浜 仁ノ助は恵まれていたと自負している。家は裕福で、親は嫌な顔一つせずに自分を忍術学園へと送り出してくれた。自分は期待されているのだと思っていたのだ。
 仁ノ助が忍者の技術よりも、その学園の唱える心の有り用に関心が向いた。技術としては盗人、詐欺師、人殺しと変わりない忍者。だからこそ、その技術を扱う者には確かな正しい心――正心が求められるのだと。


 三年になって初めての長期休暇。仁ノ助が実家に戻ると、そこは一変していた。
 聡明だった父が酒に溺れ、色に走るという醜態を晒していたのだ。世話付きだった者に話を聞くと、子供から見ても目玉が飛び出るような大金の賭け事をして、散財してしまったらしい。以来、父は自棄酒と色に溺れているのだという。

 二年の休みが終わり、仁ノ助が学園に向った直ぐの事だったという。周りの者たちは、直ぐに父が戻るのだと思っていたらしい。けれど、今となっては誰の言葉も聞き入れようとはしないのだとか。母は、静かに涙を流していた。

 実の子供である自分なら、父も言葉を聞いてくれるかもしれない。そう言われて、父に近付いたのがいけなかったのだ。――仁ノ助は首を絞められた。他でもない、最愛の父に。

「お前さえいなければ、俺はもっと酒が飲めたのに!」

 忌々しいものを見るかのような表情で、そう告げた父の言葉が今でも忘れられない。
 自分に払った学費の事を言っているのだろう。その分を酒に変えれば良かったのだと、我が子と酒をすり替えようと、そう告げたのだ。
 その時は、世話付きに助けられた。父も相当に酔い潰れていたので、上手く力が入らなかったのだろう。

 愕然とした。そして、仁ノ助は三禁が三禁と呼ばれる所以を思い知ったのだ。
 三禁。「酒」「欲」「色」。忍者が溺れてはならぬ三つの事柄。分かっているつもりだった。しかし、それは教科書の言葉、教師からの言葉でしかなかったのだ。――本当の三禁はこんなにも生々しく、悍ましい。
 聡明だった筈の父が、我が子に暴言を吐けるまでになってしまうのだから。

 その時の休みはどうしたのか、仁ノ助は正確に覚えていなかった。父はどうなったのか、母はどうしたのか。自分は何をしたのか。まるで思い出す事を拒絶するかのように、記憶になかった。




 気が付くと、三年生の後期。仁ノ助は初めて人を殺した。演習で、同輩とはぐれた森の中で、山賊と遭遇して。――連れ攫われようとした子供を守った、ように思う。殺されかけた自分の姿が見えたのかもしれない。けれど、それまでの衝撃も積み重なって、仁ノ助は考え得る限りの殺戮の限りを尽くした。それは、父へ、山賊へ、周囲へ、そして自分への怒りを晴らすかのようだった。結果、仁ノ助は助けた筈の子供にすら「山賊よりも怖い鬼」と呼ばれた。
 教師に助けられ、忍術学園に戻って、改めて考えて、仁ノ助は人の脆さを思い知る。人はこんなにも用意に死に、壊れる。嘗て描いていた理想が、まるで砂の城だった。


 だからこそ、仁ノ助は正心に拘る事にしたのだ。
 堕ちてたまるものか。堕ちてしまえば、父や山賊と同じになってしまう。――忍者とそれらを隔てるのは正しい心。正しい心を以てこそ、盗みも虚偽も殺しも意味を持つ。
 そうして、自分の荒れ狂う心を慰めた。




 仁ノ助は委員会を変える事にした。今まで全く関わった事のなかった会計委員会だ。
 これまでとは全く違う事をして、心を鎮めようと考えたのだ。

 しかし、仁ノ助の心は鎮まる事がなかった。
 会計委員会は「お飾り委員会」と呼ばれる程の無能さで知られている。湯水のように使われる予算。サボり癖のついた委員たち。――それらを容認する、会計委員長。

 お飾り、とは良く言ったものである。予算会議を関所の門、予算案を携えた各委員長らを関所を通ろうとする旅人とするならば、会計委員会は門番ではなく、正にお飾りだった。古ぼけた魔除け程度の、あってもなくてもいい存在。
 三禁に溺れた父のような、雨曝しの木材が腐るような臭いがした。


 未だに下級生の三年生に甘んじていた仁ノ助には、何の権限もない。会計委員会の現状を訴えても、委員長は何も言わない。顧問も目を瞑る。そして、仁ノ助に告げた。――忍術学園の予算は、会計委員会が一任している。委員長が首を振らない限りは、現状は維持されるしかないのだ、と。
 無力さを知った仁ノ助は唇を噛み締め、爪を立てて握り締めた。そして決心する。誰も変える気がないのならば、自分が会計委員会を変えよう。誰に何を言われようとも、鬼と恐れられようとも罵られようとも、自分がやるしかないのだと。でなければ、自覚のないこの忍術学園は・・・父のように腐り果ててしまう。


 浜 仁ノ助が、人知れずに忍術学園の同輩との決別を決意した瞬間の事である。

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