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恋人(先輩)/マネージャー/日吉視点


外からは静かな雨音が聞こえてくる。

この雨の所為で朝練は途中で中止になってしまった。

そして今、部室には俺と彼女以外の人間はいない。

「あの……若?」

「何ですか、なまえさん。」

戸惑った表情で俺を見上げている彼女を見下ろす。

ソファーの上に散らばった艶やかな長い黒髪と白く細い首筋が酷く扇情的で、俺の劣情は刺激される。

「何って……どうしたの、急に?」

俺を見つめ返す瞳は曇りなく澄んでいて、まるで責められているような錯覚を起こす。

左手は彼女の顔の横についたまま、右手で髪を一房掬い上げて指先に絡めた。

「いつも良い香りですよね。香水でも髪につけているんですか?」

指先に唇を寄せて髪に口付けると、彼女の頬が淡く染まった。

「髪の毛の先に少しね。これ、梔子の香りなんだよ。私の好きな香りで、その…」

自分の家の庭にあるのとは少し違うが、誘うような甘い香りは確かに梔子の花のそれに似ていると思う。

雨に濡れると、その甘い香りをより強くする白く清楚な梔子の花。

だが、本物の花の香りよりも、彼女からする香りのほうが俺を惹き付ける。

「俺も好きです、この香り。……どうかしましたか?」

「うん、…珍しいなって思って。若が……こんなに触れてくるのが。」

言いながら、落ち着かなそうに視線を彷徨わせる彼女。

「俺は……本当はいつだってあなたに触れたいと思っています。でも…」

彼女の顔の横に両肘を付き、唇が触れそうな距離で見つめ合う。

「若…大丈夫だよ。」

ふわりと微笑んだ彼女の息が唇にかかって心臓が煩く脈打つ。

さっきまでは視線を逸らしていた癖に、どうしてそんなふうに言うのか。

「何が大丈夫なんですか。あなたは分かっていない。俺がどんな気持ちであなたを見ているのか。」

きっと醜いであろう今の自分の顔を見られたくなくて、俺は彼女の肩口に顔を埋めた。

「若…」

彼女の温かい手が俺の背中に触れ、そっと撫でられる。

「私は若のことが好きだから…大丈夫だよ。」

優しい声が耳元でして、こめかみに柔らかい感触が掠めた。

肩口に埋めていた顔を上げて彼女を見ると、照れたように微笑んでいた。

「どうして、あなたは…っ 俺が、どれだけ…っ」

自分の中が何かが切れて、緩やかに弧を描いている唇に衝動的に口付けた。

けれど、すぐに我に返って、押し付けた唇を離した。

俺を見上げる彼女は変わらずに微笑んでいた。

「どうして、そんな顔をするの?」

頬に彼女の白い手が触れて、身体が大袈裟に震えた。

「どんな顔を…しているんですか、俺は。」

俺の声は、自分でも驚く位に弱々しかった。

「すごく後悔しているような顔。……ねぇ、私に触れることは罪なの?」

悲しそうな表情をする彼女を前に、何も取り繕うことは出来ない。

「俺は…あなたにこんな風に触れるつもりはなかった。……もっと、ちゃんと、大事にしたかったんです。」

「私は大事にしてもらっているよ。それに…嬉しかった。」

綺麗に微笑む彼女に抵抗なんて出来る筈もなく、俺は容易く抱き寄せられる。

「何をしているんですか、あなたは。」

彼女の上に覆い被さってしまい、はっきりと体温を感じる。

その身体の、柔らかさも。

「どきどき、いってるね。」

「…あなたこそ。」

「うん、そうだね。でも…」

耳元で「離れたくないな」と呟いた彼女ごと転がって、ソファーの上で向かい合わせになる。

色付いている頬に触れたら目を閉じた彼女に、今度は優しく唇を重ねた。



君を大切にします

(2011.05.17)

 

梔子(くちなし)の花言葉は『とても幸せです』『喜びを運ぶ』『清浄』『優雅』『夢中』など。

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