修業の鐘が鳴る前の食堂は閑散としている。食堂のおばちゃんが後に迫る夕食の時間に備えて、あれやこれやと準備をしている以外は極めて静かな空間だ。その中に、一人の女性が済ました様子で佇んでいる。彼女は自前らしい手鏡と少しの化粧道具で自分の化粧直しをしているようだった。
 食堂へやって来た仙蔵は彼女の姿を見かけると、普段と何ら変わらぬ様子で彼女の前の席に腰掛けた。

「失礼します。」
「あら、綺麗な顔の生徒さんね。制服からして、三年生かしら?」
「三年の立花仙蔵といいます。でも、貴方はご存知ですよね?前にも会いましたから。」
「そうだったかしら?貴方のような可愛い子、見たら忘れないと思うんだけど。」
「二年前、私が一年生の頃ですね。妹さんがご一緒でしたよ。「林子さん」。」
「・・・名前、言ったかしら?」
「先輩に聞きましたよ。何気なく話してみたら教えて下さいました。」
「そう・・・。それで、何か御用?」
「えぇ。率直に言います。この書類に角印を捺して下さい。」

 そう言って仙蔵が取り出すのは、作法委員会の予算案。既に交渉済みの書類には、最後に角印を捺すだけとなっている。

「どうしてそれを私に言うの?私は、たまたま用事があって学園に来ているだけなのに。」
「嘘ですね。貴方は学園の関係者、というか・・・外から来ていません。入門表に名前がありませんでしたから。」
「・・・・・・・・・。」
「実は以前お会いした後で、名前をお伺いしていなかった事に気付きましてね。事務員の小松田さんにお願いして入門表と出門表を見せて貰ったのです。でも、そこに「林子」という名前はありませんでした。今日もありませんでした。という事は、貴方は学園のサイドワンダーと言われる小松田さんの目を掻い潜れる程優秀なくノ一・・・或いは、最初から学園の中にいた、内側の人間という事になります。」
「・・・その年齢で、そこまで考えられるなんて、頭がいいのね。」
「有難う御座います。――話を戻しますが、学園に侵入者となれば先生方が黙っていません。なのに、貴方がこんな目立つ所にいても誰も何も言わない。つまり、貴方は後者の「内側の人間」です。言いましたよね、「貴方の名前を先輩に聞きました」と。」
「そうね・・・。」
「最初は本当に女性と思っていたんです。貴方の仕草も表情も、何もかもが女性のそれでしたから。ですが、私の先輩と・・・私の同級生の言葉が一致した事があるんです。「林子さん、という女性にしか見えない姿に変装出来る生徒がいる」と。」
「・・・・・・。」
「修業の鐘が迫っていると高を括りましたね、“御園先輩”。捕まえましたよ。それに、角印も貴方が持っている筈だ。」
「どうして、そう思うの?」
「図書委員長に変装なさっている時、言ってましたよね?「まさかまさかのパターン」って。あれは、手掛かりを掴めずにいた我々へのヒントだったのでしょう?――「まさかまさか」、会計委員会の角印は、会計委員の誰でもない・・・会計委員長の御園先輩が持っている。」
「――。」
「思い返せば、ちゃんとヒントはあったんです。貴方が教室に置いた手紙。最後に判が捺してありました。」

 置き手紙の最後、林蔵の名前の下にあった「◎」。遠目だったが、あれは確かに印章だと仙蔵は覚えている。

「ですが、あの印章に一致する判子は、一年生の田村も文次郎も、あの双子も持っていなかった。つまり、会計委員長が持っているに他ならない・・・!」
「・・・聡い子ね、本当に。」
「有難う御座います。ですが、今欲しいのは褒め言葉ではありません。この書類に、捺印して下さい。会計委員長・御園 林蔵先輩!」
「――参ったわね、からかって調子に乗っちゃったみたい。仕方ないわ、捺してあげましょう。」

 溜息混じりに、女性は懐から判子と朱肉を取り出し、それをポンと会計委員長しか捺せない場所に捺した。その瞬間、カーン!と鳴り響く修業の鐘。

「有難う御座います。――先輩!やりましたよ!」
「でかした、仙蔵!これでやっとマトモな予算を手に入れた!」
「あぁ、もう!悔しいっ!」
「まさか、先輩の女装が見破られるとは・・・」

