予算会議が近いという事もあって、その日は休日であるにも関わらず、会計委員会は昼から活動していた。「会計室」の札がある部屋からは、パチパチと襖越しに算盤を打つ音が響いて来る。

「フン。後輩を倒れさせて尚、自分たちは見舞いもせずに委員会活動か。」

 会計室の前に集まる一年生は四人。伊作は保健委員として、保健室で眠る文次郎の付き添いをしていた。
 目的は地獄の会計委員会と言われる委員会の調査。本当に他の委員長たちが言っていたような事が行われているかの確認である。もしも本当なのであれば、委員長に直訴だって辞さない所存だ。
 普段は文次郎とよく喧嘩をして泣かせてしまう留三郎でさえ、この討ち入りに参加している。伊作曰く「気になるから派生しての冷たく当たってしまう」らしい留三郎は、先輩が後輩を虐めているかもしれないこの状況が許せないのだろう。

「・・・ところで、仙蔵。本当に入るのか?」
「どうした、長次。怖気づいたのか?」
「いや、前に図書委員長が言っていたのだ。予算会議直前の会計室には入るべからず、と・・・。」
「あー、私も言われたな。不正防止とかって、勝手に入ると手裏剣や苦無が飛んでくるらしい。」
「は?なんだそれ、単に血の気が多いってだけじゃないのか?」


「すみませんね、血の気が多くて。」


 ぎっくん、と四人の肩が震えた。自分たち以外の人間に声をかけられるとは思っていなかったのだ。
 振り向くと、自分たちよりも背の高い男がいる。その身に纏うのは藍色の制服。最上級生の一つ下の学年、五年生の制服だ。

「(い、いつの間に背後へ・・・!)」
「そこまで驚かれるとは思ってませんでした。影が薄いとはよく言われますが、別に気配を消していた訳でもないというのに。」
「(で、でも私も分からなかったぞ!?)」
「(野生の勘を持つ小平太に気付かれないとは・・・!)」
「ぁ、忍者の前で小声で会話しても無意味ですよ?口の動きとかで分かりますから。」
「?!」

 自分たちが小声で会話していた事さえあっさり見抜かれて、改めて上級生の技術の高さを思い知る。
 後輩である一年生に対しても丁寧な物言い。その雰囲気もあって、穏やかな印象を持つ生徒だった。

「私は五年生の会計委員、小田徳ヱ門。予算会議も近いから、あんまり他の委員会の生徒は近づかないように呼びかけてるんだけど、何か御用かな?」
「あの、私たちは会計委員長に・・・」


「・・・徳ヱ門。何をしている。」


 徳ヱ門の問いに仙蔵が答えようとした時だった。不意に会計室から低い声がする。
 先程は驚愕に心臓が震えたが、今度は恐怖で心臓が震えたように思う。けれど、そんな仙蔵たちを他所に呼ばれた徳ヱ門は何の気なしに言葉を返す。

「申し訳ありません、委員長。可愛らしいお客様がいらっしゃっていたので。」
「・・・ずっとそこにいられても迷惑だ。さっさと入れ。」
「分かりました。」

 二つ返事で頷いたかと思えば、徳ヱ門は手馴れた様子で会計室の襖を開き、ひょいひょいと仙蔵たちを一気に抱え上げる。ふんわりとした印象の割には、がっしりとした腕や胸の筋肉に四人は絶句する。
 小平太は、そこで思い出した。小田徳ヱ門。彼は会計委員会一の武道派であると、いつか己の所属する体育委員会の委員長が言っていたのだ。

 会計室には文机が五つ、その上には算盤と積み上げられた帳簿、硯と筆が各々置かれている。
 入口から見て、コの字を縦にしたような文机の配置。左右に配置された文机で上級生が作業している中で。その一番奥に鎮座する重々しい雰囲気を持つ上級生。深緑の制服は紛れもなく、最上級生の証。
 忍術学園の生徒は学年を上げる毎に、その数が少なくなっていく。その数は九つある委員会よりも少ない事が多く、最上級生が二人もいる委員会は存在しない。――つまり、会計室の一番奥にいるあの上級生が、地獄の会計委員会委員長・浜 仁ノ助。今回の標的だ。

「委員長。書類提出して来ました。――それと、この子たち。委員長に御用のようですよ?」
「・・・適当な所に座らせろ。」
「会計委員でもない一年生が四人。めっずらしい。」
「おーた、一年生ってなっちゃんと同じ?」
「そうだよ、こーた。」
「乙太、襖閉めてくれます?」
「はーい。」

