ヒロイン視点 真っ白い印画紙を現像液にひたすと、ぼやっとした輪郭が浮かんできて、それがだんだんと鮮明になっていく。 この瞬間がすごく好きだ。 「これで全部かな。」 水洗いした印画紙を吊るすのが終わり、私は腕まくりしていたブラウスの袖を下ろした。 「誰か暗室にいるのかー?」 「あっ、はい! もう終わります!」 ドアの向こうからした声に返事をして、赤く照らされた暗室の中で時計を見ると、思っていたよりも時間が経っていた。 急いで後片付けをして暗室から出ると、部長がイスに座って愛用のカメラをいじっていた。 「すみません、部長。こんな時間になっていると気付いていませんでした。」 「別にいいって。まだ閉門時間じゃないし。それより写真の出来はどうよ?」 手元から顔を上げた部長は私に視線を向けた。 「ええと……まあまあ、だと思います。」 いつもながら、あんまり自信がなくて、少し苦笑いで答える。 「そっか。難しいからな、現像は。自分のやり方次第で色々出来るのは面白いんだけど。」 「そうですね。それで、道具は片付けたのですが、まだ乾燥の途中で…」 「大丈夫、そのままでいいって。この時間からじゃ誰も使わないだろうし。」 「すみません。では、写真は明日の朝に来て片付けますね。」 「分かった。そんじゃ、戸締りは俺がしとくから。」 「はい。では、お先に失礼します。」 「おう、気をつけて帰れよー」 ひらひらと片手を振る部長に見送られ、私は写真部の部室を後にした。 いつもより遅くなってしまったけれど、日が長いから外はまだ明るい。 長く伸びる影と一緒に歩いていた私は、その後ろ姿を遠くに見つけて、まっすぐに走り出した。 「柳先輩…っ!」 凛とした背中に追いついて声をかければ、振り返って私に優しい笑みを向けてくれる。 「みょうじ、大丈夫か?」 「はっ、はい……だいじょっ、ぶ…です…っ」 乱れた息を整えながら、歩く速度を緩めてくれた柳先輩の隣に並ぶ。 「今日は遅いのだな。」 「写真の現像をしていて、この時間になってしまいました。」 「そうか。現像というのは難しそうだが…」 「はい、そうなんです。フィルムを現像する時、現像液の温度やひたしている時間で表現を変えられるのですが、なかなか思い通りにならなくて…。それからですね、引き伸ばしの時には……」 カメラのことになると聞かれていないことまで話してしまうけれど、柳先輩は興味深そうに私の話を聞いてくれる。 それが嬉しくて、私は写真やカメラについての話をいろいろした。 柳先輩とは途中まで一緒の帰り道だけど、もう少しでお別れだ。 淋しいなと、うつむきそうになったら、不意に左手が温もりに包まれた。 「柳先輩…?」 少し首を傾げながら柳先輩を見る。 「遅いから家まで送ろう。」 「いえっ、そんな、大丈夫です! それでは柳先輩が帰るのが遅くなってしまいますから…っ」 私が思わず足を止めてしまうと、手を繋いでいる柳先輩も立ち止まる。 「気にする事は無い。お前の家までそう遠くはないだろう。」 「ですが…」 一緒にいられる時間が増えるのはすごく嬉しいけれど、柳先輩に迷惑をかけてしまうのは嫌だ。 「みょうじ。俺も、お前と一緒にいたいと思っているんだぞ。」 そう言ってくれる柳先輩の声は温かくて、私を見つめる眼差しは優しい。 「柳先輩…」 トクントクンと鼓動が速まり、頬がじんわりと熱くなってくる。 「あまり気を使い過ぎるな。俺達は付き合っているのだからな。」 「…はい。」 きゅっ、と柳先輩の手を握り返す。 そうして私たちは、夕暮れに染まる道をさっきよりもゆっくりと歩き出した。 ※タイトルは桃の花言葉の一つである『あなたに心を奪われた』を改変してつけました。 ← |