やるんだい?この茶番」


「な……」



あぁ、なんということ…


玄関先で私を待っていたのは、愛しのマイスウィートダーリンじゃなくて、正真正銘本物のストー…じゃない、本物のヒソカ。



「ど、どどどうしてあなたがうちに…!というかどっから入って…」


「キミの新しいダーリンが教えてくれてね」



ほら、なんてヒソカがどこからともなく取り出したのは、クマのキーホルダーが付いた家の鍵。


一瞬偽物かとも思ったけど、お揃いで買ったあの某黄色いクマのキーホルダーが、あれはダーリンの物だということを物語っている。



「…ダーリンに何したの?」


「うん、いいねぇその表情。…興奮する◆」


「っちゃんと答えて!」


「安心しろよ、殺しちゃいないさ」



前の恋人を殺しかけたときは、キミに散々怒られたからね。


なんて、にやにやと厭らしい笑みに、背筋が震えた。


死んではいないにしろ、ダーリンは無事ではないのだろう。


きっとダーリンはこのストーカーから私を守ろうと必死に戦って敗れ、動けないほど手酷く痛めつけられて、挙げ句鍵を強奪されてしまったに違いない。


想いを告げあったときにも彼は、ストーカーなんて自分が退治してやる。私を一生守ると言ってくれていた。


あぁ…ごめんなさいダーリン…


私を守ろうとしたばかりに…っ



「ホント、なんもしちゃいなかったんだけど。キミに関することを尋ねたら、顔を真っ青にしてすぐ逃げちゃってさ。鍵はその時ご丁寧に置いていってくれたんだ」




………………………。




「……嘘、」


「残念ながら本当◆」


「………」



ストーカーの言葉なんて信じたくないし、信じる価値もないのだろうけど。


目から、声色から、仕草から、


なんとなく、嘘じゃない気がした。



「……あの男…」



頭がどんどん冷めていく。


なによ、一生守るって言ったくせに。


恋人見捨てて尻尾巻いて逃げるとかどんだけよ。


そんな薄情な男をダーリンなんて呼んでいたなんて、自分で自分を笑いたいくらいだ。


そう思っていれば、ヒソカは私の心を読んだかのように、くつくつ声を上げてと笑った。



「だからやめとけって最初に言ったのに。あの程度のヤツじゃキミとは釣り合わない」


「っあなたの妨害がなきゃうまくいってたかも知れないわよ…!」



事実、ダーリン改めあの男とは、少なくとも十数時間前までは相思相愛の仲睦まじい恋人同士だった。


…だった、と思う。


…………。


…………そういえば、あの男の名前はなんて言っただろうか。


出会ってから今までの2ヶ月間、馬鹿みたいにダーリンダーリンと呼んでいたから、正直あまりよく覚えていない。


ヒソカに殺されかけた元恋人の名前も、その前もそのまた前も、実はもうほとんど覚えていないのだ。


そんなことを考え出せば、ヒソカに対する怒りとあの男に対する表し難い激情で溢れていた脳が、急速に醒めていくのを感じる。


未だに手に握ったままのお揃いというだけで愛しさすら覚えていたキーホルダーも、今となってはなんの可愛げもない異色のクマにしか見えない。


…まぁ仕方ない、昨今の若者の恋愛なんてそんなものだ。


なんて、結局妙に落ち着いた考えに行き着いてしまった。



「…もういいわ。なんかどうでもよくなっちゃった」



怒るのも馬鹿馬鹿しい。


というか怒ったところであの変態ストーカーを喜ばせるだけだ。


何が悲しくて肉体的にも精神的にも疲れ果てた状態で、ストーカーの相手なんてしなければならないのか。



「ほら、私の恋路の邪魔はできたんだから早く帰った帰った」



出来れば道中、暴走した暴れ馬に蹴られて死んでしまえ。



「つれないなぁ。これだけ想ってるんだから、そろそろボクを見てくれてもいいんじゃない?」


「その人が好きだから無理矢理にでも恋人と別れさせるっていうのはね、世間一般ではただの嫌がらせって言うのよ」


「そうかい?ストレートな愛情表現のつもりなんだケド…」


「あなたのはストレート過ぎるのよ…」



愛情表現が真っ直ぐすぎて逆に狂ってるなんて、笑えないわ。



「…でも、嫌いじゃないだろ?」


「っ……」



一瞬で間合いを詰められて、ひゅっ、と息が詰まる。



「ねぇ、***」



微かに狂気をはらんだような甘ったるい声で私の名前を読んだのと同時に、ヒソカが両手を上げる。


何をされるのかと思えば、その両手でおもむろに顔を掴まれて。



「諦めなよ、キミはどうせ逃げられないんだ」



というか、逃がしてやる気なんて更々無い。


そう言いながらまたにやけたように笑う。



「だからさ、いい加減ボクのモノになれよ」



あぁもう、分かってる、


分かってるわそんなこと。



何人恋人を作ったって結局はあなたに潰されてしまうし、


気まぐれで有名なあなたが、飽きずにこうして何年も追いかけきている時点で、私が逃げ切れる道なんてありはしない。


…でも、それでも、




「ごめんなさい、死んでもお断りよ」




私が今日一番の笑顔でそう吐けば、ヒソカも至極楽しそうに歪んだ笑みを浮かべた。





ほんとは、とっくに

分かってるの。




ただね、

あなたが追いかけて来てくれるのが嬉しいだなんて、

今更、素直に認めるのも悔しいじゃない?


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