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忍足視点


彼女は突然、現れた。

放課後、部活に向かう途中にたまたま一緒になった跡部と廊下を歩いている時だった。

「すみません。」

不意に聞こえた透き通った声に振り返ると、全く見覚えのない子が立っていた。

その瞳は真っ直ぐに跡部だけを見ていた。

「くだらない用件なら聞く気は無いが。」

うんざりしているのを隠そうとしない跡部に苦笑する。

「すまんな。俺ら部活に行くとこやから。」

一応フォローした俺に視線を向けることなく跡部を見ている彼女の瞳は、とても澄んでいて綺麗だと思った。

じっと跡部を見つめ、ほんの一瞬、でも確かに、心底傷付いたような表情を浮かべた彼女。

「なんでも、ありません。…失礼しました。」

彼女は深く頭を下げると、足早に立ち去った。

「何なんだ、あれは。」

「自分の知り合いとちゃうん?」

「知らねぇよ、あんな女。大体、俺が知っている人間の顔を忘れる筈がないだろうが。」

「…まあ、それもそうやな。」

先に歩き出した跡部を追いかける前に、俺は先程の彼女がいなくなった方向に目をやった。

特に可愛いとか美人とかいう訳ではなかったが、彼女のことは印象的に残った。

耳に心地良い透き通った声と曇りのない綺麗な瞳が。


● ● ●


初夏の陽射しが眩しい午後。

昼食を終えた俺は買ったばかりの新刊を読もうと交友棟にあるサロンに向かっていた。

途中、どことなく見覚えがある後姿が目に入り、呼び止めてみれば、やはりこの間の子だった。

「それ、入部届けか?」

「あっ! これは、その…っ」

右手に持っていた紙について指摘すると、俺から視線を逸らして言葉に詰まる彼女。

普通なら、別に隠すことではない筈だ。

「もしかして、男テニのマネが希望なん?」

「っ、……はい。…そうです。」

俺の予想が当たったのはいいとして、彼女は随分と申し訳なさそうに項垂れた。

「へぇ…やっぱり跡部が目当てなんや。厳しいと思うけどなぁ。」

なんとなく面白くない気がして、自分の声は少しばかり刺々しくなっていた。

俺には関係のない事だというのに。

「それは、もういいんです。ただ……いえ、なんでもないです。」

照れるか否定するかと思ったが、彼女の反応は違っていた。

跡部のことを諦めたというなら、一体なんだというのか。

最初から印象に残っていた彼女だが、どうにも気になる存在だ。

「俺が推薦したろか?」

「え…?」

「レギュラーマネージャーに。」

彼女に興味が湧いた俺は、気付けばそう提案していた。

「ええと、マネージャーにもレギュラーがあるんですか?」

俺に視線を戻した彼女が小さく首を傾げる。

「知らんの?」

「はい。転校して来たばかりなので、この学校のことはあまり…」

「そうやったんか。ほなら、俺が推薦しとくから、これは預かっておくで。」

言い終わらないうちに彼女の手から入部届けを取り上げる。

「えっ、そんな、ダメです! 申し訳ないです!」

焦る彼女に構わず、俺は手にした入部届けに目を落とした。

「俺は忍足侑士や。これからよろしくな、なまえちゃん。」

俺はにっこりと目の前の女の子に笑いかけた。



恋に落ちる前

もう落ちていたのかもしれない。


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