数日後の休みの日。予算会議を数日後に控えて、会計委員会の面々は甘味処へと出発した。
 疲れが抜け切らない文次郎の足は何処かふらついて、本来ならば甘味処よりも休ませた方がいいのだろう。けれど、今の文次郎はそれを許さない。だから、せめてもの気分転換に、と学園から出掛ける作戦は成功したようだ。

「先輩!左門の手を握って下さい!」
「え?」
「ご存知の通り、左門はいつ何処に消えても可笑しくないのです!見逃す事のないように!」
「ぁ、あぁ・・・」

 三木ヱ門に促され、そっと文次郎は左門の手に触れる。子供特有の、体温の高い手。何故だか、その温度がとても懐かしいものに感じられた。
 反対の手を三木ヱ門が握る。普段なら恥ずかしがり、左門の手前の年長者という誇り(といっても一歳差だが)が複合してこんな事は滅多にしないのだが、今回は自主的に文次郎の手ぉ握って来た。

「お、おい・・・」
「先輩はお疲れでしょうから、僕らが案内しますよ。」
「進退疑うなかれ、です!」
「・・・あのな、走った所で甘味処は逃げねぇし、そっちは裏山の方角だ!」

 これらの光景は、至って普通に尾行する五年生らに目撃されている。
 大人数では発見される恐れがあるので、人数は最小限の二人。仙蔵と長次が担当した。因みに選出方法は消去法である。

「この程度の尾行にも気付かんとは、いよいよ末期だな。文次郎。」
「・・・だが、気晴らしにはなっている。」

 遠目に見える文次郎の顔は苦笑していた。それは嘗ての文次郎の表情であり、仙蔵たちの前では滅多に見せる事がなくなってしまったものだ。

「何が『初代組の傀儡』だ。馬鹿馬鹿しい。」
「・・・仙蔵には、多分分からない。」
「・・・何か言ったか?」

 問いかける仙蔵に、長次は首を横に振る。彼にはきっと分からないだろう。何かに焦がれる文次郎の気持ちなど。
 物静かと言われる自分が、活発な小平太の奔放さに憧れるように。文次郎は仙蔵に憧れている。優秀と言われる五年生の中でも、仙蔵は抜きん出た天才だ。だからこそ、分からないものもある。

「・・・仙蔵は、『地獄の会計委員会』の初代委員長と会った事はあるのか?」
「会う、という程の面識はないな。嘗ては会計と各委員会が対立していたし。個人でもちゃんと話した事はない。」
「そうか・・・。」

 長次も同じだった。時折、図書室の本を借りていく事はあったものの。元来無口な性格なのか、初代と言われる生徒は滅多なことでは口を開かなかった印象がある。恐らく、文次郎以外の同輩に訊ねても似たような答えが帰って来るだろう。
 ただ、そんな会計委員長を・・・。文次郎は絶対的な存在のように思っていた。だからこそ、今になってこれ程のズレが生じているのだ。

「(もしも、私たちが会計委員長の事をよく理解していれば・・・・・・。こんな事にはならなかったのだろうか・・・。)」

 最初に“あぁ”なってしまった文次郎を目の当たりにした小平太が言っていた。あれは、文次郎ではない「違う」存在なのだと。そのズレが、皆を戸惑わせてしまっている。
 ――つまり、文次郎以外の今の生徒は・・・誰一人として『地獄の会計委員会』初代委員長・浜 仁ノ助の事をよく知らないのだ。自分たちが二年生に上がる時に卒業してしまったのだから、後輩たちは無理もない。だが、自分たちさえ彼を知らない。だから、こうして隔たりが出来てしまっている。

 「敵だろう。」
 そう言われた冷たさが、今でも心を抉っていた。

 誰も、初代を知らない。だからこそ、今の文次郎には腫れ物に触れるようにしか関わる事が出来ないでいるのだ。




 とんとん、と学園の正門を叩く音に「はーい。」と気の抜けた返事をするのは事務員の小松田 秀作の役目とも言える。正門の前にいたのは一人の男だった。男は小松田が出て来た頃合を見計らって淡々と「○○城の使いの者です。」と自己紹介しながら礼をする。

