まだ恋を知らない | ナノ


ヒロイン視点


もう夕方と呼べる時刻だが、まだ空は明るい。

開け放った窓から入ってくる生暖かい風に当たっていると、教室のドアが開けられる音がした。

「暑くねぇのかよ、なまえ。」

呆れたような声と共に近付いてくる足音が聞こえたが、私は窓の外に視線を向けたままでいた。

「お疲れ様。」

窓際に立っている私の横に並んだ跡部を見ずに声を掛けた。

「お前な…少しはこっちを見ろよ。」

苛立ちを僅かに含んだ声と共に私の頬に添えられた手に、顔の向きを変えられた。

「…っ……」

蒼い瞳に射抜かれて目が逸らせない。

「何故、そんな顔をする? お前は俺のことが好きなんだろうが。だったら…」

「分からない、から。どうすればいいのか。……君と一緒に居ると嬉しい筈なのに…落ち着かなくて……何か、心臓に悪い。」

必死に言葉を掻き集める私の頬を撫で、跡部は急に自信たっぷりな笑みを浮かべた。

「お前、そんなに俺に惚れてたのかよ。いや、分かっていたがな。」

戸惑うばかりの私を跡部が抱き寄せて、二人の間の距離が無くなる。

途端に胸が苦しくなってしまう。

「そんな顔をするな。抑えが効かなくなるだろ。」

「いや、意味が分からな…」

ゆっくりと跡部の顔が近付いてくる。

「……おい。」

咄嗟に跡部の口許に押し当てた手の平に息がかかる。

「無理、だから…っ」

拒否の言葉に意味は無く、私の手はいとも簡単に外されてしまう。

「なまえ、好きだ。」

反射的に目を瞑った私の額に触れた柔らかい感触。

目蓋に、額に、優しく口付けられ、最後には唇が重ねられた。

「もっとして欲しいのか?」

固く目を閉じたままでいる私の耳元で囁かれた言葉に、思わず跡部を突き放そうとしたけれど、逆に強く抱き締められた。

「兎に角っ、…もう、要らない。」

少しだけ腕の力が緩んだと思ったら、顎に手をかけられて上を向かされた。

「な、何…?」

「今から俺のことを名前で呼ぶのなら、放してやってもいいぜ。」

跡部は愉しそうな色を瞳に浮かべながら口の端を上げ、私の唇を親指の腹でなぞった。

「っ、……景吾。」

心臓が持ちそうになくて、早くこの状況から逃れようと名前を呼んだのに、放してもらえない。

「上出来だ。」

再び端正な顔が近付いてきたけれど、私は抵抗しなかった。

嬉しそうに細められた蒼い瞳を見たら、全てがどうでも良くなってしまったから。

軽く触れるだけの口付けを繰り返しながら、骨張った手が私の髪を優しく撫でる。

心臓が煩くて仕方ないけれど、私はその広い背中にそっと手を回した。



まだ初心でとても怖い

だけど、あなたが好きだから。


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