再び文次郎が目を覚ますと、今度は伊作以外の同輩がどわっと保健室に突入して来た。
 曰く、自分は随分と眠り続けていたらしい。徹夜続き+不眠症+疲労という、絶対安静の方程式が出てきそうな程に体が疲れていたのだから、無理もないなと文次郎は自分を納得させる。寝続けた為に体が随分と鈍ったような気がしたが、鍛錬しに行こうものならば、それこそ伊作に殺されてしまうだろう。怪我と言える怪我は顔と頭の打撲くらいだったので、ここ暫くは柔軟体操だけはしておこうと思う。

 保健室を訪れた同輩たちに文次郎が寝巻き姿のままに頭を下げて謝罪すると、彼らは一様に呆然としていた。文次郎としては、これまでの態度の詫びをしたつもりだったのだが、彼らはそんな事よりも、自分の態度が戻った事の方が嬉しかったらしい。直ぐにバレーだの鍛錬だのをしようと言い寄ってきた(主に小平太が。直後に伊作に怒鳴られていた)。

「何だ、やはり寝て起きれば問題はなかったのだな。ならばさっさと眠らせてやったものを。」
「悪い悪い。後でちゃんと部屋、片付けてやるから。」

 そそくさと得意武器の焙烙火矢を取り出して見せる仙蔵に、文次郎は苦笑する。ここ最近は会計室に付きっきりで、長屋にいた記憶が殆どない。今頃、五年い組の長屋は火薬の調合器具でゴチャゴチャとしている事だろう。


 あの日の事は、よく覚えていなかった。話を聞く限りでは、自分はあの町に潜んでいた「ならず者」に捕まり、鬱憤を晴らす為に暴行されていたらしい。普段の自分ならば、ならず者に梃子摺る事はなかったかもしれないが、生憎とあの時は最悪の体調だったのだ。反撃しつつも逆転にはならず、木の棒で殴り殺されそうになった所を、以前から学園に滞在していた卒業生が救出してくれたらしい。
 どうやら、彼は文次郎を痛め付けていた「ならず者」を追ってここまでやって来ていたらしいのだ。

「今頃、学園長先生とその事で話話している最中だ。後でお礼でも言いに行け。」
「そうだな。・・・三木ヱ門たちにも、謝っとかねぇと。団子も食い損ねた。」
「ふん。団子そっちのけで人混みに消えた癖に、よく言う。何を見たというのだ。」
「・・・何でもねぇよ。只の陽炎、思い込みだったんだからな。」

 そうだ。あれは思い込みの夢。彼がこんな場所にいる筈がない。彼の背中を追い掛ける余り、彼の想いを悟る事の出来なかった・・・――自分の哀れな幻だ。




 一礼して、卒業生は学園長の庵を後にする。これで今回の仕事は終了した。自分の勤める城の情報を持って逃げたらしい「ならず者」は上司たちにその身柄を預けた。体裁を気にする上司だったので、自分はこうして学園に留まって片付けをする事が出来たのだ。

「・・・お帰りですか?」

 騒がしくも懐かしいこの学園ともお別れか、と考えていた時だ。不意に呼び止められる。振り向くと、そこには制服姿の文次郎がいた。

「あぁ。私の仕事は終わったからね。」
「助けて頂いたようで、有難う御座いました。」
「・・・ぃや、礼を言うのは・・・・・・謝るべきは私の方だ。」
「え、」
「君を囮にした。」

 ならず者が、文次郎を狙う事を、彼は何となく悟っていたらしい。それが分かっていて学園に告げる事もなく、外出した文次郎を離れた場所から監視していたというのだ。

「流石に、君が走り出した時は何事かと思ったがね。」
「そうですか・・・。じゃあ、間違いないんですね。あの「ならず者」は・・・」
「――君は、『地獄の会計委員会』の最初の予算会議を知っているようだね。」
「聞き及んでいます。仁先輩はこうも仰っていました。会計委員会が孤立している中で、主犯の者を止めに入った者がいたと。」

『寄せ・・・!このままでは死んでしまうぞ・・・!』
『何言ってる!こいつは殺した方が学園の為なんだよ!』

「・・・止める事は出来なかったよ。何もしていなかったのと同じだ。」
「・・・・・・。」
「分かっていた筈なんだがな。奴が狂っていたのは・・・。でも、誰も暴走を止められなかった。私も、可愛い後輩に裏切られた手前でね。」

 仁ノ助が三年生の後半から委員会を変えても、自分と彼は事あるごとに学園生活を共にしていた。彼の性格もあってか、彼と隣り合う学年では滅多な事で喧嘩は怒らなかったのだ。
 けれど、気付けば仁ノ助は激しい怒りに囚われるようになり、気が付いた時には『地獄の会計委員会』が設立し、彼は全ての委員会と対立する道を選んでいた。――そう。火薬委員会とも。

