同学年/ヒロイン視点
夕日が完全に沈んでから時間が経っており、空は濃藍色になっている。
それでも真夏の暑さが和らぐことはなく、立っているだけで肌がうっすらと汗ばむ。
(早く着きすぎちゃったな。遅れるよりはいいけど。)
落ち着かなくて家を早く出てきた私は約束の時間の20分前に待ち合わせ場所に着いてしまった。
だけど、気持ちが落ち着かないのは変わらなかった。
早く彼に会いたいという浮ついた気持ちと、気合いを入れて浴衣を着てきた私を見た彼がどんな反応をするのかと不安な気持ち。
そんな気持ちがせめぎ合っているような状態だ。
一人でそわそわしていると、可愛い浴衣を着た二人組の女の子が近くを通り過ぎた。
なんだか急に不安になってきて、手に持っているかご巾着から手鏡を取り出し、小さな鏡面を覗き込む。
生成り地に紺の乱菊が描かれた少し大人っぽい浴衣に合わせて髪も纏めてみたけれど、これは正解だったのだろうか。
浴衣も髪型も可愛い感じにしたほうが良かったんじゃないだろうか。
時間があるせいで余計なことを考えてしまうなと、小さく息をついてから手鏡を仕舞う。
「早かね、みょうじ。だいぶ待っとうと?」
「ううん、全然! さっき来たばっかりだよ。」
待ち人の声に弾かれたように顔を上げた私は、自分が自然と笑顔になっているのを自覚していた。
「そうね? なら、よかったばい。」
少しホッとした様子の千歳くんは、ラフな格好にいつもの鉄下駄ではなく木製の下駄を履いている。
足元から視線を上げると、千歳くんが自分を見ていることに気付いた。
「よかね、その浴衣。よく似合っとう。」
「……あ、ありがとう。」
目を細めた千歳くんに褒めてもらえて嬉しいけれど照れてしまって、私はそっと目を伏せた。
華やかで儚い光の競演が終わり、夏の夜空は再び静寂を取り戻した。
花火大会の終了と同時に帰っていく人々の波を敬遠し、私たちはその場に留まっていた。
「だいぶ人も減ったけん、そろそろ帰らんね。」
「うん。」
「……みょうじ? どうしたと?」
先に足を踏み出した千歳くんが、動き出さない私に振り返ろうとする。
千歳くんが完全に振り返る前に私は、その広い背中に両手を添えて額を寄せた。
「ごめんさない。少しだけ、こうしていて。顔を見たら話せそうにないから。」
押し止めるように千歳くんの背中に添えた手に少し力を込める。
緊張で冷たくなっている私の指先に、千歳くん体温が服越しに伝わってくる。
「分かったばい。」
「ありがとう。」
切実さが伝わったのだろうか、私の唐突な行動を咎められなかったことに安堵した。
一度きゅっと口を引き結んでから、ゆっくりと口を開く。
「あのね、一緒に花火見てくれて嬉しかった。誰よりも、千歳くんと一緒に見たかったから。……私ね、千歳くんが好きなの。」
何かを言われる前にそっと身体を離すと、ぬるい風が吹き抜けた。
「聞いてくれて、ありがとう。それと……ごめんね、困らせるようなこと言って。」
最後まで聞いてくれた千歳くんの後ろ姿を見上げる。
まだ振り向かないでいてくれるのは、千歳くんの優しさなのだと思う。
「じゃあね。」
出来る限り明るい声で言って踵を返す。
「ちっと待たんね…っ」
今にも駆け出そうとしていた私は、後ろからガシッと両腕を掴まれて動けなくなった。
「なんで返事も聞かんで逃げると。」
千歳くんの声に僅かにだけれど責めるような響きを感じて、後ろを振り返れない。
「みょうじ。」
「は、はい…」
浴衣の薄い生地越しに感じる、硬い手の平の感触に鼓動が速まる。
「そんな構えんでよか。」
背後で千歳くんが苦笑する気配がしたけれど、どうしたって緊張してしまう。
だけど、この状況に期待してしまっている自分がいて、高まる鼓動を感じながら胸元を両手で押さえる。
身動ぎする音がして、耳元に微かな息遣いを感じた。
「俺もみょうじを好いとうけん。」
(2024.08.10)
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