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同級生/ヒロイン視点


いつもより早く登校した私は古典の教科書と古語辞典を机に広げていた。

昨日の夜、予習を後回しにして動画を見ているうちに寝落ちしてしまったせいだ。

古典の先生は出席番号の順番で当てるから今日は確実に自分まで回ってくる。

だから、授業範囲を訳しておかないといけないのだけれど――



行き詰って一人でうなっていると、ガラッと音を立てて教室のドアが開いた。

「不二くん!」

「えっ……どうしたの?」

「ごめんね、急に。」

思わず大きな声を出してしまい、驚かせてしまったことを謝る。

「大丈夫だよ。それより、何かあったのかい?」

自分の席に荷物を置いた不二くんが私のほうに顔を向けると、柔らかそうな色をした髪が揺れた。

「古典なんだけど、上手く訳せない部分があるから教えてもらえないかなって。」

「今日の授業で当てられそうなんだね。いいよ、教えてあげる。」

「ほんとに!? ありが、」

「でも、タダでは教えられないかな。」

「それって…」

助かったと喜んだのも束の間で、私が戸惑っていると不二くんはクスッと小さく笑った。

「少し言い方が悪かったね。代わりに、僕のお願いも一つ聞いて欲しいってことなんだけど。」

「それくらいなら全然いいよ。」

お願いの内容を聞かないまま、私は深く考えることもなく頷いた。



「ありがとう。おかげで助かったよ。」

これで今日の授業は乗り切れると、ひと安心して教科書とノートを閉じる。

「どういたしまして。」

いつものようにニコニコしている不二くんは私の一つ前の席のイスを借りて座っている。

「それで、お願いって何かな?」

机を挟んだ向かい側の不二くんを見るけれど、何を言われるのか予想がつかない。

「…ちょっと待って。変な無茶振りとかしないよね?」

「しないから安心してよ。でも……みょうじさんにそんなことを言う人間だと思われていたなんて、ちょっと傷付くな。」

不二くんが眉を下げるのを見て、今のは完全に私が悪かったと慌てる。

「そんなこと思ってないよ! 念のために聞いただけだから!」

本当に違うからと力いっぱい否定すると、不二くんにまたクスッと笑われてしまった。

「冗談だよ。」

「え……私、からかわれたの?」

「そうかもしれないね。」

「もうっ」

こうやって不二くんは意地悪になる時があって、いつも私は振り回されてしまう。

「ごめんごめん。」

本当は悪いと思っていないのか、不二くんは笑いながら謝るけれど、なんだか憎めないから狡いと思う。

「…それで、私は何をしたらいいの?」

少し身構えながら聞くと、不二くんは笑み崩さないまま口を開いた。

「僕のこと、これからは苗字じゃなくて名前で呼んで欲しいんだ。」

「それはいいけど……何で?」

不二くんとは進級して最初の席替えで隣同士になったのがきっかけで仲良くなった。

でも、学校内での付き合いしかない間柄だから、意外なことをお願いされたなと思う。

「キミさ、鈍いって言われない?」

「言われたことないけど…」

どうして今の流れで不二くんに『鈍い』と思われてしまったのか分からない。

「(うーん……ライバルがいないみたいだと喜ぶべきところ、なんだろうか。)」

自分の顎に手を当てた不二くんが何か呟いたみたいだけれど、私には聞き取れなかった。

「ええと、…周助くんって呼んだらいい?」

「『くん』は付けなくていいよ。それと、僕もキミのことは名前で呼ぶことにするから。」

私に対する呼び方も変えるのは不二くんの中では決まっていたようだ。

「じゃあ呼んでみてよ、なまえ。」

「っ、……」

実際に名前で呼ばれてみると、思いのほか照れてしまって頬に熱が集まる。

「なまえ?」

思わず目を伏せれば、催促するように名前を呼ばれて、どうやら見逃してはもらえないと理解する。

「………………周助。」

ちゃんと呼んだつもりだったのに、囁くような声になってしまった。

「うん、よく出来ました。…なんてね。」

楽しそうな不二くんの声に、逸らしていた視線を戻すと、いつもとは違う笑みを浮かべているような気がした。



あなたの導くままに

(2024.02.29)

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