校門で忍足くんに声をかけられ、駅までの道を並んで歩いている。 他愛のない話をしながらも、私は内心の動揺を知られないようにするのが精一杯だった。 忍足くんの隣を歩けるのは嬉しいけれど、同時に胸が騒いで落ち着かない。 「花火、見に行かへん?」 「えっ?」 「今度の日曜にあるやろ、花火大会。…もしかして、もう誰かと行く約束しとった?」 「ううん、誰とも約束はしてないけど…」 「じゃ、決まりでええやんな? 楽しみにしとるで、自分の浴衣姿。」 そう言って笑う忍足くんの顔を夕陽が優しい色に染める。 「……そういう事ばっかり、言うんだから。」 「自分にだけやで。」 いつからだろう、忍足くんの言葉を素直に喜べなくなったのは。 忍足くんの笑顔を見て心が苦しくなるようになったのは、いつからだろう。 思わせぶりなことを言う忍足くんの気持ちは私には分からない。 ● ● ● 着慣れない浴衣で待ち合わせ場所に向かうけれど、普段は履かない下駄は歩きづらくて、気持ちだけが逸る。 黒地に淡い紫や青で薔薇が描かれた浴衣に、忍足くんはどんな反応をしてくれるだろうか。 胸には、期待と不安が入り混じっていた。 だけど、待ち合わせ場所に近付くにつれ、不安な気持ちの方が大きくなってきた。 「みょうじさん?」 背中から低い声に名前を呼ばれて、ドキッと心臓が跳ねた。 ゆっくりと振り返れば、私服姿の忍足くんが立っていた。 「やっぱり自分やったか。……可愛いと言うより、今日は綺麗やな。何や、ドキドキするわ。」 どう答えていいか分からずに口ごもる私の手を、忍足くんは自然な仕草で取って歩き出した。 その横顔を見つめても、やはり忍足くんの心は読めなくて、ただ握られている手が熱かった。 忍足くんに連れて来られたのは、とあるホテルの屋上だった。 本当は跡部くんが観覧席を貸し切りで押さえていたらしいけれど、必要なくなったからと譲ってくれたそうだ。 「花火、よく見えるらしいで。」 「なんだか学生には贅沢だね。」 「せやな。跡部には感謝や。」 「そうだね。」 私は会話を続けながらも、二人きりだという状況にとても緊張していた。 そこに響いた、静寂の闇を切り裂く音。 「…始まったな。」 見上げれば、深い藍色の夜空を彩る光。 私は高鳴る鼓動を抑えて、ただ打ち上がる花火に見入った。 「なまえ。」 花火の音が途切れた合間に、名前を呼ばれた。 初めて名前で呼ばれたとか思う前に、忍足くんに後ろから抱き締められていた。 「っ、……あの…離して…」 自分の身体に回されている両腕から逃れようと、身を捩る。 だけど、忍足くん離してくれるどころか、逆に腕の力を強める。 「それは聞かれへん。」 「忍足、くん…?」 どうしてこんな事をするのだろう。 「侑士って呼んでや。」 「……どうして、急に?」 どうしてそんな事を言うのだろう。 「好きな相手には名前で呼んで欲しいやろ? …だめか?」 「っ、……そんな、言い方は…ずるいよ。」 ようやく明かされた気持ち。 だけど、はっきりとは言ってくれないんだ。 「私の気持ち、知っていたんでしょ? それで、いつも期待させるようなこと、言って……私ばっかり、余裕がなくて…」 今だって、浴衣越しに伝わってくる体温に心臓が暴れて仕方ないのに。 「そら、なんとなくは分かっとったけど……自信、なかってん。」 腕の力を緩めた忍足くんが私の肩に額を押し付ける。 「好きや、なまえ。」 「……私も…」 そっと忍足くんの腕に触れる。 「侑士くんが…好きだよ。」 「…ありがとうな。」 囁くように言った忍足くんは腕を解くと、私から身体を離した。 「なあ、こっち向いてや。」 「恥ずかしいから、だめ。」 「めっちゃ顔見たいんやけど。」 「……やっぱり…ずるいよ。」 ゆっくりと振り返ると、熱を持った頬を撫でられて、上を向かされる。 「なまえ……好きやで。」 そっと唇を重ねた私達の頭上では、鮮やかな光の花が咲き乱れていた。 (2011.07.27) ← |