 食堂に入って来る作法委員長に、床下から現れる文次郎と三木ヱ門。悔しがる林子・・・もとい、林蔵を片目に仙蔵は得意気に笑った。

「どうだ、文次郎!今年の予算会議は我が作法委員会の勝利だ!」
「別に勝負じゃねぇって。――ほら、先輩。いつまでも落ち込んでないで変装解いて下さいよ。」
「まさか、三年生にこの女装が見破られるなんて・・・!・・・・・・っ畜生!」

 バサリ、と艶やかな着物が翻る。と、そこに現れたのは六年生の制服を纏う林蔵の姿だった。
 見破ったとは言っても、「林子さん」と「林蔵」の印象はかけ離れているな、と仙蔵は思う。様変わりする様子を見ていてそう思うのだから、やはりこの先輩の変装技術は凄まじいものなのだろう。
 一方で、悪友の姿が戻った事で作法委員長が呆れるように話しかけた。

「相変わず、力の篭った女装しやがって・・・。お前の正体知ってる俺にとっちゃ気持ち悪いもの以外の何者でもないんだがな。」
「俺は女装だけは妥協しねぇの!」
「六年生(オレら)まで来たら逃げるだろうから、って仙蔵のアイディアでお前を論破する作戦は大成功だった訳だ。流石に「林子さん」で三年生から逃げるのは癪だったみたいだな。」
「ぁあぁ、もう!完全に逃げ切る気でいたってのに!」
「これで作法委員会は予算を獲得。安泰って訳だ。」
「は?何言ってるんだ、お前。その予算案は通らねぇぞ。」
「・・・お前こそ、何言ってんだ?今さっき、角印で捺印したばっかだろ?」
「いや、だから。本物じゃねーもの。これ。」
「「はぁ?!」」
「置き手紙に捺印したのは確かにこの判子だけど、これが本物っていう保証は無かったと思うがな?立花クン?」

 最後の名前を呼ばれた部分だけ、「林子さん」の口調で言われ、仙蔵はムッと押し黙った。

「会計委員でも、会計委員長のお前でもない・・・。まさか、隠してたってのか?!」
「いんや?ちゃんと「持ってる」って書いただろう?――――本命は三木ヱ門(こっち)!」
「えぇっ、わ、私ですか・・・っ?!」

 種明かしの言葉と同時に、林蔵は三木ヱ門の肩にポンと手を置いた。その動作に一番驚いたのは、他でもない三木ヱ門。どうやら、彼自身も知らなかったらしい。

「・・・委員長。予算が守れた事よりも女装が見破られた事に対して悔しがるの、止めてくれません?」
「俺にとっちゃ、女装の方が大事!」
「まさか、文次郎!貴様、最初からっ」
「角印がどんなものか、ってのは言った通りに知らねぇ。ただ。どこにあるかは知ってたぞ。」

 聞かれなかったし、聞かれても答えなかったけど。と言ってみせる文次郎。もっと問い詰めるべきだったと、仙蔵は後悔から歯を食いしばる。

「あの「まさかまさか」は、私の考えが見当外れだというヒントだった訳か・・・!」
「で、でもっ!私は預かっていた(偽物の)角印を奪われてしまいましたし、他には何もっ」
「予算会議の前に預けただろ?手放すなって言った、大事なもの。」
「・・・それって・・・、これですか・・・?」

 三木ヱ門は半信半疑のままにそれを差し出した。「甲」「乙」と書かれた竹筒。件の双子が愛用している調味料(?)・鉄粉が収められた通称「鉄粉筒」。その中の「乙」の方を徐に開き、林蔵は鉄粉塗れの綿を取り出してみせた。綿を開くと、中にはいかにもな重厚感を放つ判子が現れる。

「これが本物の角印。いやー、最後までバレなくて良かった良かった。」
「そんなの有りかよ、会計委員長!」
「俺は「会計委員が持ってる」って書いただけ。「隠し持ってない」とは書いてないだろ?まぁ、それでも一年生の三木ヱ門を徹底的に調べられたら終わりだったんだがなー。」
「・・・仙蔵。」
「・・・立花先輩・・・・・・。」

 地を這うかのような声に、薄ら寒い悪寒。仙蔵がぎこちなく振り向くと、いつの間にか食堂に集まりつつあった同輩や後輩たちの姿があった。彼らの様子から、今の話は全て聞かれていたようだ。

