自分が暗殺者であると明かして、***を怯えさせてしまえ。 ……そう思っていた筈なのに、 普段ではありえない程穏やかな空間で過ごしていたら、いつの間にかタイミングを見失ってしまっていた。 チャンスは何度かあったものの、オレが声をかける度に笑顔を見せる***に、それこそ何度も興をそがれた。 そんなことを繰り返しながら、3日4日と時間が経つにつれ、正体を明かそうなんて考えはどんどん薄れていってしまった。 今は習慣となりつつある食後のコーヒーを飲みなから、ソファでくつろいでいる。 隣には、慣れた手付きで編み物をする***。 その姿はさながら母親のようだ。 「…なんか平和ボケしそうなんだけど」 「え?」 「てゆーか居心地良すぎ。なにこの家」 ほんと、なにか特殊な念でもかかってるんじゃないかってくらい居心地が良い。 酒も料理も美味いし、何より雰囲気があたたかい。 ぬるま湯にどっぷり浸かってる感じ。 あのヒソカが居着くのも、今なら分かる気がする。 「…なんだかなぁ」 今まで感じたことのない気持ちに胸のあたりが少しこそばゆくなる。 そして、それと同時に募るわだかまり。 オレが暗殺者だと知ったら、***はやはり怯えるんだろうか。 怯えて、オレを避けるようになって。 …あぁ、そんなこと、考えるのも億劫だ。 つい先日まで脅してやる気満々だったのに。 今は***の笑顔とこの平穏を、壊したくないとすら感じている。 そんな自分の変化を自分でもおかしいと思うけど、悪い気はしないのも事実だ。 「……***ー」 「どうしましたー?」 「んー特になにもないけど…」 胸にくすぶる違和感を打ち消したくて、いつもヒソカがしているように、***のふとももに頭を乗せて寝転がる。 つい先日、この膝枕をめぐってヒソカとひと悶着あったばかりだけど、まぁ大丈夫だろう。 あの後、シャワーを浴び終えてリビングに戻ると、ヒソカの方から話しかけてきた。 理由は分からないけど、さっきとは打って変わってやけに上機嫌で、その顔はダルッダルに緩みきっていて。 そしてどういう心境の変化なのか、 『膝枕くらいならもう何も言わないよ◆』 なんて言ってきた。 あれだけ露骨に妬いてたクセに、今更なに言ってるんだか。 ヒソカは案外馬鹿らしい。 まぁ、そうは思ったけど、ヒソカの反感を買わずに***の膝枕を堪能できるならと、その場は黙っておいたけど。 「イルミさん、お昼はなにがいいですか?」 「別になんでもいい…って言うと怒るよね、***」 「もー…わかってるなら考えてくださいよー…」 ちょっと怒ったというか、ふてくされたような声を出す***。 オレ自身は相当絆されてるって自覚はしてるけど、***だってかなり砕けた態度をとるようになったと思う。 なんだっけこういうの。 親しくなった って言うんだっけ。 …あぁ、まただ、 胸のあたりがザワついてしょうがない。 「……ねぇ***」 「ん?」 「…オレさ、」 その先の言葉を遮るように、静かな部屋に電子音が鳴り響く。 タイミング悪いなぁなんて思いながらケータイのディスプレイを覗けば、そこには親父の名前。 きっと、そろそろ帰ってこいとか働けとか言われるんだろう。 ここ何日か仕事怠けてたから、依頼は溜まりに溜まってるだろうし。 面倒だなぁ… 「…イルミさん、出なくていいんですか?」 「んー…なんとなく用件わかるし。どうせ仕事しろって言われて終わりだろうからさ」 「お仕事ですか…」 「……気になる?」 …今がいい機会かもしれない。 言うなら言ってしまえ、 「オレさ、………」 なんでだろう、言葉が詰まる。 こんなのらしくない。 理解しきれない自分の感情が気持ち悪くてしょうがない。 気持ち悪い、 吐き出したい、 耐えきれない、 吐け、 吐き出せ、 「…ル…さ…、…イ…ミ、さん……!」 「……イルミさん!!」 「っ…」 「大丈夫ですか…?顔色、すごく悪いですけど……」 ***が心配そうにオレ顔を覗き込んでくる。 「ベッド行きますか?あ…立てないならヒソカに言って……」 「***」 治まらない。 まだ気持ち悪い。 吐き出せば、治まるのか。 「***」 「は、はい」 「オレさ…、………………暗殺者なんだ」 「え……」 一瞬で、***の表情が固まった。 まぁ、当然の反応だろう。 想定通りだし、なにも問題ない。 ………なのに、 なのにどうして、こんなにも胸が苦しい? どうして治まらない? あぁもう、訳が分からない。 「…イルミさん、やっぱりベッドに行きましょう?具合悪そうだし…」 …本当に訳が分からない。 「……なに普通に話しかけてきてるの」 「え?」 「固まってたろ?怖くないわけ?」 なんでそんな、本気で心配してるみたいな顔ができる? 暗殺者だって、しっかり聞こえてたくせに。 「その気になれば、***なんて今すぐにでも殺せるけど」 腕を上に伸ばし、暗殺用に形を変えた手を***の眼前に突き出す。 でも、***はなんの反応も示さない。 「……ねぇ、なんとか言ってよ」 手を***の喉元にもっていき、細い首を片手で覆う。 ***は逃げるでも叫ぶでもなく、ただじっとオレを見つめた。 その瞳に、恐怖の色は見られない。 「…怖くは、ないです」 「………」 「ヒソカから仕事仲間だって聞いてたから、人を殺したこともあるんだろうなって、なんとなく気付いてました」 「首を絞められるのも、ちょっと息苦しいなってだけで、怖くはないです。イルミさんは本気で殺そうとは思ってないって、やっぱりなんとなくだけど分かるんです。ヒソカも昔はよくこうやってわたしを試してたから」 「ヒソカも…?」 「はい。何をされてもわたしがヒソカから本当に離れていかないかどうかって。…ヒソカって昔から…なんていうか、無茶苦茶なんです」 「、……」 「だから…慣れてるんです。本当に、怖くないです。イルミさんがどんなお仕事をしてようと、嫌ったり怯えたりなんてしません」 「…………」 「それにわたし、イルミさんの優しいところたくさん知ってますから!」 ……そうか、 なぜ気付かなかったんだ。 ***はヒソカの、 人殺しの幼なじみだ。 彼女自身は一般人と何ら変わりないけど、その思考の一部は、ヒソカを基準としてできている。 だから、殺人を悪と認識しつつも許容し、それに通ずるものを拒むこともない。 ***はオレ達とは真逆の存在だと思ってたけど、形は違えど、彼女もまた異常なんだ。 「…なんだかなぁ」 ***の首から手を離して、ゆっくりと起き上がる。 絶縁覚悟で切り出したのに、まさかこうもあっさり受け入れられるなんて。 拍子抜けもいいとこだ。 でも、先程までの気持ち悪さはなぜか、嘘のように治まっている。 あの目まぐるしく変化する感情は一体なんだったんだろう。 ちょっと気になりはするけど、今はそれより、先程までの感情とは違う、この酷くあたたかい感情が気になって。 この感情は一体なんなのか。 自分でも薄々は気付いてるけど、自覚すれば暗殺者として失格な気がして。 自分の心に疎いふりをして、その感情を心の底に押し込んだ。 ←/→ |