恋人(同学年)/ヒロイン視点
「ええ加減、逃げんの止めろや。」
誰もいない教室の壁際に追い詰められた私は、白石くんの低い声にびくりと肩を揺らした。
窓から差し込む夕陽が教室を柔らかい色に染めているけれど、白石くんの表情は酷く険しい。
「白石、くん…お、落ち着いて…」
「俺は冷静や。」
冷静というよりも冷淡な、けれど、怒りを孕んだ白石くんの声に息を飲む。
こんな表情は、声は…知らない。
白石くんはいつも優しい人なのに。
そんな白石くんを、どうやら私は怒らせてしまったらしい。
「っ、……ごめっ…なさぃ…」
顔を見ていられなくて、制服のスカートを握り締めて俯く。
「謝って欲しいとちゃうねん。」
白石くんの包帯の巻いてある左手が頬に触れ、すぐに顔を上げさせられる。
だけど、白石くんと目が合わせられなくて視線が泳いでしまう。
「そうやって目ぇ逸らすのも止めてくれん?」
「……無理です、ごめんなさいっ!」
「なまえ。」
ぎゅっと目を瞑って勢いよく謝ると、ガシッと頭を両手で左右から挟まれた。
白石くんらしからぬ行動に驚いて目を開けると、なんだか怖い感じのする笑顔を向けられた。
「俺かてなぁ、大切な彼女に怒ったりしたないんやで?」
目の奥が全く笑っていない白石くんが怖くて、今度は逆に目が逸らせなくなる。
「は、はい…」
すでに怒っているんじゃないのかなと思ったけれど、それは口に出さなかった。
いや、『出せなかった』のほうが正しいだろう。
「なんで俺のこと見ぃひんの? 俺が告白した時、自分も俺んこと好きやって言うてくれたやんか。せやのに、付き合うことになったら俺んこと避けるとか…おかしいやろ。」
白石くんは怒っているはずなのに同時に辛そうな顔もしている。
それを見て、私は胸の前で自分の手をぎゅっと握り締めた。
「ごめんね。その……白石くんといると、ドキドキし過ぎて…どうしていいか分からなくて、つい逃げちゃって……嫌な気分にさせて、ごめんなさい。」
つっかえながらも、なんとか目を逸らさないで伝えた。
「なんやねん、それ。そんなんで俺……はぁ、…心配させんといてや。嫌われたかと思うたわ。」
白石くんは大きく息を吐くと、私をぎゅっと抱き締めてきた。
「しっ、白石くん?! は、離してっ、心臓がもたな…っ」
「大丈夫やって。ドキドキし過ぎて死ぬ人間なんておらんから。」
楽しそうに言って、白石くんは私を抱き締める両腕に力を込める。
「っ…ほ、ほんとに無理だからっ 心臓、痛い…っ」
「俺のが、ずっと死にそうやったって……知らんやろ?」
ずいぶんと意外な言葉に、私は抵抗するのを忘れた。
「自分が俺んこと見てない時から俺は自分のこと見とったんやで。そんで、やっと俺んこと見てくれたと思うたのに…」
「白石くん……好きだよ。本当に、好き。」
少しでも自分の気持ちが伝わって欲しくて、白石くんの背中に両手を回した。
「ん、ありがとうな。」
「ううん。…私、白石くんの気持ちを考えてなくて…傷付けた、よね……本当にごめんなさい。」
「自分がキスしてくれたら許したるで。」
とんでもない要求にびっくりして白石くんの胸から顔を上げれば、それは綺麗に笑っていた。
「そっ、そういうことは、まだ早いかと…っ」
「俺、めっちゃ傷付いたんやけど。」
「そのことはごめんなさい。で、でも…」
「出来るやろ?」
白石くんは口許の笑みを深くし、熱くなっている私の頬を撫でる。
そ、そんな……できないよ。」
「はぁ……しゃーないな。」
諦めたらしい言葉にほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、白石くんの手に両頬を包まれた。
そして、近付いてくる白石くんの顔。
「ま、待って…っ」
白石くんの胸を押し返した手は掴まれて、壁に押さえ付けられてしまう。
「待たれへんし、逃がさへんよ。」
言い終わるが早いか、強引に唇を重ねられた。
反射的に目を瞑ると、柔らかい唇の感触に意識が集中してしまう。
息を止めて固まっていると、そっと唇が離れて、私は恐る恐る目を開けた。
「あ、あの……もう離して…」
とてもじゃないけど白石くんの顔は見られなくて、視線を下に落とす。
「俺がしたいから、もう一回な。」
白石くんはそう言って掴んでいた私の手を離すと、自分の指と私の指を絡めて手を繋いだ。
「好きやで、なまえ。」
唇が触れ合う直前に囁かれた言葉に、私は身体の力を抜いた。
無駄なこと
(2011.11.03)
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