嘗て、一人の生徒が立ち上げた『地獄の会計委員会』。設立初年は、全ての委員会予算が全額却下されるという前代未聞の事件が起きた。当時の会計委員長(代理)・仁ノ助は頑固一徹そのもので、先輩・同輩・後輩・果ては教師の言葉すら聞き入れる事はなかったのだという。
 予算案が全て「無し」となったのだから、予算会議はあってないようなものだったらしい。

 そして、形だけの予算会議が終了した直後。事件は起きた。
 予算会議が終了して間もなく。会計委員会が襲撃されたのである。他でもない、忍術学園の生徒の手によって。
 突発的な行動だったと後に教師は分析する。何せ、当時の会計委員会の生徒全員が集まった上での急襲だったのだから。効率を考えれば、分断させた上で狙った方が良かった。そうしなかったのは、会計委員会が揃っていた時に鬱憤が爆発した為である。

 生徒同士の殺し合いは御法度だ。少なくとも、意図的に生徒を殺めたとなれば、殺めた生徒の処分は免れない。当時五年生だった仁ノ助は会計委員を守る事に専念し、決して反撃しようとはしなかった。主犯は最上級生たる六年生。一方的に仁ノ助を甚振る快楽からか、それは日頃の鬱憤を晴らすかのように仁ノ助を痛めつけ続けた。
 他の会計委員たちは、他の六年生に押さえつけられて身動きが取れない中。一方的に攻撃される仁ノ助を涙ながらに見ていたらしい。

 そして、主犯の六年生はボロ雑巾のようになった仁ノ助に吐き捨てた。

「次はそこの後輩共だ・・・!お前がこんな事をするからいけねぇんだ・・・!二度とこんな事をしねぇように、徹底的に痛めつけてやる・・・!」

 彼の言葉に衝撃を受けたのは、仁ノ助ではなく他の六年生たちだ。会計委員会の鬱憤から最初は彼に協力していた彼らも次第に正気に戻り、やがてとある生徒の告白からこの襲撃が教師の耳に届いた。
 息も絶え絶えになっていた仁ノ助は、痛みで気絶するその寸前。主犯の六年生に言い返した。

「俺を嫌悪するというのなら、それでもいい。・・・だが、学園(ここ)で学んだ技術で生徒を殺すというのならば・・・俺は貴様を人とも忍者としても見ない・・・!」

 この事件の怪我人は、浜 仁ノ助只一人。それも、致命傷にも成りかねない程の重症だった。教師陣は、主犯の六年生の処分を決定。
 当然、この事件は当事者たちに言い触らさないよう口止めが指示される。生徒が生徒を殺しかけたなど、知られたとしても大問題にしか成り得ないからである。




 但し、その事件より一年後。会計委員会に入った潮江 文次郎にだけは、仁ノ助の口からこの出来事が告げられた。

「お前を会計委員会に導いたのは俺だが、今の話を聞いて抵抗の意志も出たと思う。止めたいと思うならば、いつでも言うがいい。」

 下手をすれば、お前は同輩と殺し合う事になるやもしれん。――確実な脅し文句。文次郎がその言葉に恐怖を抱いたのは本当だ。
 殺し合う。仙蔵と、小平太と、長次と、伊作と、留三郎と。勝ち負けを考えるよりも先に、対立するという可能性に恐怖した。

 仁ノ助が文次郎にこの事を告げたのは、彼が最後に手掛けた予算会議が始まる直前の事である。一度は怯えた文次郎であったが、仁ノ助の予算会議を目の当たりにして、彼は幼心に決意したのだ。『地獄の会計委員会』を、自分が継ぐのだと。
 自分は忍者を目指す者。“この程度”の事を覚悟できなくてどうするのかと、文次郎は己を奮い立たせていた。




 ――どうして、こんな事を思い出したのだろうか。と、文次郎は動かない頭でぼんやりと思う。
 体が動かない。とうとう自分は壊れてしまったのだろうか、とさえ思ってしまう。けれど、固定された手足は動かないというよりも「縛られている」という感覚に近い。何故、という考えには至らない。思考が働かないのだ。

「本当に、苛々する・・・!何から何まで彼奴そっくりだ・・・!この長い髪以外はな・・・!」

 髷を鷲掴みにされ、ぐい、と持ち上げられる。痛い。やめてくれ。それは、それだけは・・・!
 気持ちを言葉にするよりも早く、頬に衝撃が走る。殴られたのだ。ぐぅ、と呻き声が溢れると、髷を鷲掴みにしている人物はニタリと笑う。顔も朧気なのに、笑っている事は把握できた。更に殴られる。

「あの日ぃ!お前が!俺の攻撃を全部耐えやがったから、俺の全てが狂いやがったんだ!決まっていた勤め先は学園から却下され、戦場に放り出されて、今じゃこのザマだ!全部、全部テメェの所為だ!なぁ、浜ぁ!」
「ぐぁ、・・・ごっ、(・・・じん・・・、せ、んぱい・・・?)」
「おっと、違うな。お前は浜じゃねぇな。悪かった。だが、もっと悪いのはお前の運だ。たまたま同じような顔と雰囲気しやがって・・・!それでこの俺に鬱憤を晴らす相手になっちまってるんだからな!恨むんなら、浜を恨めよ!」

 何を言っているのか、分からない。正常な状態で聞いても、恐らくはそう判断するであろう。
 文次郎を一方的に殴る男は、狂っている。

「チッ。意外に反応しねぇのな、つまらねぇ奴。・・・なぁ、そーいや。ツレがいたよな?弟か何かか?お前が死んだら、アイツ等を殺すのもいいかもなぁ?お前の亡骸の前でよぉ!」
「っ?!」
「ってぇ!」

 アイツ等。が示す人物が何者なのか。悟った瞬間。文次郎の動かない筈の体が反射的に動いた。
 がり、と削れる音と共に口内に広がる鉄の味。よく知る鉄粉の味ではなく、血液の味だった。文次郎は咄嗟に、男の手に噛み付いてみせたのだ。男が呻き声を聞きたいから、と轡をしていなかった結果だった。

「てめぇ、よくも・・・!って、おい・・・!」
「・・・ハァ・・・、ハァ・・・!アイツ等に手を出すなら・・・、俺はお前を・・・許さない・・・!」

『俺は貴様を人とも忍者としても見ない・・・!』

「お前、その目は・・・!止めろっ!その目で、俺を見るなぁああ!!」

 男の中で文次郎と、とある人物の姿が重なる。パニックに落ちた男は手近にあった木の棒で、文次郎の頭を殴り付けていた。




 光の中。文次郎は佇んでいる。自分は私服でいた筈なのに、いつの間にか制服を纏っていて。目の前に佇む人物も学園の制服を纏っている。
 あぁ、これは明晰夢なのだ。と文次郎は直感した。だって、目の前の彼は、あの時の姿のままだ。

「・・・先輩・・・。」
「息災、には見えぬな。」
「申し訳ありません、俺・・・。」
「何故謝る。」
「・・・すみません。」
「お前は、謝ってばかりだな。」
「・・・・・・。」

 夢ならば、全て打ち出してもいいだろうか。そう思った時、既に文次郎は心に燻るそれを吐き出さずにはいられなかった。

「先輩たちのように成りたくて・・・、」
「・・・・・・。」
「予算を護ろうとして・・・。」
「・・・・・・。」
「何やってんでしょうね、俺・・・。一人で空回ってばかりで・・・」

 とうとう、涙が堪えきれなくなってしまう。いつの間にやら「泣き虫」は脱却したと思っていたのだが、これでは昔と変わらないではないか。・・・昨年卒業するとの時まで、自分を「なっちゃん」と呼ぶ双子の先輩が脳裏を過ぎった。
 そんな文次郎の気持ちを知ってか知らずか。文次郎の言葉を聞いていた目の前の人物が、静かに口を開く。

「・・・・・・文次郎。忍者は結果が全てだ。過程を重要視する忍者は少ない。」
「・・・はい。」
「お前が己に誇れると思う働きをしてみせろ。『地獄の会計委員会』の委員長としての、勤めを果たせ。」

 何て、都合の良い夢なのだろう。自分が臨む言葉を、あの人がこんなにも容易く自分にくれるだなんて・・・!
 歓喜の感情と共に文次郎が頷いた瞬間に、全ての輪郭がぼやけて消えた――。




「――――。」

 意識が、浮上する。まるで、深い水底から浮かび上がったかのような感覚だった。

「あ、潮江先輩!目覚められましたか!」
「善法寺先輩!潮江先輩が目覚められました!」

 文次郎の両目が開いたと気付いて、二年は組の三反田 数馬と一年い組の川西 左近がバタバタと作業を始める。彼らの声を聞いて慌ただしく駆け込んで来たのは、馴染み顔の伊作だった。

「文次郎!良かった、ちゃんと起きた!もう!不眠症ならそう言ってよ!僕、三木ヱ門たちから聞くまで知らなかったんだからね!」
「・・・・・・・・・。」

 寝起き早々に愚痴を言われた気がする。が、どうにもマトモに相手をする気になれない。

「顔やら頭やら殴られて、疲労と睡眠不足で昏倒しちゃったんだよ?今という今は大人しく治療されてね!このままじゃ流石に死んじゃうから・・・!って、文次郎?」
「・・・・・・眠い。」
「・・・ぁあ、体が取り戻そうとしてるんだよ(僕の薬を飲ませた事は黙っておこう)。水分補給したら寝ていいから。」
「分かった・・・。・・・有難う、伊作。」
「え――?」

 竹筒の水を飲んだ文次郎は、起こした体を再び布団に戻らせ、瞬く間に寝入ってしまった。一瞬の出来事だったが、伊作の脳裏には文次郎の言葉が反響している。
 「有難う」と、言ったのだ。これまで、ずっと「余計なお世話」だの何だのと、他人の好意を突っぱねていた文次郎が・・・!己に「有難う」と、告げたのだ・・・!

 これは、もしかして・・・・・・。

「文次郎・・・、戻った・・・?」

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