君が傍にいると心が和む

※本編中の話

ヒロイン視点


淹れたばかりの紅茶と今日のために用意していたレモンのパウンドケーキをトレーに乗せ、景吾くんが待っている自分の部屋へと向かう。

両手が塞がっている私が部屋に近付くと、いつものように内側からドアが開けられた。

景吾くんにお礼を言って中に入り、テーブルにティーセットを並べる。

セッティングを終えて、私はテーブルを挟んだ景吾くんの向かい側のクッションに座った。

「今日はお疲れさまでした。」

「別に疲れてはないがな。」

返された言葉に小さく苦笑いをするけれど、今日の外部試合の内容を考えれば本当のことなのだろう。

そして、景吾くんに誘われて応援しに行った私のほうが疲れているに違いない。

間近で観戦させてもらって楽しかったけれど、ギャラリーの多くを占める女の子たちからの視線に晒されるのは精神的なダメージが大きかった。

思わず零しそうになった溜息を飲み込んで、ティーカップを持ち上げる。

パウンドケーキが爽やかな風味だからと自分の分をミルクティーにしたのは正解だった。

甘くて温かいミルクティーがほっとした気分にさせてくれる。

「お前は本当に色々作るのな。」

パウンドケーキを口にした景吾くんが感心したように言うから、私は嬉しくなる。

「新しいレシピを試すのって楽しいから。…上手くいかない時もあるけどね。」

「へえ? いつも美味いと思っていたが。」

「失敗した時は人様には出さないもの。」

だから自分で食べるしかなくて、体重を気にする事態になるのが困ってしまう。

「そういえば、1年生の時の景吾くんは小さかったよね。」

「随分と唐突だな。」

「テニスコートと言えば、私の中では入学式の日のことを思い出すから。」

新入生代表として挨拶をする景吾くんの姿はあまりにも鮮烈だった。

入学式の後、私は周りに流されて何となくテニスコートに行き、そこで目にした景吾くんの姿にも魅了されてしまった。

それから一方的に憧れていたのが、今ではこうして景吾くんと一緒に過ごしている。

自分の気持ちを自覚した後でさえ想像することのなかった今の関係は奇跡のようで…

「あの時、お前も居たのか。」

思考を遮られて、カップの中の紅茶から目の前の景吾くんへと視線を移す。

「うん。あの時の景吾くんは……可愛かったよね。」

「は?」

私の言葉が予想外だったようで、珍しく無防備な表情をした景吾くん。

滅多にないけれど、こういう時の景吾くんは可愛いと思う。

きっと反撃されてしまうから言わないけれど。

「あくまで、今の私の感想だけどね。あの時は……格好いいって思ったよ。それからずっと、景吾くんに憧れていたの。」

「俺を口説いているのか?」

片手で頬杖をついて少し上目遣いに私を見つめる景吾くんの言葉に、顔が熱くなる。

懐かしい気持ちで話していたつもりだったけれど、改めて告白をしているようだと気付いたから。

「そういう訳じゃ…」

「残念だな。」

本気でそう思ってはいないだろう景吾くんは姿勢を正して、ティーカップを口に運ぶ。

景吾くんの顔が見られなくて、それを誤魔化すように、お皿の上の『ウィークエンドシトロン』に向き合う。

生地にレモンの皮と絞り汁を入れてあるだけでなくレモンアイシングがかかっているこのパウンドケーキはそう呼ばれるそうだ。

ちなみに『フランスでは週末に大切な人と食べる』とレシピサイトに書いてあった。

しっとりした生地とアイシングのシャリっとした食感を楽しみながら、上手く出来て良かったなと改めて思う。

「もう少し俺に集中してもいいと思うんだが。」

すぐ近くでした声に、景吾くんが隣に座ったのだと分かった。

「なまえ。」

酷く甘く名前を呼ばれて、誘われるままに景吾くんのほうに顔を向けた途端、唇を奪われた。


(2024.04.20)
 

【パウンドケーキ】
バターケーキの一種。小麦粉・バター・砂糖・卵をそれぞれ1ポンド(pound)ずつ使って作ることから、パウンドケーキと名づけられた。発祥はイギリスと言われている。なお、1ポンドは約454gである。

【ウィークエンドシトロン】
レモン風味のパウンドケーキのこと。ガトー・ウィークエンドとも呼ばれる。フランスでは週末に大切な人と食べるケーキとして知られている。製法は様々だが、レモンアイシングでコーティングされているのが特徴。

- ナノ -