 徳ヱ門は文机に囲まれた、部屋の中央に四人を下ろした。それは必然的に、他の会計委員からの視線を集める事となる。両腕の塞がっていた徳ヱ門に変わり、同じ顔をした二人の三年生の内の一人が襖を閉める。

 目前の厳つい空気を纏う六年生、穏やかな雰囲気ながらも一年生四人を抱える筋力の五年生、意味深に此方を見ている四年生、独特の雰囲気を持つ三年生の双子(なのだろうか)。
 逃げる気はなかったが、急激に逃げ出したい気持ちになった。

「林蔵、お茶出しお願いします。」
「了解。あ、熱いのダメなやつとかいる?氷入りもあるけど。」
「・・・ぃえ、お気になさらず。(氷入り・・・?)」

 やんわりと仙蔵が断ると、やけに整った眉を持つ四年生から「ちぇ」と溜息混じりに「誰も乗っかってくんねぇんだからなー。分かんねーかなぁ、氷入りの茶って美味いのに。」などとブツブツ呟いている。

「お茶、・・・お茶請けいる?」
「鉄粉おにぎり、いる?」
「(鉄粉おにぎり?!)」
「一々おにぎりに鉄粉をかけて勧めるのを止めろって言ってるだろ、悪食双子!」
「わー。さっちゃん先輩が怒ったー!」
「怒ったー。」
「さっちゃん言うな!」

 危うくお茶請けとして鉄粉おにぎりが出される事は回避された。この委員会でも、四年生と三年生の生徒による諍いは健在のようだ。

「そこの三人、煩いぞ。」
「ぁ、すんません。」
「「ごめんなさーい。」」

 六年生の仁ノ助がピシャリと言い放つ。すると、その瞬間に三人の口論(四年生が一方的に騒いでいたような気もする)がピタリと止まる。
 林蔵、と呼ばれた四年生が仙蔵たちの前に湯気の立つ普通の茶を置いて、彼らは本来の作業へと戻っていく。いつの間にか仁ノ助が鳴らすのみとなっていた算盤が、合唱を再開させる。

「そうだ、委員長。一年の文次郎の事ですが。」
「何かあったのか?」

 不意に、徳ヱ門が仁ノ助に話しかける。文次郎、という名前に仙蔵たちも反応する。

「職員室からの帰りに保険委員長から言伝を預かりました。風邪による熱を出しているとの事で、今日の委員会を休ませて欲しいと。」
「・・・分かった。」
「来ないと思ったら、文次郎のヤツ熱っすか。昨夜の鍛錬の時は普通でしたけどね。あー、でも昨日は一昨日から徹夜してたっけか。」
「帳簿が合わないって、昨夜は十キロ算盤持っての長距離走ー。」
「池で寝たり、放られたりしてないのにねー。」
「弛んどる証拠だな。」

 さも当然、と言わんばかりに会話を勧める会計委員会。他の委員会に所属する仙蔵たちが絶句しているのに気付いていないのだろうか。いや、気付いていたとしてもこれは無視されている流れだ。
 噂は本当だったのだ。文次郎は、会計委員会での鍛錬で熱を出して倒れてしまったに違いない。

「・・・それで、一年生達。俺に何か用か?各委員会の予算案の締切は終了したぞ。」
「ち、違います!」
「では何だ。」

 ギロリと睨みつけるかのような眼差しだった。本人の厳格な雰囲気も合間って、その視線だけで人を殺してしまえそうな、そんな恐ろしささえ感じる。しかし、ここで引く訳にはいかない。

「っ、会計委員長にお話があるのです!潮江文次郎を痛めつけるのは止めて下さい!」
「何・・・?」

 仁ノ助の、算盤を打つ指が止まる。

「お聞きになったように、文次郎は今日の午前に倒れました。これは恐らく、会計委員会での鍛錬が原因だと思われます。」
「保健委員長も過労があると仰ってました!」
「会計委員会としての誇りがあるのは分かりますが、文次郎は一年生なのです。無体を働くような事をしないで下さい!」
「・・・どうして、それをお前たちが言う。」
「え、」

 唐突な物言いに、流暢に話していた仙蔵の言葉が途切れた。

「会計委員会としての活動が、鍛錬が辛いと、文次郎がお前たちに言ったのか?お前たちから会計委員長である俺にそう伝えてくれと、頼まれたのか?」
「いっ、いいえ!」
「そんな事は言っていません!」