「気が付いた時には、大抵後の祭りだった。助ける事も、止める事すら出来なかった。半端者だよ、私は。」
「・・・俺は、仁先輩が六年生の頃の会計委員会しか知りません。あの人は誤解されがちでしたけど、学園の生徒はそれだけではないと分かっていた筈です。」

 例えば、彼の同輩だった生物委員長。委員会を束ねる者として会計委員会との対立はあっても、彼自身は仁ノ助を恨むような事はしていなかった。寧ろ・・・。

「貴方が今の学園を見て、会計委員会が無駄でないと理解して頂けるのなら・・・仁先輩のした事は無駄ではなかったという事なのではないでしょうか。」
「・・・・・・。良い後輩を持ったようだね、浜の奴は・・・。」

 学園長の「全く変わっていない訳でもない」という言葉が脳裏を過ぎる。確かに、あの頃とは根本的な何かが変わりつつあるようだった。

「・・・学園に来れて・・・今の学園を見れて良かった。」

 その言葉だけで、文次郎は悟ったらしい。礼儀正しく一礼する彼に手を振って、卒業生は今度こそ学園を後にした。
 学園を離れて程なくした所で、不意に肩がくつくつと震え出す。

「(それにしても、仁先輩・・・ねぇ。彼が渾名呼びをさせるなんて・・・!一番変わったのって、もしかて浜だったのかな・・・?)」

 文次郎には、もう一つ言っていない事がある。
 彼を助けたのは自分だと聞かされていたようだが、あれは誤りなのだ。文次郎を助けた人物は、他にいいる。




 一旦見失った文次郎を発見した時、そこには彼とならず者と、もう一人。・・・浜 仁ノ助の姿があった。
 驚きのままに声をかけると、仁ノ助も予期せぬ再会に驚きつつも丁寧に頭を下げてくる。彼の礼儀正しさは、その精神力の強さと一緒に筋金入りだった。

 仁ノ助から話を聞けば、彼は学園の用事を手早く済ませ、勤め先の城へと戻る道中だったらしい。だが、不意に己の名を呼ぶ声がして道を変えると、惨劇の寸前とも言える光景に遭遇したのだという。

「・・・もしかして、先に学園に来ていた卒業生というのは貴方の事でしたか。」
「あぁ。そこに倒れている「ならず者」を探していた。」
「そうですか、では。彼の方もお願い出来ますか。」

 仁ノ助が彼、と示すのは気絶したように眠る文次郎だった。微かに残る手首の縄の痕。拘束は解かれている。

「・・・忍術学園の生徒です。ご存知かもしれませんが。」
「知ってる。会計委員の潮江 文次郎だろう。・・・何も話さずに行ってしまうのかい?君の後輩だろう。」
「仕事が残っていますので。私は彼と昔話をする為に来たのではありません。」
 
 それに、と仁ノ助は続ける。

「今 会っても、これは私への憧憬をより強めるだけです。それは時に、道をも歪めてしまう。」
「・・・そーいえば、君に異常に憧れてる後輩がいたね。今頃、お前と会えなくて狂い死んでるんじゃないのか。」
「本当に、死んでしまいそうな顔でしたよ。」
「え、って、お前!小田と会ったのかい?!」

 仁ノ助は「えぇ」と短く頷いた。頑なに「忍者」であろうとする彼が、己を盲信しているからと言って他人に勤め先を教える筈がない。執念で見つけられたとしたら凄まじい事だ。倣おうとは、全く思えないが。

「・・・まぁ、小田と会ったのはこの際いいとして。・・・・・・君と潮江君って、血縁か何か?」
「いえ、違いますけど。」
「そうなの?最初に会った時、あまりにも似過ぎて吃驚したんだけどな・・・。」

 背丈や顔の細かな差異を除けば、二人は瓜二つと言えなくもなかった。顔の造形よりも、その纏う雰囲気が似ているのだ。




 そんな他愛もない会話も程々に、結局 仁ノ助はそのまま去ってしまった。
 最初に文次郎と会った時。嘗ての仁ノ助のように誰にでも敵意を飛ばす生徒だと思っていたのだが、先刻丁寧に挨拶をしに来た様子は、仁ノ助とは「違う」と感じさせられる。嘗て狂信者と呼ばれた小田 徳ヱ門のように盲信する訳でもなく、彼は彼なりの道を進む事が出来ているように見えた。

「(そういえば、もう直ぐ予算会議だったんだっけ・・・。見て来れば良かったかな・・・。)」

 忍術学園からの帰路。
 やっぱり、大事なことを思い付いた時には後の祭りになってしまうのだ。と、彼はこれ以上は考えない事にした。

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