「お前・・・、一番最初に「田村はない」とか言ってたよな・・・?」
「〜〜、喜八郎〜!」
「おやまぁ。私は立花先輩から、三木ヱ門が判子を持ってたら取って来いと言われたから、その通りにしただけですよ?」
「最初に見つけた判子で納得してしまったんだね。」
「どちらにしても・・・、お前が確認を怠ったんだよな・・・?」
「――こうなれば、文次郎!貴様、今日の夕食を奢れ!」
「何でそーなんだよ。」
「いやいや、そこは仙蔵が奢るべきだろう!」
「そーそー。お前の所為で俺たちは“見・当・違・い”の文次郎を狙ってたんだからな〜!」
「それでいて、僕らが動けないのをいい事に自分の委員会だけ予算を取ろうとしてたんだからね〜?」

 いつの間にか、話題は仙蔵の責任問題に移っていた。呆然と事の成り行きを見ているしかなかった三木ヱ門に、不意に林蔵が話しかける。

「よくやったな、三木ヱ門。」
「え、でも・・・私は何も・・・」
「判子を守っていたのは間違いなくお前。お前が、文次郎の言葉をちゃんと守ってくれたから出来た事だから、お前の手柄だ。」

 俺の一コ下の後輩は何言ったって聞きやしねぇんだ、と遠い目をする林蔵の姿には流石に何も言えない。

「自分の道が決まってるから、かもしれねぇが・・・どうにも俺は商人魂ってのが抜けなくてな。大損しかねない博打はしない主義なんだ。」
「博打、ですか・・・?」
「この場合の大損とは、予算会議で予算を守れない事。そして、会計委員会が学園の敵に回る事。前に話した去年の予算会議は、二代目会計委員長だから出来た事だ。俺の同輩はそっちの方に気が回ってた。奴らに徒党を組まれたら、あっという間に予算を取られちまうからな。」

 そうならないように、林蔵は己の変装術で姿を隠し、周囲が結託しないように立ち回った。
 自分が遊び半分だという事が知れば、彼らは確実に手を緩めるという確信があったのだ。何せ、自分も彼らも、嘗ての先輩たちのように完全に敵対出来る度胸は持ち合わせていないのだから。

「多少の手間暇はかかっても、こんな事で予算が守れりゃ御の字だ。文次郎や三木ヱ門を、こんな事で傷付けたくなかったしな。」
「・・・前の予算会議では何かあったのですか・・・?」
「お前も、文次郎も入学してない頃の話だ。俺が会計委員長に、いや会計委員会にいるのは、とある先輩がいたからなんだが・・・。その先輩が『地獄の会計委員会』を立ち上げた。その先輩の想いを無下にしたくねぇから、こうして『地獄の会計委員会』を守ってる。」

 守っている、とは。三木ヱ門の予想しない言葉だった。
 その表情を悟ってか、林蔵は苦笑して続ける。

「『地獄の会計委員会』は、案外脆いもんなんだぞ?何せ、その代の委員長が一言「止める」って言えば終わっちまうんだからな。」
「・・・・・・・・・。」
「だから、俺は守らねぇといけなかったし、見極めなくちゃならなかった。この委員会を守り、継ぐ生徒をな。」
「守り、継ぐ・・・。それは、潮江先輩の事ですか・・・?」
「そうだな。あの双子は、正直不安だ。――俺としては、お前がそんな文次郎を支えてくれたら、って思ってる。」

 林蔵は今年で学園を卒業する事が決まっているし、一つ下の双子に不安があるからと言って文次郎に全てを背負わせる気にもなれない。だから、林蔵としては文次郎を支えてくれる後輩が現れてくれれば万々歳なのだ。
 彼の想いを悟って、不意に三木ヱ門は問いかける。

「御園先輩・・・。私も、会計委員会を継ぐ事が出来るでしょうか・・・?」
「それを決めるのは俺じゃねぇ。その時の会計委員長だ。」

 その時の会計委員長。それは、十中八九、潮江 文次郎の事なのだろう。察した三木ヱ門は、言わずにはいられない。

「っ、分かりました!この田村 三木ヱ門!潮江先輩のお役に立てるよう、精進致します!」

 意気込む三木ヱ門に、林蔵はニッカリと笑って「おう!頼んだぞ!」と男らしく笑って答えてみせた。

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