 会計委員長の言葉を否定して、自分たちで気が付いた。文次郎は委員会での活動に愚痴を零した事がない。委員会で帰りが遅くなった、とはよく聞くものの「これが嫌」「あれが辛い」と言っていた記憶は、彼と同室な筈の仙蔵にすら、なかった。

「なら、その言葉はお前たちが言っても意味はない。仮に文次郎が今ここで会計委員会を辞めたいと直訴したとしても、それを認める訳にはいかない。――俺は『地獄の会計委員長』を作り上げた。会計委員会で後輩を鍛錬するのはその為だ。俺の代で今の方針を変える事は俺の正心に反する。よって、鍛錬を止める事もしない。以上だ。」
「そんなっ、」

 仰々しい言葉を並べた所で、文次郎が倒れた事には変わりがない。留三郎が、そう反論しようとした矢先の事だった。
 からり、と会計室と廊下を遮る襖が開き、室内にいた全員がそちらを向く。そこにいたのは顔を赤くして、寝巻きから制服に着替えた渦中の人・文次郎だった。

「「も、文次郎?!」」
「保健委員長から連絡は来ている。今日のお前は休みの筈だが。」
「・・・・・・ぃえ、だいじょうぶ・・・です・・・。いいんかい、を、しに・・・きました・・・・・・。おくれて、もうしわけ、ありません・・・・・・。」
「無茶を言うな、文次郎!貴様、フラフラではないか!」

 休んでいた筈なのに顔色が悪いのは何故なのか。付き添っていた伊作がいないのはどうしてなのか。
 訪ねたい事は山ほどあったが、それを先延ばしにしても止めねば、と仙蔵たちは思った。今の文次郎にこれ以上の無理はさせられない。
 けれど、熱の所為なのだろう。会計室にいるとは思ってもいない仙蔵たちの言葉を、文次郎は聞いていなかった。

「・・・本当にやれるのだな?」
「はい・・・」
「では算盤と帳簿を持って席に付け。」
「・・・はぃ」
「浜先輩!?」

 一番に止めなくてはいけない委員長が文次郎の背を押した。一年生の目から見ても、彼の状態が悪いことくらい察しが付くというのに。この上、まだ無理強いをするというのだろうか。

 仁ノ助に掴み掛ろうと動いた留三郎の腕が、ガッと掴まれる。見ると、それまで己の文机で帳簿を付けていた筈の徳ヱ門が留三郎の腕を掴んで止めていた。彼が何をするか分かったのだろう。前髪に隠れがちな目が、ぎょろりと見下ろしている。あまりの力強さに、「い゛っ」と悲鳴が上がる。

「いくら一年生でも、会計委員会・・・会計委員長に手を出す事は許しません。」

 怖気付いたと判断されたのか、やんわりと留三郎の腕が解放された。目に見える傷はなかったが、掴まれた箇所が今も尚、熱を放ってその存在を知らしめている。穏やかな印象の五年生だったが、今となってはその穏やかな笑みの向こうにはギラついた刃が見える・・・ような気がしてならない。

「文次郎!会計委員会が辛いのならば止めてしまえ!」
「そーだ!そして体育委員会に来い!」
「・・・小平太、それは違う。」

 熱を持った頭では、委員長の言葉を聞き入れるだけで精一杯なのだろう。文次郎は仙蔵たちの言葉を無視して、フラフラとした足取りで畳の上に置かれた(十キロ)算盤を持ち上げようと体を前傾させた。次の瞬間、文次郎の意識も傾いた。

「ぁ、れ・・・」
「文次郎!」

 倒れかけた文次郎の体を支えようと小平太が動いたが、それよりも早く仁ノ助の腕が文次郎を抱える。

「算盤も持てない状態で何が「大丈夫」だ、馬鹿者め。――徳ヱ門。」
「はい。甲太、乙太。仮眠室に布団の用意を。林蔵は保健室にお願いします。」
「「はーい。」」
「分かりました。」

 指示が飛ぶや否や、会計委員の四人はてきぱきと動き出す。残された一年生四人は、その流れるような作業に呆然とする他ない。

「せんぱい・・・、おれ・・・」
「話すな。眠れ。」

 地獄の会計委員会になってからというもの、帳簿を合わせる為に徹夜続きになる事は間々あった。その為、仁ノ助が委員長になってからは効率良く委員会活動を行う為、という名目上で会計室の隣の空き室が仮眠室として使われている。
 手早く用意された布団に文次郎はぼすん、と荷物を投げ入れるかのように放り込まれた。

「・・・すみません。きのう、の・・・ちょうぼ、おわらなくて・・・。それが、きになって・・・・・・」
「・・・・・・病原菌を持ったまま会計室に来た事は褒められた行為ではない。」

 病人の文次郎を前にして、仁ノ助の厳しい物言いは変わらない。原因は自分にあるだろうに、と仙蔵たちは仁ノ助を背後から睨みつけた。だが・・・。

「しかし、そこまでして帳簿を終わらせようとした心意気は見上げたものだ。流石は我が会計委員会の一員だな、文次郎。」

 仁ノ助の手が、文次郎の頭を撫でる。火照る体には、彼の冷たい手が心地よいのだろう。えへへ、と笑う顔は普段決して見られないものだった。

「病人の務めは病を治す事。会計委員会に病人はいらん。帳簿を片付けたいと言うのであれば、まずは病を治せ。」
「はい・・・」

 あれ程、仙蔵たちが口煩く言っていても聞き入れなかった文次郎が素直に頷いた。その事実に愕然とする中、保健室へと向った四年生が仮眠室へと入ってくる。

「委員長。保健室で薬と水、貰って来ました。――ついでにコイツも。」
「うわ〜ん、みんなー!」
「伊作ー?!」

 四年生に抱えられていたのは、伊作だった。話を聞くと、保健委員長が保健室から席を外している時に伊作の目を盗んで文次郎が脱走。その事を保健委員長や仙蔵たちに伝えようとした矢先に、お決まりの不運が発動して作法委員の罠にかかり、今の今まで助けを求めていたらしい。結局、彼は会計室から保健室に向かっていた四年生に発見・救出され、今に至るのである。

「そんな所で不運を発動させるなよ。」
「好きで不運な訳ないじゃないかー!」
「・・・しかし、熱に浮かされていたとは言え、文次郎が私たちに気付かぬとはな。」
「・・・ショックが大きかったか・・・、仙蔵・・・。」
「或いは、会計委員長の言葉はちゃんと聞いたのが癪だったか?」
「う、煩い!」

 渡された薬を大人しく飲む文次郎を片目に、仁ノ助は背後でそんな会話をしている仙蔵たちを見る。そして、不意にその視線が徳ヱ門の方を捉えた。それに気付いた徳ヱ門が、仙蔵たちに話しかける。

「そういえば、君たちの所属する委員会は何ですか?」
「ぇ、保健委員会です。」
「用具委員・・・。」
「体育委員会だ!」
「・・・図書。」
「作法委員会ですが、何か?」
「実は君たちにお願いがあるんです。文次郎の看病をお願いできませんか?」
「え?!」

 その言葉に、仙蔵ら五人は驚いた。てっきり、このまま追い返されてしまうと思っていたのだから。

「言ったでしょう?我々は予算会議も近いので、帳簿合わせで忙しいのです。でも、流石に仮眠室で文次郎を一人で寝かせているのにも不安があります。その点、君たちであれば安心して任せられます。」
「・・・いいんですか、本当に・・・。」

 疑う留三郎の視線に、ニッコリと笑って徳ヱ門が「もちろんです。」と頷く。

「しかし、余りに騒いで眠ったばかりの文次郎を起こしてしまったり、隣にいる私たち会計員会の邪魔をするようでしたら――君たちの委員会の予算を全てカットしますので。そのつもりで。」

 徳ヱ門の言葉に、委員会を訪ねて来た意図が見えて仙蔵たちの背にゾッと悪寒が走る。委員会の予算がどうなっているかは一年生故に分かっていない部分も多いが、その予算案を組むのに各々の先輩たちがかなり苦悩したのは知っているのだ。こんな所で委員会の予算がゼロになってしまっては、委員長に顔向けが出来ない。それに、文次郎も見捨てられない。

「嫌ならば別にそれでもいいんです。このまま長屋に戻って食堂で暖かいご飯を食べて、あったかいお風呂に帰って、明日の授業に備えて下さい。」
「っ、文次郎を見捨てる訳ないだろう!」

 相手が先輩という事を忘れて、留三郎が声を荒げる。すると、徳ヱ門はすんなりと引き下がった。

「それでは、お願いしますね。――友達想いなご友人がいて、文次郎も幸せ者で何よりです。」

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