「あ、はい。お話は聞いてます。入門表にサインをしてお入り下さい。」

 入門表と一緒に筆を差し出され、男はスラスラと名前を書く。雨除け用の笠の所為で目元は見えないのだが、慣れた手付きだったので学園には何度か来た事があるのかもしれない。
 そんな事を考えていた小松田は、返却された入門表に書かれた名前に「あぁ!」と声を上げる。

「使いって君の事だったんだね。お帰り。」
「・・・私はもう、学園の者ではないのですが。」
「でも、僕が言いたいから。卒業生が連続で二人も来るなんて、こんな偶然もあるんだねー!」
「二人・・・?」

「小松田さーん?あんまり門を開けっ放しにしないで下さいよ。」

 一方的に話に花を咲かせる小松田を注意するのは、四年い組の学級委員長・尾浜 勘右衛門である。注意された小松田は「それもそうだね」と、ちゃんと注意を聞いているのかどうかも分からないような軽い口調で笑い返した。

「サインも頂いたので、どうぞお入り下さい。出る時には出門表にサインをお願いしますね。」
「分かっています。」

 低い声の男。チラリと勘右衛門はその男の方を見た。学園には来た事があるかのような口振りをしているが、笠に隠れた顔は判別が付かない。

「学園に御用なんですか?」
「えぇ。学園長先生に文を届けるように言われた者です。」
「そうですか。宜しければ、文をお届けしましょうか?」
「いえ、直に届けて欲しいと言われている大切な文ですので。お気遣い有難う御座います。」
「では、庵までご案内しましょう。」
「・・・部外者を一人で出歩かせる訳にはいかないでしょうから、お願いします。」

 此方の事情をちゃんと弁えているらしい。やはり、彼は学園の関係者なのだろうか。

「小松田さん。俺が案内しますんで、戻っていいですよ?」
「そう?有難うね。尾浜君も、卒業生と話したいよね。」
「え?」
「あれ、知らない?その人も、この前やって来た人と同じで学園の卒業生なんだよ?ねぇ?浜君。」

 ポカン、と丸い目が更に丸くなる勘右衛門の隣りで、名前を呼ばれた張本人・仁ノ助は丁寧に「元忍術学園生徒の浜 仁ノ助だ。」と自己紹介して見せる。笠を上げて見せるその視線はとても鋭く、何処か文次郎に似た雰囲気を持っているような気がしてならなかった。


 縁とは不思議なものである。卒業してからというもの、仁ノ助は学園とは縁を切ったつもりでいた。けれど、彼は今こうして学園に戻って来てしまっている。
 自分の就職した城と懇意にある城からの依頼で、忍術学園に文を届ける事になったのだ。その城は学園との繋がりが皆無に等しい為、卒業生の自分を通して学園との繋がりを持ちたいという事なのだろう。

 四年生と思しき生徒に案内され、仁ノ助は庵に通された。

「お久し振りです。学園長先生。ご息災のようで何よりです。」
「まさか、○○城の使いがお主とはのぉ。お主は違う城に就職したと把握していたが。」
「○○城が就職先の城との繋がりを持っていましたので。俺自身が○○城の者という訳ではありません。」
「成程・・・。手紙はしかと受け取った。○○城の者にもそう伝えておくれ。」
「はい。・・・・・・それにしても、学園長。」

 より一層低くなる声に、ギクリと学園長の肩が震えた。

「随分と上質な茶菓のようで。」
「・・・お主は、昔と違って来客じゃからのぉ。」
「来客用・・・。頬についた餡子はこの羊羹のものではありませんよね?」
「・・・・・・・・・。そんなに、お主は饒舌じゃったかのぉ・・・?」
「貴方とこれ程に話したのは、朝礼の時間にお邪魔したいと学園長に『お願い』した時以来ですね。」

