君といると心が休まる | ナノ
ヒロイン視点


私は午後の人の多い街中を跡部くんと並んで歩いていた。

こんなふうに一緒に学校から歩いて帰るのは今日が初めてだ。

とくとく、と心臓がいつもよりも少し速い鼓動を刻んでいる。

はっきりと誘われたわけじゃないけれど、いわゆる“放課後デート”になるのだろう。

少なくとも私はそう思っている。

だけど、落ち着かない理由はもう一つある。

さっきから、すれ違う女の子達の視線が跡部くんに集中していることだ。

学校内であれば、それは日常の光景なのだけれど…

どこにいても目立つ人なんだな、と改めて思い知らされる。

なんだか急に不安になってしまって、私は衝動的に跡部くんのシャツの袖を掴んだ。

「何だ?」

「ええと、その……ごめんなさい。」

やましいことがある訳じゃないのに、私は俯いて跡部くんの視線を避けた。

「手を繋ぎたいのなら、そう言え。」

跡部くんは私の行動を誤解したようで、シャツの袖を離した私の手を優しく握った。

繋がれた手が温かくて、胸に広がった不安は跡形もなく消えていってしまう。

「ありがとう、跡部くん。」

私は満たされた気持ちで、確かな温もりを握り返した。



程なくして着いたのは、私のお気に入りのケーキ屋さんだ。

跡部くんが私の好きな所に行くと言ってくれたのは少し意外で、とても嬉しかった。

小さなテーブルを挟んで向かい合わせに座り、頼んだケーキと紅茶が運ばれてくるのを待つ。

近い距離で跡部くんと向かい合っていることに、少し照れてしまう。

生徒会室でお茶をする時は隣に座っていて、こんな風にずっと跡部くんの視線を真正面から受けることはないから。

じわじわと頬が熱を持ち始めるのを自覚していると、店員さんがケーキと紅茶を運んできてくれた。

私が頼んだのは新作のオレンジとチョコレートのケーキで、跡部くんが頼んだのはフロマージュだ。

「ここね、紅茶もおいしいから。」

「そうか。」

跡部くんは短く相槌を打つと、淡いピンク色の薔薇が描かれたティーカップを持ち上げた。

そして、いつものよう香りを確かめてからティーカップに口を付ける。

一口飲んで満足そうに口許を緩めた跡部くんはカップをソーサーに置いた。

「良い茶葉を使っているのは勿論だが、淹れ方も申し分ないな。」

「…良かった。」

跡部くんに気に入ってもらえたことに安堵して、私は目の前のケーキにフォークを入れた。

表面をつやつやとしたチョコレートでコーティングされたケーキは、外側がチョコレートムースで内側がオレンジのムースになっているようだ。

口の中に入れると、濃厚なチョコレートの味にオレンジの甘酸っぱさが絶妙で、思わず頬が緩む。

「随分と美味そうに食べるな。」

そう言われて視線を向けると、跡部くんはティーカップを持ったまま私を見ていた。

「おいしい、から。」

締まりのない顔をしているのを見られていたのかと恥ずかしくなって、私はフォークを置き、誤魔化すように自分のティーカップを手に取った。

香りを楽しむふりをして、ティーカップの内側にも描かれている繊細な薔薇に視線を落とす。

「ところで、いつになったら俺のことを名前で呼ぶんだ?」

跡部くんの言葉に、ティーカップの中を満たしている淡く澄んだオレンジ色が大きく揺れた。

「動揺し過ぎだろ。まさか、嫌だとは言わねぇよな?」

「い、言わないよ…っ その……呼んでもいいの?」

中身を零さないように気をつけながらカップをソーサーに戻して、跡部くんをそろりと見る。

「お前ならいいに決まっているだろう。というか、呼べ。」

命令口調が多いのは以前とあまり変わらないけれど、その声も表情もすごく優しくて胸が高鳴る。

「……景吾、くん。」

くすぐったいような気恥ずかしさから、私の声は消え入りそうな程に小さくなってしまった。

それでも、大事な人にはちゃんと届いたようで、蕩けるような甘い微笑みを向けられた。


(2012.02.05)
 

【ヌワラエリヤ】
水色はやや淡めの明るく澄んだオレンジ色。清々しい香り。味はしっかりしており、さっぱりとした渋みがあって、繊細で上品な味わい。ストレートティーに向く。1〜3月頃がクオリティーシーズンで、特に上質なものは花のような香りを持ち、「セイロン紅茶のシャンパン」とも呼ばれる。

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