蓬川兄弟の片割れ(どちらなのか、判別が付かなかった)が、二人を呼び寄せたのは、どうやら食事を運ぶためだったらしい。長次と伊作の持つそれぞれの膳に、新しいB定食が並んでいる。因みに蓬川兄弟の片割れは、丼に入った粥が乗せられた膳を持っている。

「・・・あの、蓬川先輩・・・?どうして、僕らなんでしょう・・・?」

 二人にはまるで見向きもしない、といった様子で先を進む蓬川兄弟の片割れに、恐る恐る伊作が問いかけた。彼らは「人嫌い」を隠さない。三人分の食事ならば、そもそも双子が揃って取りに来るだろうし、使うにしても、食堂の入口近くには珍しいもの見たさにやって来る生徒も何人かいた。あの状況で、態々自分たちを指定する意味が分からなかった。
 ・・・そう言えば、いつも意欲的に彼らの世話をしている文次郎はどうしたのだろう・・・?

「どうして?って、何が?『論外な清水寺』。」
「・・・寺の名前をつければ当たるって思ってませんか、先輩。僕の名前は善法寺です。」
「知ってる。ワザとだもん。」
「――――。」

 伊作は絶句した。この先輩は、名前を覚える気がないのではなく、名前を呼ぶ気がないのだ。
 色々と常識がないとは聞いていたが、このままでは会話もまとまらないだろう。教師が匙を投げたというのが、何となく分かった気がした。

「あー、さっきの質問ね。何で君らかっていうのは、君らだから。」
「は?」
「説明終わり。君らは何も考えずにそのご飯を運んでくれればいいだけ。」
「・・・どこに、ですか?」
「六年長屋の、僕らの部屋。」

 長次が尋ねると、蓬川兄弟の片割れは実に素っ気なく答えた。蓬川兄弟の長屋。噂では、あの部屋の内部は色々と凄まじい事になっているらしい。彼らに近付こうとする生徒もいないので、彼らが使う開かずの間のような扱いになっていた事を思い出す。

「そーそー。竹筒返したからね。食堂戻ったらちゃんと回収しといてよ?」
「え、竹筒?」
「食堂で・・・伊作にぶつけた、アレ・・・?」

 スコーン、と綺麗な音と共に伊作の後頭部を直撃していた。そのお陰で、伊作は夕食だった冷めかけの狐饂飩に顔ごと突っ込んでしまったのだが。
 竹筒、という単語で思い出すのは、伊作が昼間に文次郎に渡した新しい薬湯の事。けれど、それをどうして先輩の彼が持っているのか。

「あんなものを飲ませるなんて、それが君らの友情なの?」
「あんなもの、って・・・」
「図書館の、持ち出し禁止コーナー。右から数えて二番目の棚の、上から三段目。『劇薬五十選・改訂版』。二十五頁の四項目目。――いくら保健委員だからって、四年生が興味本位で使っていい薬草じゃないよ。てか、そんな危ない知識をほいほいと外に出すのも図書委員としてどーかと思うし。」

 二人は絶句した。目の前の先輩は、飲みもしていない薬湯に含まれる薬草を言い当て、その情報源たる書籍すら言い当ててみせたのだ。確かに、図書委員の長次は「何か刺激になるような薬草ってないかな?」という伊作の問いかけに、最近になって入る事を許された持ち出し禁止コーナーに所蔵された書物に載っていた薬草の事を一つだけ、告げた。
 ・・・・・・そして、その薬草から作り出された薬湯を渡した文次郎は昼からずっと、姿を見ていない。同じく授業のなかった、仙蔵でさえ。

「飲んだ瞬間に吐き出して、何事かと思ったよ。僕ら、普通の水だと思ってたし。もう少し遅れてたら、今頃大事になってたよ。」

 保健委員が作った薬湯で、生徒が毒殺されそうになった。大事になるには十分な話題だ。職員会議ものだろう。
 先ほど告げられた「君たちだから」という答えが何となく分かった。彼・・・否、彼らは怒っているのだ。薬湯・・・毒湯を飲ませた自分たちに。

