<海が見たくて>※年齢操作(六年→一年)

 学園に存在する各委員会の中でも、最も書面と対峙しているであろう委員会は会計委員会であろう。書物を管理する図書委員会とは事なり、会計委員会が重視するのは書面上の文字にある。費用の計算、購入品の仕分け、予算を使用した日付。この全てが正しく記載されていなければ、会計委員会は来るべき予算会議を乗り越える事が出来ないからだ。

「文ー」「月の、」「二」「十〜」「・・・ねぇ、おーた。」「そうだね。こーた。」「これって、さ。」「だよね。」――「「やっちゃおうか!」」
「そこの双子!口よか手を動かしやがれ!」


 そんなやり取りをした数日後。

 トラブルの多い事で(身内に)有名な忍術学園。その中でも問題児の悪名をそのままにする三年生、蓬川甲太と乙太。人見知りで知られる彼らは、他の生徒からは黒猫並み・・・否、それ以上の不吉さで恐れられている。
 その双子が、唯一心を許している会計委員会にも無断欠席するようになって・・・既に三日以上が経過していた。

「あの双子は今日も無断欠席ですか。・・・何かありましたかね?」
「長屋も蛻もぬけの空のままっすからね。荷物はそのままに、何処に消えたんだか・・・。」

 呆れるように言う四年生の御園林蔵も、内心は心配しているのだろう。だからこそ、彼は今日も今日とて双子の分の文机と筆記用具を用意していた。そんな事を他人事のように思う一年生の潮江文次郎だったが、彼もやはり、姿を見せなくなった双子を気にかけている。
 本格的な搜索に乗り出せないのは、我らが会計委員会の委員長・六年生の浜 仁ノ助による「己の管理は己でやらせろ。それでどの様な代償を払う事になっても、それは己の責任だ。」という言葉があった為に他ならない。

 それでも、文次郎がモヤモヤとした煮え切らない気持ちのままに算盤を打っていると、不意に障子に月明かりの影が滑り込んで来た。

「会計委員会!」
「おや、三枝先輩。」

 会計室に飛び込んで来たのは、浜と同級の六年生・三枝さえぐさ 久右衛門きゅうえもんだった。彼は六年は組に所属する用具委員会の委員長であり、会計委員長の仁ノ助を目の敵にしている。仁ノ助が「学園一の嫌われ者」と呼ばれているのは、主に彼と火薬委員長代理の五年生・早乙女 亥太郎の所為とも言えた。

「ちゃんと後輩躾とけって言っただろうが!」
「・・・何の話だ。」
「双子だよ、あの双子の三年生!学園の壁に落書きしてやがったぞ!」
「・・・何。」

 それまで、淡々と帳簿に記載していた仁ノ助の筆先がピクリと止まる。それを知ってか知らずか、「学年一口の悪い六年生」たる久右衛門は、その二つ名の通りに此方へとクレームを飛ばして来た。

「ご丁寧に用具委員会でも週一点検しないような壁を塗り潰しやがって!発見が遅れちまったじゃねぇか!」
「用具委員会の事情など知らぬ。それに、あの双子はここ最近無断欠席だった。」
「言い訳してんじゃねぇ!破損じゃなくても、墨汁が染み付いた壁を元通りにするのは用具委員会なんだからな!しっかり追加予算払って貰うぞ!」
「まーまー。三枝先輩。落ち着いてくださいな。こんな所で油売って火種を大きくするよりも、その落書きしたという場所に行きましょう。我々も行きますから。」

 久右衛門を止める腕に、「無駄口叩くな」と言わんばかりの威圧感が篭っていたのは言うまでもなかった。


 会計委員らが、久右衛門に連れられて指定の場所にやって来れば。案の定と言うべきか、数日ぶりに見かけた双子は近場の木に、揃いも揃って仲良く吊るされていた。

「せ、先輩ー!」
「あ、なっちゃんだー。」「やっほー!」
「やっほー、じゃありませんよ!何やってたんですか、委員会にも来ずに・・・!」

 双子は吊るされているというのに、さして変わった様子を見せなかった。元気そうで良かったと思う反面、何があったのかイマイチ理解出来ない。
 見れば、傍には漆喰塗りの白い壁があるのだが・・・。そこが見事に大量の墨汁を浴びて、黒ブチ模様の壁になっていた。そして、よく見れば双子の手や頬にも墨汁は付着していて、・・・足元には用具委員会が回収したと思われる大量の墨汁。

「あれまぁ。これは随分とまぁ、派手にやりましたね。」
「「あ、小姓先輩ー!」」
「委員会を無断欠席してまでやっていた事が、壁に落書きですか。まったく貴方たちは自由で・・・」
「違いますよー!」「落書きじゃありませんー!」

「お前も同罪だからな、小田ぁ!元用具委員なら、これだけの壁直すのにどれだけの費用が掛かるか分かってんだろう!」
「えぇ、まぁ。――そう言えば、他の用具委員の皆さんはどうしたんですか?」
「この壁の落書きを見つけたのが一年の食満留三郎でな。止めようとしたら墨汁だらけの泥団子を食らって乱闘騒ぎだ。二年生まで巻き添えになっちまって、四年生が二人を風呂に連れてったよ。」

 あの双子の邪魔をしに乱入したのか。と、文次郎はここにいない犬猿の相手を思い浮かべる。
 双子の事情をよく知らなかっただけかもしれないが、あの双子は己の世界に土足で踏み込まれるのを何よりも嫌うのだ。まして相手はよく知らぬ相手。徹底抗戦されたに違いない。
 墨汁で固められた泥団子がトラウマになってなきゃいいな。・・・そう思わずにはいられない程、双子の拒絶は凄まじい。

「この事は、学園長にも相談するからな!三年生にもなって、こんな子供染みた事しやがって・・・!」
「まーまー。落ち着いて下さいって、用具委員長。」

 声を荒げる久右衛門に割り込んで来たのは、林蔵だった。

「あ?反論するってのか。御園・・・!」
「いや、反論以前にね。考えてもみて下さいよ。この双子が、叱るだの体罰程度で問題行動を自粛すると思うんすか?」
「・・・そりゃあ、」

 思い浮かぶ答えは「否」である。その程度で双子が反省するのであれば、林蔵の苦労性はさして発揮されなかっただろう。

「頭ごなしにダメだって言っても、コイツラは対抗心を燃やして、あらゆる場所で落書き始めちまいますよ?」

 用具委員会として、それは困るでしょう?と問われれば、久右衛門は頷くしか出来ない。じゃあどうするんだよ、と悪態を吐くかのように問いかければ、林蔵はニカリと笑って答えた。

「そりゃあ、コイツラに好き勝手やらせるんですよ。」
「は?!用具委員会に、コイツラを見逃せってのか。」
「いや、そういう事じゃなくて。気の済むまでやらせといて、最後の最後にこっ酷く叱ればいいじゃないですか。コイツラ、自己満足しないと止まりませんよ?何回も叱るのは面倒でしょう。」
「自己満足だぁ?これだけの落書きしといて、まだ足りてないってのか。」

「違いますー。」「まだ完成してないんですー。」
「完成?」

 双子の落書きは、どうやら目的があったらしい。

「大きく描こうと思ったんですー。」「でも、どれだけ大きくすればいいか分からなくて。」
「・・・・・・。」

 彼らの発言に、何かを感じ取ったのか。不意に仁ノ助は双子を吊るしていた縄を苦無で切った。久右衛門が声を荒げたが、解放された双子はもう止まらない。

 双子は己の手と指を使って、壁に墨汁を走らせ続けた。甲太が意味深な曲線を描けば、乙太がその曲線に沿って濃淡を描き分けていく。逆もまた然り。お互いを把握しているらしく、二人の動きには無駄がなかった。
 三年生でこれだけの動きが出来るというのは、末恐ろしい。と、上級生たちは声に出さずとも驚いていた。双子の忍者、双忍を名乗ると決めただけの事はある。

「これって・・・」
「・・・ぁ。」
「まさか・・・」

 完成に近付けば、双子が何を描こうとしていたのかが明確になって来る。双子が描いていたのは、水墨画で著名な画家が描いた波を描いた作品の模写だったのだ。

「「出来ましたー!」」

 墨と泥で汚れた体をそのままに、双子は声を揃えて完成を宣言する。思い描く通りに出来たのか、とても満足気だった。

「ねーねー。なっちゃん。」「海ってこんなの?」
「・・・え?」
「僕らねー。海って見た事なくてさ。」「でも、絵なら知ってるから。」
「なっちゃん言ってたよね。海って凄く広くて大きいんだって。」「だから、知ってる海の絵を広く大きく描いたら海に見えるかなーって。」

 文次郎は絶句してしまった。確かに、以前。双子に己の故郷を話すついでに海の事を話した記憶はある。同時に、彼らは海を見た事がないという事を言っていたのも、覚えている。けれど、海が見たい。そんな事で、この双子はこんな騒動を起こしたというのだろうか。大量の墨汁を盗み出し、用具委員会に捕えられてまで。海を描こうとしていたというのか。

「え、っと・・・その先輩たち・・・。・・・あの、」
「――学園の壁は、学園の所有物だ。例え学園の生徒でも、好き勝手にしていいという物ではない。」

 自分への好意を無下には出来ず、しどろもどろする文次郎に変わって。仁ノ助が厳しい口調で双子に言い放つ。

「お前たちの行いは会計委員会を無断欠席し、学園所有物の壁を汚し、用具委員会と乱闘を行った。それによって、我が会計委員会はまた憎悪の対象となるだろう。」
「っ、」「それはっ」
「会計委員会は、周囲の生徒に良い顔をされない。それが俺のみならば、まだ良い。だが、お前たちは委員会に入ったばかりの文次郎の顔にも泥を塗ったのだ。」

