先輩/財前視点
(あの人はまた…)
学食で昼飯を済ませた後、視聴覚室に行こうと特別教室棟に向かっていると、少し先の廊下を歩いている彼女の後姿を見つけた。
社会科の教師にでも頼まれたのだろう、大きな地球儀を抱えているのが見えた。
後ろからでは見えないが、他にも何か持っているのか、彼女はよたよたと危なっかしそうに歩いている。
ひとつ溜息をついてから、俺は歩く速度を上げた。
あと数歩で追い付くというところで彼女は器用にも何もない所で転んだ。
地球儀が廊下に転がり、地図帳やら資料集やらが散乱している。
「いつも通り鈍臭いッスね、みょうじ先輩。」
床に膝と手をついている彼女に声をかければ、ゆっくりと首だけ振り返った。
「財前くん。……い、今のはたまたまだからねっ」
「たまたまも何も自分の足に躓いて転ぶ人なんて滅多にいてへんと思いますけど。」
呆れたように言ってやれば、彼女は言葉に詰まって黙り込んだ。
「怪我はしてはりませんよね?」
「うん、それは大丈夫だよ。」
「ならええですけど。日直かなんかッスか?」
「そうだよ。今日は日直だから先生に頼まれたの。……財前くん、ありがとう。」
廊下の床に散らばった教材を拾っている彼女を手伝っていると、にこりと笑顔を向けられた。
「別に。先輩ひとりに任せとったら明日になりますんで。」
「えぇ、そこまで言う?」
「しゃーないッスね、本当のことなんで。」
「もう…っ」
憎まれ口を叩きながら集めた教材を持って立ち上がる。
「社会化準備室に持って行けばええんスか?」
最後に倒れた地球儀を拾い、彼女に確認する。
「そうだけど、一人で持っていけるから大丈夫だよ。」
こんなことはしょっちゅうなのに、いつも遠慮する彼女に小さく溜息をつく。
「そんで、また転ぶ気ッスか。」
「だから、大丈夫…」
「行きますよ。」
遮って先に歩き出せば、彼女は大人しく俺の後をついてきた。
「ありがとう、手伝ってくれて。」
「礼なら、缶の冷やしぜんざいでええですよ。」
「…言うと思ったよ。」
運んだ教材を置いて社会科準備室を出てから彼女に見返りを要求すれば、苦笑いを返された。
「世の中、ギブ・アンド・テイクっすから。」
「はいはい。それじゃ、自販機まで行こ。」
本当は、飲み物を奢ってくれというのは口実でしかないのだが、鈍い彼女には全く伝わっていない。
少しでも一緒にいたい、という俺の気持ちは。
「ホンマ鈍いッスね、みょうじ先輩。」
「何か、いつもよりも酷くない?」
隣を歩く彼女の様子を横目に窺えば、少し眉尻を下げて困ったような顔をしていた。
「気のせいとちゃいますか。」
「私、何かした?」
「せやから鈍い言うてるんですわ。」
「何よ、それ。」
むっとした様子で少し口を尖らせる彼女は自分よりも幼く見える。
「俺に優しくして欲しいですか?」
「それは……そうじゃない。いじわるは言われたくないもの。」
「なら、早う気ぃ付いたって下さいよ。」
俺を好きだと言うのなら、もっと優しくするのに。
「気付くって……何に?」
「俺が誰の手伝いでもする思うてます? 何か奢ってもらうんが目的やって、ホンマに思うてます?」
「財前くん…?」
「全部、理由は一つやと思いません?」
立ち止まった俺につられるように足を止めた彼女を見つめる。
廊下の窓の外からは、グラウンドで遊んでいる生徒たちの騒がしい声が聞こえてくる。
「俺はどうでもいい奴の相手なんてしません。」
「……あの、…………その…っ…」
じわじわと彼女の頬が染まっていくのを見て、俺は口角を上げた。
「せいぜい悩んだって下さい。」
悩んで…俺のことだけ考えていればいい。
そうじゃないと不公平だ。
そう心の中で付け足し、俺は彼女に背中を向けた。
少し歩いてから後ろを振り返れば、彼女はまだ廊下の真ん中に突っ立ったままだった。
俺の視線に気付いた彼女は一瞬固まってから、くるりと踵を返して足早に廊下を引き返した。
「今は、逃がしといてあげますよ。」
俺は小さくなっていく背中に聞こえもしない言葉を投げかけた。
きみ次第
(2011.06.10)
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