「言っとくけど、命に別状ないよ?薬草園から盗んだ薬草で作った解熱剤も効いて、熱も下がったしね。」
「盗んだ、って・・・」
「僕ら、生物・保健・図書には好い顔されないからね。保健室で「薬をください」っていうよりは、てっとり早いんだ。君が原因なんだから、見逃してね。」
「・・・どうして、それを先生に言わないのですか。」
「面倒じゃん。もう終わった事を蒸し返すのって。ただ、君らにはムカついたからあの評価にしちゃったってだけ。」

 あの評価。とは午後の試験の事なのだろう。

「中在家 長次、六年生を見つけるのに必死になりすぎ。物売りとしては声も小さい。よって『無理がある』。善法寺 伊作、自分の力を過信しての薬湯制作、薬効に気付かずに配布。後は持ち前のお人好しで紛れるどころか逆に人目を集めた。だから『論外』。以上が君らの評価だけど、もっと聞く?」
「・・・いえ、」
「結構です。」

 騒ぎになっていないのは、単に彼らが誰にも話していないからだ。彼らの常識外に助けられている事に、二人はゾッとした。
 彼らからの酷評など、可愛いものだ。

 そうこうしている内に、三人は目的の六年長屋へと辿り着く。二人用に宛てがわれる部屋にかけられた「蓬川」の札が一つだけ。彼らは苗字が同じなので、この札一枚で事足りるのだろう。

「はい、到着っと。もういいよ、二人共。とっとと戻って、夕飯食べちゃって。」
「あの、文次郎は・・・」
「命に別状はない、って言ったよね?症状は一度で覚えなよ、保健委員。――今は熱も下がって寝てる。だから、入っても会えないよ。それとも、合わせる顔があるの?」
「・・・っ」

 彼の言葉は、あくまで淡々としていた。怒っているとは感じたが、まるで冷たい人形のように言葉に感情が篭っていない。

「落ち着いたら四年長屋には帰すよ。その時にでも謝ったらいいんじゃない?」
「そう、ですか・・・。」
「じゃ、そういう事で。――こーた。ただいまー。」

 すらり、と戸を引いて入る彼。どうやら彼が「蓬川乙太」で、「蓬川甲太」は長屋で文次郎の看病をしていたらしい。

「おかえりー。おーた。」
「どう、様子は?」
「んー、ぐっすり眠ってて起きないや。やっぱ疲れてるんだね。」

 戸の隙間に、大きく膨らむ布団が見える。文次郎がそこで眠っているのかと思うといてもたってもいられなくなったが、伊作は長次に肩を掴まれて長屋へ入る事が出来なかった。
 会えない。少なくとも、今は。会った所で、今という状況が変わるとは思えない。

「・・・っ、」

 病人を見逃す。保健委員の伊作にとっては酷な事だろう。しかし、その病気の原因は伊作当人にあるのだ。文次郎は二人が看ている。伊作は、今の精神を治める必要がある。

「ごめん・・・、文次郎・・・!」
「・・・済まなかった。」

 決して届かぬであろう、けれども伝えなければと思った言葉。二人はそれを絞り出して、そうして六年長屋を後にした。




「――行った?」
「うん。あー、後輩とあんなに話したのって初めてかも。」
「気合が入るとしゃべるっていうのは、組頭先輩みたいだねー。」

 苦笑しつつ、甲太は手渡された食事を各々の文机に並べる。残ったお粥を食べる筈の当人は、未だに眠っていて起きる様子がない。どちらにせよ、お粥には湯気が立っているので食べるのはもう少し後になるだろう。

「どーしよ、先食べちゃう?」
「なっちゃんは、もう少し寝しとこーよ。他にする事はまだあるし。」
「じゃ、食べちゃおっか。」
「そだね。じゃあ、」

「「頂きます。」」

 手を合わせ、一礼した後に二人は食事に付く。学園に来た時は、こんな事も出来なかった二人だ。それが出来るようになったのは、我が体の一部とすることに感謝する、という初代会計委員長の教えがあったからに他ならない。

「二人だけでおばちゃんのご飯って久し振りだねー。」
「んー、やっぱり淋しいねー。あ、鉄粉かけるの忘れてた。」
「ホントだ。」

 二人はほぼ同時に、無造作に、文机に立てかけていた「甲」「乙」印の竹筒に手を伸ばす。薬湯が入っていたそれとは違い、手に持つとズシリと馴染み深い重量感がする。
 「偏食悪食」という異名の原因となった、彼らにとってのマイ調味料・鉄粉である。それを、ザラザラと、まるで七味でもかけるような感覚で、おばちゃん特性のB定食にかけていく。慣れない者がいれば、「何てことを!」と発狂しかねない場面である。