 喜ばせるつもりが、傷付けていた。双子はお互いに顔を見合わせ、戸惑いがちな文次郎の顔色を見たとたんに、揃って顔色が悪くなる。漸く、双子は己たちの仕出かした事を理解したのだろう。

「っ、っ、ご、ごめんなさい・・・!」「僕たち・・・、いけない事しちゃった・・・!」

 ボロボロと涙を零す双子。彼らが目に見えて取り乱すのを、文次郎は始めて見た気がした。
 好意が好意にならぬ事を、始めて痛感したのかもしれない。

「・・・先輩。俺・・・、先輩がやった事は・・・よくない事だと思いました。・・・でも、先輩たちの気持ちは・・・、嬉しかったです。」
「「なっちゃん・・・。」」
「次の休みに、海を見に行きましょう!俺、案内しますから・・・!」

 文次郎がそう言うと、双子は少し落ち着いた様子で。涙で更に顔に付いた墨汁がドロドロになった状態のまま、久右衛門の傍に近寄って頭を下げた。

「「用具委員長。御免なさい。」」
「・・・・・・。・・・この絵はいつまでも放置しとく訳にはいかねぇ。もう落書きしねぇんだったら、修繕費だけで勘弁してやらぁ。」

 仁ノ助の怒り具合に、久右衛門は己の怒りを削がれてしまったらしい。出した結論は、最初の勢いを失っていた。それは彼の「は組」としての欠点であり、美徳でもある。

「相変わらず、小さいオコサマにはお優しいですね。三枝先輩。」
「うっせぇ。てめぇは小さい頃から可愛げのねぇ奴だったな。・・・何でてめぇみたいな奴を、前委員長は気に入ってたんだか。」
「それは、私が一番知りたい事ですね。知りたくもありませんが。」
「け。矛盾だらけの奴・・・。」

 悪態を吐くものの、久右衛門は一喝の元に双子を粛清した仁ノ助への評価を、少しばかり改めていた。躾はちゃんとしているらしい。嘗ては、教師の言う事さえまともに聞く事もしなかったという双子だったのだから。


 程なくして。会計委員会は休みの日に揃って出かける事になる。文次郎のいったように、海を見に行く為に。
 両手でお負い隠せぬ程の青い色と水平線、漂う潮の香りと眩く光。これが、双子にとって始めての本当の海となった瞬間だった。

「・・・でも、海の話をしたのって・・・先輩たちがいなくなるよりもっと前ですよね?どうして今になって・・・」
「えっとね。二六日に間に合わせたかったの。」
「どうしてですか?」
「だって、文月の二六日だよ?なっちゃんの日だもん!」

 文の、二六じろう。と、いう事らしい。恐らくは、委員会で日付を記入している時にでも思い付いたのだろう。
 ・・・少し、文次郎は照れくさくなってしまった。


<↑のオマケ・小田と三枝>

 後日。壁を修復した用具委員会には、会計委員会からの特別予算が宛てがわれたのだが・・・。

「・・・おい。身内の不祥事だからって、やたらと羽振り良くねぇか。」
「いえ実は、本物の海を見た双子が感動を覚えたらしくてですね。その感動を描き留めようとして、今度はオリジナルの墨汁画を描いたんですよ。紙に。」
「それで?」
「その絵が好事家に高い値段で売れましてね。臨時収入があった訳です。」

 そこから用具委員会への臨時予算を捻出させて頂きました。と、用具委員会の予算担当の徳ヱ門は告げる。売却する際に林蔵の話術が多少なりとも必要になったが、これで双子は「自己責任」という形で物事を収束させた事に違いはない。

「・・・あの双子共。忍者よか芸術家の方が向いてんじゃねぇか。」
「さて、どうでしょうね。」

 曖昧に答えつつも、徳ヱ門は分かっていた。あの双子には向き不向きは実際に存在しないのだと。
 彼らに足りないのはやる気のベクトルのみで、それさえあればどんな事でも完璧に仕上げるだろう。彼らは二人であるならば、何でも出来てしまう「ひねくれた天才」なのだから。

 好事家に売れたという絵は、確かに文次郎にも仁ノ助にも褒められたのだが。それ以降、双子が己の意志で墨汁画を描く事は、卒業するその瞬間までなかったという・・・。


<↑のオマケA・善法寺と潮江>※年齢操作(六年→三年)

「ねぇ文次郎。最近留三郎がさ、墨汁と泥団子に凄い拒絶反応を示してるんだけど・・・。何か知ってる?」
「・・・いや、何も。」

 やっぱりトラウマになってしまったか・・・。と、文次郎は心の中で始めて、何かと気が合わない筈の留三郎に対して合掌していた。
 何も知らない留三郎と同じ組の善法寺伊作は、只々首を傾げるのみである。

prev next
 gift main mix sub CP TOP
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -