授業がないという事もあって、四年ろ組の教室には誰もいなかった。林蔵はその一箇所に、我が物顔で自前の化粧道具やら何やらを広げている。
 変装は習うよりも慣れろ、が林蔵の持論である。続けなければ身につかない。今回は初回なので、林蔵が最初から最後まで一通り、文次郎に化粧を施す事になった。

 制服姿の文次郎の頭巾を取って、髷を下ろして、林蔵は愛用の櫛「おしつ」でその髪を梳く。どうして女装の練習に髪を梳く必要があるのか、と文次郎が問えば、「出来上がった顔をより自然なものにするため」と返って来た。

「どうして女装の練習を、四年ろ組の教室でやるんですか?」
「長屋だと、同級の奴らに冷やかされるかもしれないからなー。流石に文次郎も、上級生に囲まれるのは嫌だろう?」
「・・・すみません。」
「おっと、泣くなよ?化粧のノリが悪くなっちまうからな。」

 忠告すると、文次郎はコクンと小さく頷いた。この素直さが、林蔵には本当に愛らしい。一つ下の後輩は自分を先輩と思っていないだけに、この素直さが嬉しいのだ。
 話題を変えよう、と林蔵が文次郎の背後で髪を梳かしながらに問いかける。

「その仙蔵ってヤツは、そんなに化粧が上手かったのか?」
「みんな褒めてましたよ。一国のお姫様みたいだって。」
「ふぅん。」

 一年生にして、同級生だけでなく教師にまで褒めちぎられるとは。恐らくは化粧の技術だけでなく、元々が美形なのだろう。林蔵は己が一年生だった頃を思い出す。――化粧の知識は入学前から持っていたので、あの時からあの手の授業は正直、おママゴトにしか思えなかった。

「お姫様、ねぇ。さぞかし綺麗なんだろうが、俺に言わせたら「まだまだ」だな。」
「えっ、何処がですか?!」

 まさか仙蔵が駄目出しされるとは思っていなかったらしい。それまで大人しかった文次郎が、急に振り向いて来た。
 咄嗟の事に驚く林蔵だったが、慌てずにやんわりと振り向いた顔を手で包む。そして、体の方をこちらに向けさせた。

「前髪整えたら、化粧に入る。化粧の最中はなるべく顔を動かさない。瞬きも控える。」
「は、はい。」

 いつにない、真剣な顔だ。林蔵が化粧に臨む様子は、既に職人のそれである。
 化粧道具も拘りのものであり、授業で見た道具がまるで玩具のように感じられた。

「そうそう、いい子だ。――化粧の仕上がりが「お姫様みたい」ってのは最上級の褒め言葉なんだろうけど。忍者としては駄目だ。」
「忍者、としては。」

 忍者という存在に絶対的なものを感じる文次郎は、自然とその言葉を繰り返した。

「目を閉じてな。ギュっ、とじゃなくて、眠ってるみたいに。でも寝るなよ。自分でやる時は片目だけ同じように閉じてやればいい。――で、話戻すけどな。女装に限らず、変姿の術ってのは何の為に必要なんだと思う?」
「えっと・・・敵の目を逸らす為・・・。」
「はい、正解。」

 習った事を繰り返したであろう、文次郎の頭を撫でてやる。すると、文次郎は目を瞑ったままに笑顔になった。
 この顔が自然に出来れば、まだ変装の技術は上がるだろう。変装とは化粧だけではない。仕草だったり、演技だったり。持てる全てを使って誤魔化す技術なのだ。

「だからな、「お姫様みたい」に目立っちゃ、隠れられないだろう?」
「あ・・・。」

 忍者は目立ってはいけない。授業で何度も言われた事だ。――腕力が強いと憧れる徳ヱ門でさえ、筋肉が付き過ぎて教師に注意されていたと言っていた。

「身代わりとか、囮とか。そんな特別な理由がない限り、変姿の術は隠れて誤魔化す術だ。化粧の技術は、持ってりゃ役立つくらいなもので、変姿の真髄じゃない。何でも使うのが忍者だからな。」

 そう言っている間にも、林蔵は流れるような動きで文次郎に化粧を施していく。何をされているのか、目を瞑ったままでは分からない。が、その動きには全く迷いというものがなかった。自分が初めて化粧をした時、どうすればいいかと迷い悩んで、結局形にならなかったのを思い出す。

「ぅし、完成!もう目を開けていいぞ、文次郎。ほら、見てみな。」

 目を開いた文次郎に、林蔵は愛用の手鏡「きょうこ」を差し出した。そこに映し出された「顔」に、文次郎は驚くしかない。鏡に映るのは、文次郎の見知らぬ、けれども確かに幼い少女の顔だった。

「お姫様にはなれなくても、町娘にはなれただろう?文次郎は目が大きいからな。その辺りを活かせば簡単な化粧でも化けれるさ。髪も整えてやったから、随分と印象が違うだろう?」

 問いかける林蔵に、文次郎は驚きで声が出ないままに頷いて見せる。林蔵は、満足そうに笑った。

「今回のテーマは村娘の初化粧!いつもはせっせと農家で働く幼い娘が、久々のお出かけに気合を入れてる感じだな。」

 そう言われると、鏡の向こうの顔の少女がそう見えて来るから不思議だ。鏡に写る顔の中身は、忍たま一年生の潮江 文次郎である筈なのに。

「どうよ、文次郎。俺の化粧の仕上がりは。」
「す、凄い、です・・・!」

 月並みにそんな言葉しか出て来なかったが、それに尽きてしまうのだから仕方ない。林蔵も、それ以外の言葉を望んではいないようだった。

「変装で重要なのは、成り済ます事!自分に合わないと思った変装はどんな演技をしたってバレちまうもんだ。出来てるっていう自信が、自然な動きや仕草を生み出す!――あの、山田 伝蔵先生の、ように!!
「・・・先輩。最後の台詞にだけ、やたらと力が篭ってませんか?」
「山田先生は、心の友だもんよ!」

 林蔵は、変装の中でも特に女装に力を入れている。女装についは、いかなる妥協も許さない。
 そして、山田先生とはよく女装における仕草や立ち振る舞いについて語り合っているらしい。

 いくら化粧が変装の真髄でないとは言っても、そこで化粧の技術について話せば「伝子さん」ももう少しマシになるのではないか。と、文次郎は思った。けれど、それは逆に林蔵の今の変装技術が「あぁ」なってしまう可能性があるので、。その事に気が付いたので、敢えて口には出さなかった。

「てな訳で、後半戦いくぞ!」
「え、後半戦?!」
「顔だけで満足してんじゃねぇ!変装、特に女装は頭から足の先まで全て尽くしてこそ意味がある!ちゃんと文次郎用に着物も用意したから大丈夫!」
「な、何が大丈夫ですか!」
「安心しろ。何も、お前だけに女装させる訳じゃねーから。」

 ニカリ、と笑う御園 林蔵。逃がさない、と言わんばかりの獣の目をしていて、文次郎は急激に泣きたくなってしまう。が、しっかりと施された化粧の存在が歯止めとなって、涙は流れなかった。

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