「ねー、こーた。」
「何、おーた。」
「友達って、そんなに必要なのかな?」
「・・・・・・・・・。」

 乙太の問いかけに、甲太は即答出来なかった。それは、甲太自信も疑問に思っていた事だったのだ。
 嘗て、自分たちの上にいた歴代会計委員長たちは、文次郎に同学年の友人が出来ている事を「良し」と喜んでいた。が、既に片割れという完結した絆の中にいる蓬川兄弟にとっては、それが彼らの言うように良いものであるとは思えない。初代会計委員長がそうだったように、蓬川兄弟の同級生とは嫌煙だった。唯一の違いは、初代会計委員長が憎悪で見られていたのに対して、蓬川兄弟は腫れ物のような扱われ方であるという事だろう。しかし、同級生に対しても然程関心のない双子はそれでも良かった。

「なっちゃんが可哀想だよ。あんなに頑張ってるのに。アイツ等、それが当然だと思ってるんだもん。」
「それは僕も思うよ。・・・でも、僕らが言ってもなっちゃんは止めないよ。あの中に、僕らは入れない。」

 文次郎の友人を自負している彼ら。そこに確かな友情ががあるのは、間違いはないだろう。
 けれど、彼らは気付いていない。あの場所にいる為に、文次郎がどれだけのものを捨てているのか。どれだけの苦労をしているのか。
 知らないまま、友人と称して文次郎を笑顔で傷付けている。――それを、文次郎は受け入れている。だから、いつも文次郎は自らを傷付ける。鍛錬と称して。何処までも痛めつける。

 だからか、いつの間にか、文次郎は己の命にとても関心を持たなくなってしまった。

 彼らと自分の命は平等ではないと。投げ捨てるべきは己なのだと。そんな事を考えている節さえある。
 このままでは、いつか文次郎は己で己を殺してしまうだろう。そして、死んだ彼の亡骸を前にして、何も知らなかったように彼らは泣き叫ぶのだ。――それが、とても苛立たしい。その気になれば、いくらでも止められた筈なのに。それを、しようともしない彼らが、とても憎らしい。
 彼らの絆は、彼らが思っているよりも平等ではなく、歪んでいる。

「嫌われちゃえばいいんだ。あんな奴ら。」
「そうだね。で、なっちゃんから見向きもされなくなってしまえばいいんだ。」

 自分たちと同じく、文次郎は線引きがはっきりとしているタイプだ。彼が愛想を尽かせば、どれだけ天才だろうが秀才だろうが、美麗だろうが、決して見向きもしなくなる。何も感じなくなる。――彼らが“そう”なってしまえばいい、と何処かで思う自分たちがいた。
 けれど、自分たちが二人でいる事を認めてくれた先輩たちはそれを望まない。
 何より、それでは文次郎が変えられない。――彼の自己犠牲論を変えられるのは、止められるのは、自分たちでは不可能なまでになってしまっている。

「・・・あーあ。可哀想だね。」
「そうだね、とても可哀想だ。」

 本当なら、午後の試験にだって行きたくはなかった。けれど、熱に魘される文次郎に頼まれてしまったのだ。「ちゃんと、次の試験も出て下さいよ」と。――彼はいつものように教師に頼まれて、自分たちが試験に出るよう持ちかけたのだろう。嘗ての先輩たちが卒業してしまった今、双子が話を聞くのは文次郎だけと言ってもいい。

 譫言のように文次郎は、こうも言っていた。「伊作たちを怒らないで下さい」「俺が頼んだことですから」「毒に慣れる鍛錬をしているのです」。あんなになってまで、彼は同輩を庇う。自分はどうなってもいいから、彼らを虐げることだけはしないで欲しい、と。

 今の文次郎を見たら、先輩たちは何と言うだろう。喜ぶのだろうか、怒るのだろうか、悲しむだろうか。それとも・・・。

prev next
 gift main mix sub CP TOP
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -