仙蔵は沈んでいた。期待に胸を膨らませていた先輩に会えなかっただけなのだが、どうにも自分が空回ってしまたっと思うと情けなくて仕方がない。こういう時は、いつもなら同級生の文次郎を弄って自分を慰める。が、その文次郎は昨夜、出掛けると言っていた。このまま長屋に戻っても、彼はそこにいないだろう。

「(こうなるのだったら、せめて行き先くらい聞いておけば良かった。そうしたら、乱入しに行けたものを・・・!)」

 例え大切な用事に乱入されようとも、仙蔵を無下には出来ないのが文次郎という同級生である。一年生にしてはえげつない弄り方をする仙蔵に、文次郎はいつも応えていた。――よくぞ耐える、よくぞ受け入れる。一年生にして寛大な心を持つ文次郎に、見えない所で一年い組の教師陣は涙を流していた。
 彼がいるといないでは、仙蔵による被害報告で胃に穴が空の数が異なる。

 話題が逸れたが、今日はそんな文次郎がいないので、仙蔵の機嫌は昨日と打って変わって急激に下降していた。右肩下がりなんて生易しいものではない。上から下への急転直下である。
 自慢ではないが、仙蔵は一年生の中でも頭がいい。寧ろ常に上位をキープする天才だ。そして、それでいて子供らしい独創性と陰険さを兼ね備えている末恐ろしい忍たまである。天才と呼ばれる彼には、出来ないことやつまらない事が少ない。逆を言えば、出来ないことやつまらない事に慣れていない、気に入らない。
 それらの鬱憤は、周囲の人間へと無造作に振りまかれる。最大の被害者は文次郎で、時点で不運の善法寺 伊作、同級生とリストが続く。このままでは、彼らの命日が明日にも成りかねない程に・・・仙蔵の機嫌は宜しくなかった。

 ・・・の、だが。

 どん。と、仙蔵は何かにぶつかった。
 俯いて歩いていたので、目前に迫る人の存在に気付く事が出来なかったのだ。忍者を目指す者として恥ずかしい、と小さく仙蔵は己を恥じる。

「っ、すみませ――」
「あらあら。私もごめんなさいね。前方不注意だったわ。」

 謝罪の言葉が途切れる。仙蔵が俯いていた顔を上げると、若い女性がいた。
 お淑やかな物腰、どこか雅やかな雰囲気。美しい容姿。背後の太陽が、まるで仏の背負う後光のよう。絵から飛び出た絶世の美女かのようなその姿に、仙蔵は目が釘付けになってしまった。

「ぃ、ぃぇっ・・・こちらこそっ、」
「その制服という事は、一年生ね。お名前は?」

 女性は此方の事を知っていた。けれど、仙蔵は今まで彼女のような女性に会った事がない。つまり、普段は学園にはいない関係者か、お客様なのだろう。
 妙な緊張で、仙蔵の声が裏返った。

「た、立花仙蔵ですっ・・・」
「・・・そう、・・・君が・・・」
「あ、あの・・・何か・・・?」
「あら、ごめんなさい。只の独り言よ、気にしないで。」

 くすり、と笑う笑顔も美しい。もっと見ていたい、と無意識に近づく。と、彼女の後ろに蠢く人影を見た。

「・・・あの、後ろに誰か・・・・・・」
「あぁ、妹が一緒なのよ。ほら、おふみ。ご挨拶は?」

 背後にいるらしい「妹」に、女性が声をかける。「おふみ」という名前らしい。が、仙蔵にはその姿は殆ど見えない。・・・というよりも、向こうが此方に見えないようにしているようだった。

「――・・・・・・」
「どうしたの?おふみ。黙りこくっちゃって。」

 チラリ、と見えるのは自分と同じくらいの体型に鮮やかな女性用の着物。小さな手は女性の着物の袖を掴んで、決して此方を見ようとはしない。
 姉である女性が「ほら、ご挨拶!」と声をかけても、「おふみ」は無言のまま、左右に首を振るだけだった。

「まったく・・・。許してやって頂戴ね。久し振りのお出かけで、この子ってば初めておめかしして来たんだけど・・・何だか緊張してるみたいで。」
「いいえ。私も不躾でした。」
「ふふ、礼儀正しいのね。」

 女性の声は鈴を転がすように透き通ったものだった。普段、性別的には男が多いこの学園では滅多に聞く事のない類の声(くのたまや、女性の教師とも違う)。自然と、仙蔵の胸が高鳴った。

「ぶつかって怪我をしていないのであれば良かったわ。さて、私たちはそろそろ行かなくちゃならないの。ごめんなさいね。」

 お淑やかな物腰をそのままに、女性は妹を連れて学園の正門がある方へと歩いて行ってしまう。仙蔵は追いかけたかったが、歩いている姿も美麗で見とれてしまって、足を動かすことを忘れてしまった。――今までに見たことのない、絶世の美女。笑顔を思い出すだけで、心臓が震える。

 ・・・これが、恋だろうか。




「・・・・・・・・・。」
「おふみー?挨拶くらいしなさいよ。」

 棒立ちの仙蔵が此方に向かって来ない事を悟って、漸く絶世の女性・・・もとい、女装した林蔵が妹の「おふみ」こと、女装した文次郎に声をかける。が、文次郎は俯いたままに首を降る。

「む、無理です無理ですっ!直ぐにバレます・・・っ!」

 バレたら、当分はこのネタで揶揄われる事は必至。あんな場所で仙蔵と出会すとは思っていなかった文次郎の心臓は、先刻からバクバクと煩く鳴り響いている。

「バレないわよ。まぁ、今回はシャイな妹って事で誤魔化せたから良かったけどね。この姿でいる時は、恥じらいなんて捨てなさい。」
「・・・その声と喋り方、止めてくれませんか・・・?」
「嫌よ。私は妥協しないもの。」

 女装するのは文次郎だけではない。その言葉に偽りもなく、林蔵も文次郎の目の前で女装をしてみせた。
 着物姿で歩くのに慣れる為、と女装姿のままで学園の中庭を歩き回る事になったのだが・・・。女装した林蔵の纏う雅やかな雰囲気も、しゃなりしゃなりとした歩き方も、まるで骨格ごと変わってしまったかのようにさえ思う。時折、文次郎は林蔵ではない、別の誰かに手を引かれているような気分になる。

 いつもの男らしい声も口調もなくなって。女装した林蔵こと「林子」は誰の目から見ても、完璧な女性である。
 以前、気に入った人物を「信頼の証」として渾名呼びする双子の三年生に、文次郎は「どうして林先輩を「さっちゃん先輩」と呼ぶのですか?」と、訊ねた事があった。「御園 林蔵」という名前に「さ」の音はない(かくいう自分も「潮江 文次郎」に「な」の音は無いのだが)。

『さっちゃん先輩ねー。凄いんだよー。』
『変装がすっごく綺麗で、早いんだー。』
『変装?』
『うん。最初に見た時ね、同じ人に見えなかったもの。』
『だからね、まるで詐欺に遭ったみたいに騙されちゃったの。』
『それじゃあ、まるで先輩は詐欺師だって事になってー。』
『「詐欺師」のさっちゃん先輩になったのでしたー。』

 人を騙す技術として、「詐欺師」は彼らの中でも最上級の褒め言葉なのだろう。けれど「さっちゃん」という渾名は林蔵からしてみれば、自分が下手に見られているように思ってならない。渾名への不満は文次郎も同じ気持ちだった。いくら自分がよく泣くからと言っても、いつまでも「泣き虫のなっちゃん」とは、正直、呼ばれたくない。

 けれど、この姿には納得せざるを得なかった。確かにこれは「詐欺」にでもあったかのようだった。目の前で彼が変わる様子を見ていたというのに。ここにいるのは、あくまで女性の「林子」である。

「(・・・まぁ、初めての着物で転ばないように歩くだけでも及第点か。後は追々に教えていけばいいし。)」

 動きやすさを重視した普段着や忍者服とは違って、女装の着物は大胆に歩くことを良しとはしない。子供の内は無邪気、で済まされるが、体型が大人になればなる程、女装の難易度は上がっていく。
 誰も彼もを魅了する女性らしさという演技力が欲しいのであれば、てっとり早い方法としては花街で“色々と”体験してしまえばいい。あそこでは、女性の最たるものが何たるかを椀飯振舞しているのだから。学園に入る前からその手の類に囲まれていた林蔵にとって、それは常識にも近いのだが、流石にそれを文次郎に押し付けるのは違うだろう。

「(一年生の文次郎を、んな所に連れて行けば・・・流石に委員長たちに殺されちまうしなぁ。・・・・・・あの二人が卒業して、文次郎が三年になったら連れてこう。よし、決定。)」

 文次郎が預かり知らない所で、ふつふつと計画が建てられていく。
 幼いながらに、仁ノ助と同じような考えを持つ文次郎。彼には、言葉だけで三禁を否定して欲しくない。そこに渦巻く感情も思惑も、全てを理解して、尚且つ仁ノ助と同じようにいて欲しい。

 とりあえず、今後の行動としては・・・。

「さぁて、今度は外に行きますよ。外出届けはもう出してますからね。」
「え、ま、まだ何かあるのですか・・・?(外出届けっていつの間に・・・?!)」
「学園の外のお茶屋さんまで、少し遅くなるけど・・・お昼ご飯を食べに行きましょう。それとも、この姿のまま学食に行く?」
「い、嫌ですっ」
「変装は習うより、慣れろ、よ? そのお茶屋さんには、新メニューで「冷たいおしるこ」があるそうだから、一緒に食べましょうね〜。女性だと値引きしてくれるらしいのよー♪二人で行ったら、二割ずつで四割・・・いえ、五・六割はいきたいわね。」

 地獄の会計委員会で培った値切り方と、持ち前の交渉技術が腕を降るう時である。
 尤も、林蔵の目的としては新メニューの「冷たいおしるこ」の方が大きいのだが。――林蔵は猫舌で、食事は冷たいものばかりを好んで食べる(それを蓬川兄弟から「「味覚おかしいよー。」」と揃って言われた時には絶句したが。鉄粉がマイ調味料のあの二人にだけは、絶対に言われたくない言葉である)。

 文次郎が会計委員になって、彼が林蔵と同じく猫舌という事が判明した。自分と同じように、湯呑に氷を入れてやると、文次郎はとても喜んだ。その様子に、内心「心の友!」と叫んだ事を、林蔵は今でも忘れない。山田先生が「女装における心の友」ならば、文次郎は「猫舌な心の友」である。
 周囲に理解されない、己の猫舌故の食癖。文次郎は自分自身の猫舌を認めようとはしなかったが「冷たい物に舌を慣らす鍛錬」だと言ってやると、彼は率先して熱いものに氷を入れるようになった。確実な、猫舌仲間である。

「そうそう。今の私は「林子」って呼ばないと、返事をしませんからね!さぁ、出発ー♪」
「り、林子さん!話を聞いてくださいよー!」




 ――因みに。

 茶屋から戻って来た文次郎が女装から解放され、土産の団子を片手に長屋へと戻ってきた時。仙蔵はどこか、熱でもあるかのような、心ここに在らずと言わんばかりの惚けっぷりを披露していて。その事で、一年い組では「天変地異の前触れか?!」と暫くの間 慌てふためく事になり。

 四年長屋では、女装した林蔵こと「林子さん」が見知らぬ子供を連れているという目撃例から「とうとう隠し子ができたのか!」と林蔵が同級と教師に問い詰められる事となり。その話が野外演習帰りの仁ノ助や徳ヱ門の耳に入り、「あれは文次郎です!」と林蔵が吐露してしまった事から、会計委員会の活動が一時期『潮江 文次郎の着せ替えショー』にすり替わった事を、後日談として明記しておこう。

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