林蔵が各委員会に提示した予算会議の会場。それは彼が所属する、六年ろ組の教室だった。だが、各委員長がそこへ趣いても、そこには誰の姿もない。あるのは、会計委員長が書いたと思われる置き手紙が机の上に一枚だけ。


 各委員会諸君。本日は目出度き予算会議であるが、ワタクシ会計委員長・御園 林蔵は逃げます♪
 学園内にはいるので、予算が欲しい委員会は俺を見つけ出す事。
 会計委員会の角印を会計委員の誰かが持っているので、それを持参する事。
 角印のない書類の予算は認められないのでご注意を。

 ――という事で、頑張って☆

会計委員長・御園林蔵◎



「ふざけるなぁ!!」

 読み上げた瞬間。林蔵と同級の委員長たちは、一斉に叫んでいた。

 人をおちょくっているとしか思えない文面。この場にいない会計委員会。上級生たちは、今回の予算会議の厄介さを思い知る。
 去年の会計委員長は真っ向勝負で此方の予算案を破る、という形で予算を守っていた。だが、今回の相手・林蔵は自分たちを相手にする気がまるでない。今年も予算会議も午後からで、締切は去年と同じく修業の鐘が鳴るまで。「逃げます」の言葉通り、林蔵は修業の鐘が鳴るまで逃げ切るつもりでいる。

 「色に溺れた六年生」「変装名人」等の二つ名を持つ御園 林蔵。実は、彼にはまだ別の二つ名が存在する。その名も――――。




「最も逃げ足の早い六年生。」
「何、その情けない二つ名。」

 二つ名を聞いた瞬間。二年い組の尾浜 勘右衛門は呆れたような表情と口調になってしまった。まぁ、無理もない。二つ名とは基本的に、上級生の有能さを表す言葉の筈だからだ。けれど「逃げ足の早い」はどうにも格好悪い。尤も、林蔵の他の二つ名が格好良いかと言えば甚だ疑問ではあるが。

「情けないも何も、御園先輩ご本人が言っていたからなぁ。」
「とゆーか、三郎って御園先輩と脈絡あったの?」
「たまに、変装の事で。」

 そう告げるのは、二年ろ組の鉢屋 三郎である。彼と勘右衛門は学級委員長委員会所属である為、基本的に予算会議には関与しない傍観の立ち位置にいた。

「変装名人と謳われるに相応しい技術の持ち主だが、私はあの先輩の凄さは演技力にあると思う。実際、あの人が本気になると化けたんじゃなくて入れ替わったんじゃないかって真剣に思うし。」
「あの先輩、骨格レベルで変わるもんねぇ。」
「――で、その演技力と持ち前の巧みな話術を組み合わせると・・・。どんな城からも生還して、どんな先生の説教からも逃れられるらしい。」
「そうなんだ。確かに戦忍っぽい先輩じゃないとは思ってたけど。」
「何でも、実家が何かの店をやってて、卒業後はそこを継ぐ事が決まってるらしい。店の店主なら、話術は必須項目だからな。」
「へぇ。御園先輩のご実家って、何屋さん?」
「知らない。聞いてもはぐらかされるし。」

 話題が逸れたが、林蔵の演技力と話術にかかれば、どんな城に捕まろうとも五体満足で学園に戻る事が出来るらしい。実際、彼の話術に助けられた同級生・下級生は多いのだ。が、今年の予算会議に限っては、それが牙を向いたと言って良い。何せ、――林蔵の能力を一言で言えば「誤魔化す」能力が高いという事。
 「千の顔を持つ男」の評価を受ける三郎の変装の範囲が「広く浅い」であれば、林蔵の変装の範囲は「狭く深い」。変装の種類こそ限られるが、その完成度が異常に高いのだ。初見では、教師すらその変装を見抜くのは難しいという。

「だから、もう上級生は目を皿にして御園先輩を探してるって訳だ。」
「ふぅん・・・。雷蔵たちも大変だね、そんな先輩を探さなくちゃならないなんて。」
「いや、雷蔵たちは御園先輩を探さない。潮江先輩を探してる。」
「潮江先輩を?何で?」
「最初に言っただろ。角印を持参しろ、って置き手紙があったって。立花先輩たち、潮江先輩が角印を持ってると睨んでるみたいなんだ。」




 上級生による会計委員長の捜索は難航しているようだった。ある時は同じように林蔵を探す同輩に、ある時には一つ下の五年生に、ある時には体格の良い四年生に。見つけた、いた、騙された、を繰り返し、未だに彼とまともに予算交渉を出来た委員会はいない。
 どんなに頑張った所で、「変装名人」とまで呼ばれる六年生を下級生が揃いも揃って見つけられる筈もない、下級生たちは下級生たちで徒党を組む事になった。会計委員長の事は上級生に任せ、自分たちは自分たちで出来る事をしようという算段だ。

「何で、文次郎なんだ?会計委員は他にもいるだろう。」
「田村はない。既に作法(うち)の喜八郎が接触済みだからだ。」

 三年は組の用具委員・食満 留三郎の問いに答えたのは、三年い組の作法委員・立花 仙蔵だった。彼はそう言うと、食堂に集まっていた面々の前でコロリとある物を転がして見せる。
 会計委員の誰かが角印を持っている。その角印が無ければ、予算案は通らない。それを悟った仙蔵は、直ぐに一年い組の作法委員・綾部 喜八郎に指示し、三木ヱ門から角印を奪う事に成功していた。喜八郎は何かとマイペースだが、それ相応の指示を出せばしっかりとそれを行動できる、仙蔵の自慢の後輩だ。

「これが田村から手に入れた“角印”だ。流石に、これを予算会議で使うとは思えない。」

 コロン、と転がる四角い判子。角印とは委員会の認印。袋から取り出したそこには、平仮名で「かいけい」と彫り込まれていた。流石に、予算案という重要書類に平仮名の判子は使わないだろう。と、誰もが納得する。

「あの面子で他に会計委員長が角印を持たせる程信用しているのは、文次郎くらいのものだろう。」
「でも、・・・会計委員って五年生がいませんでしたっけ?あの、双子の・・・」

 二年い組の火薬委員・久々知 兵助が冷奴を箸で啄みながら呟いた瞬間。三年生の・・・主に三人の空気が、ずぅんと重くなった。その代わり映えに、失言だったと兵助は己の失態を思い知る。

「あの、双子は・・・ね、うん・・・・・・。」
「・・・・・・どちらかと言えば、近付きたくない・・・。」
「・・・奴らに近付くにしても、やはり文次郎を見つけてからだ。奴らとは、まともに会話出来る気がしない・・・!」

 遠い目をする三年は組の保健委員・善法寺 伊作。小さい声ながらも拒絶の意を示す三年ろ組の図書委員・中在家 長次。肩をワナワナと震わせる仙蔵。余りの空気の重さに、あの双子と三年生の間に何がったのだろう、二年生たちは訊くに訊けなかった。
 各々が優秀な為に、上級生にも強気と知られる三年生を前にして、ここまで言わしめる五年生の双子とは、一体何者なのだろう。

「つか、さっさと食い終われよ。兵助。土井先生が待ってるだろう。」
「貰い物の豆腐は美味しいのだ。」
「でも、食器は早めに返さないといけないでしょう。」
「そもそも、作戦会議中に豆腐を食べる奴がいるか。」
「仕方ないだろう。頼まれたんだから。」

 そこまで批難される覚えはない。と同級の図書委員・不破 雷蔵と生物委員・竹谷 八左ヱ門呟きながらも、兵助は残りの豆腐を名残惜しそうに口に放り込み、空になった二つの食器を持って食堂の隅にいた教師の方へと近付いた。

「土井先生。ご馳走様でした。」
「いつもスマンな、兵助。あまり練り物が入らないメニューにしたつもりなんだが・・・」
「今回は煮物に入ってましたね、竹輪が。」

 土井 半助。兵助の所属する火薬委員会の顧問であり、食堂では有名な練り物嫌いでもあった。だが、食堂で出された物を残す事は、例え教師であっても許されない。その為、彼は食堂のおばちゃんの目を盗んでは、近場の生徒に練り物を食べて貰うという強硬手段に出ていた。兵助はその強硬手段の常連で、土井は彼に練り物と同時にいつも豆腐を献上する(豆腐のメニューがない場合は、後に豆腐を買い与える事になっている)。

「だが、助かった。有難う。」
「いい加減に食べれるようにならないと、いつかおばちゃんに殺されますよ?」
「恐ろしい事を言うなよ・・・、本当になるかもしれないだろう。」

 苦笑しつつ、土井は兵助から食器を受け取ってそれをおばちゃんへと返却する。「今度はちゃんと食べてくださいね」と睨まれても、彼は乾いた笑いのままで食堂を去る。優秀な忍者なのは認めるが、その姿はどうにも情けない。

「豆腐を買ってまで食べて欲しいなんて、本当に練り物嫌いなんだなぁ。土井先生って。」
「まぁ、土井先生の事は置こう。今の問題はどうやって文次郎を・・・」
「せ、せせせ、先輩ー!」
「お?」

 ドタバタと、慌ただしい足音が近付いて来る。食堂に駆け込んで来たのは、予算会議に対して興味がないといなくなってしまった喜八郎を探しに行っていた、同じく一年い組の体育委員・平 滝夜叉丸だった。忍者らしからぬ、というか美麗を心がける彼らしからぬ騒々しさだったが、今は彼は気にも止めていない様子で三年ろ組の体育委員・七松 小平太に問いかける。

「な、七松先輩!土井先生はまだいらっしゃいますか?!」
「おー、滝夜叉丸!土井先生なら、今さっき出て行ったぞ!」
「あぁ、出来れば引き止めていて欲しかった!ここにいた土井先生、御園先輩ですよ!」
「「は?」」

 み そ の せ ん ぱ い で す よ 。
 ストン、と入って来た言葉は平仮名で、翻訳するのに少々時間が掛かった。

「な、何ぃ?!今の土井先生が御園先輩!?」
「嘘だっ!今さっきまで兵助が話してたのにっ」
「間違いなく、土井先生だったと・・・」
「残念だけど、それは林蔵だよ。兵助。僕、さっきまで出張帰りの土井先生と委員会について話してたもの。お昼も帰り途中の茶屋さんで食べたって言ってたし。」

 そう告げるのは、滝夜叉丸について来た何処か気弱な火薬委員長。彼に告げられた現実に、兵助はショックを隠せない。何かが、兵助の足元でガラガラと崩れ落ち、奈落に落ちていくかのよう感覚だった。

 滝夜叉丸が喜八郎を探して食堂を出たのが、丁度土井が兵助に“いつもの頼み事”をしていた頃の事。滝夜叉丸は喜八郎を探すその道中、学園の門の近くで何かを話す火薬委員長と土井を見つけて驚いたものだ。
 土井は教師陣の中でも若く、林蔵の変装術の許容範囲にいる可能性は十分にある。だが、単に顔を変えただけでは分かる筈。そう高を括ってしまっていた。表情、仕草、息遣い、それらの全てが、兵助に・・・いや、その場にいた全員に、彼を土井 半助だと思い込ませていたのだ。

 御園 林蔵。嘗ての色濃い会計委員長・初代と二代目に隠れがちではあったが。改めて、彼らはこの予算会議の手強さを知った。

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