※本編より前の話
ヒロイン視点
「自分から勝負を挑んでおいて、この様とはな。」
どうして負けたのか分からなく呆然としている私に、辛辣な言葉が掛けられた。
視線をチェスの盤上から移せば、向かいのソファーに坐している王様が呆れた顔で私を見ていた。
「お時間を取らせてしまって申し訳ございません。」
ここまで酷いことになるとは思っていなくて、項垂れるように頭を下げる。
「別に怒ってる訳じゃねぇよ。」
跡部くんに苛立っているような雰囲気はないけれど、自分としてはなかなかに気まずい。
「でも、ごめんね。」
やっぱり申し訳なくて、苦笑いをしながら謝ってしまう。
「チェス盤が置いてあるから気になってて、ある程度の練習はしたんだけど……跡部くんと対戦するのは早かったみたい。」
「色々と興味を持って挑戦するのは悪い事じゃないだろ。」
もしかしてフォローしてくれいるのかなと考えて、私はすぐにそれを頭から振り払った。
おそらく、跡部くんは思っていることを言っているだけなのだろう。
誰が相手であろうと嘘やお世辞を言う必要がない人なのだから。
「そのお蔭で、こうしてティータイムを楽しめている訳だしな。」
もしかして、私は褒めてもらっているのだろうか。
少し前に合格点をもらってから、私が淹れた紅茶を跡部くんは当たり前のように飲んでくれるようになった。
それでも、いまいち自信を持てずにいる私を余所に、跡部くんはダックワーズを手に取った。
どこか満足げに目が細められたのを見て、どうやら口に合ったみたいだと安心する。
「俺様が褒めてやっているんだ。喜んでいいんだぜ、みょうじ。」
尊大にも見える笑みを浮かべた跡部くんと目が合って、私は控えめに笑みを返した。
「ありがとう。……跡部くんって、やっぱり王様だよね。」
「何だ、急に。」
私が結論だけを言ったから、ティーカップを取ろうとしていた跡部くんの手が止まる。
「ええと、こっちの話だよ。」
今度は誤魔化すように笑んで、持ち上げたティーカップを傾けて喉を潤す。
「お前はポーンだろうな。」
「まだ頼りにならないよね、私…」
跡部くんに断言されてしまい、少し…いや、かなり落ち込んでしまう。
だいぶ慣れてきたものの、生徒会の仕事をする上で自分の力不足を感じることがあるから。
でも、落ち込んでいる暇があったら努力するべきだろう。
「ポーンは最弱の駒だが、昇格できるだろ。」
その言葉に、俯きがちになっていた顔を上げる。
「えっと、……プロモーションのことだよね?」
条件はあるけれど、最強のクイーンに成ることもできるのがポーンだ。
「そうだ。だから、せいぜい頑張れよ。」
どうやら、私は自分で思っていたよりも跡部くんからの信頼を得られていたようだ。
その事実を誇らしく感じると同時に、身の引き締まる思いがする。
「期待に応えられるように頑張ります。」
ティーカップを両手で持ちながら、いつだって揺るがない蒼い瞳を見返す。
「ああ。……で、何でさっきから敬語が交じってんだ?」
「……何となくだけど。」
思っていなかった部分を指摘されたけれど、答えようがない。
「友達とお喋りしててもそういう時ってない?」
「ねぇな。」
同意を求めたら、ばっさりと一言で切り捨てられてしまった。
「跡部くんは王様だもんね。」
「またそれか。」
取り繕うように私は小さく笑って、跡部くんは少し呆れたように笑った。
(2024.07.15)
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【ダックワーズ】
フランス発祥のアーモンド風味のメレンゲを使った焼き菓子。本来の発音はダコワーズあるいはダッコワーズである。外側はサクッと内側はしっとりしているのが特徴で、生地と生地の間にクリームがサンドされている。日本で広まっている小さな小判型のダックワーズは日本人パティシエによってアレンジされたもの。元々はホールケーキの底生地としてとして使われており、現在も様々なケーキの土台として使われている。
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