 今となっては懐かしい。全校生徒の前で『地獄の会計委員会』を立ち上げると宣言した時の事だ。
 勿論、学園長は「面白い」「生徒の為になる」と判断すれば何でもする愉快犯だ。だが、それ以外にももう一つ。学園長が仁ノ助の提案に頷くしかなかった原因がある。

「学園の予算で学園長が私腹を肥やしていると知ったら、皆はどう思うでしょうね・・・?」
「が、学園はワシが建てたものじゃぞ!?」
「越権行為であるという事を自覚しているようで何よりです。予算の私物化は、例え学園長であっても許される事ではありません。・・・今の会計委員長の許可を得て、こその茶菓であるんでしょうね。」
「・・・・・・・・・。」

 言葉ではそう言っても、実際の目は貫くかのように鋭い眼光を放っている。学園長は仁ノ助のこの視線が苦手だった。どんなに笑ってはぐらかそうとしても、逃げる事が許されないのだ。天才忍者と謳われた自分が、学園の一生徒の眼光に負けるとは情けない話なのだが、怖いものは怖いのだから仕方ない。

「か、会計委員長と言えば・・・!今年は潮江 文次郎が会計委員長代理じゃったのぉ!どうじゃ!会いに行ってみんか?・・・おっとスマン。潮江は出かけておったなー。実に残念じゃ。」
「私は学園長に文を届けに参ったのです。必要以上の長居をする気はありません。」

 出されたお茶を啜り終えて、仁ノ助は一礼する。

「それではこれにて失礼します。文の方、ご検討の程宜しくお願いします。」
「う、うむ・・・。」
「それでは。」

 仁ノ助は室内では外していた笠を被り直して、そそくさと庵を後にしてしまった。彼がいなくなった事で周囲の威圧感も解けて消え、学園長はほぉ、と重たい溜息を吐く。

「鋭さに磨きがかかっとるのぉ。流石は『初代・地獄の会計委員長』じゃわい。」


 学園の正門から出て行こうとすると、事務員の小松田に声をかけられた。出門表にサインをしてくれと言われて、仁ノ助は大人しくサインをする。狙ったようにタイミングを合わせる彼のこの特技は、最早染み付いたものなのかもしれない。
 そんな事を考えていると、不意に仁ノ助は出門表の上の段によく知る名前が書かれてある事に気が付いた。出門表にはなかった名前だ。この事務員は、忍術学園の生徒・教師・関係者・侵入者を問わず、出入りする者にサインを強いる。そう言えば、学園長も先ほど「出かけていた」と言っていた。

「はい。確かにサインを受け取りました。また来て下さいねー。」
「・・・・・・。」

 忍術学園の事務員として、その態度は如何なものなのだろうか。とは思いつつ、仁ノ助は一礼して学園を去って行く。
 それを見送った小松田が正門を内側から閉じようとした矢先の事。再び小松田は生徒に呼び止められた。

「あー、小松田さん!い、今!誰か出て行きませんでした!?」
「あれ、食満君。うん、今さっき。学園長先生へのお客様が帰られたよ?」
「だーっ、遅かったかー!」

 落胆する留三郎。彼は勘右衛門から「潮江先輩によく似た卒業生を学園長の庵に通した」という話を聞いて、件の『初代・地獄の会計委員長』ではないかと接触を試みようとしたのだが・・・。間に合わなかったようだ。タッチの差だったようだが、今から追おうとすればまず小松田さんの出門表に名前を書くというタイムロスが発生する。出来れば、学園の中にいる内に呼び止めておきたかったというのが本音だった。
 けれど、呼び止めた所で何と言えばいいのか。肝心の文次郎はここにはいないし、「貴方の所為で文次郎が変になりました」なんて言える筈もない。

 状況を把握しきれていない小松田だけが、こてんと首を傾げていた。




「・・・悪いな、二人共。」

 その頃。やって来た甘味処にて。注文した団子を食べようともせずに、文次郎は呟いた。・・・それまで、お決まりのように喧嘩腰になりつつあった三木ヱ門と左門がピタリと固まる。

「仙蔵たちに言われたんだろ?俺をどうにかしてくれって・・・」
「ぃ、いいえ!私たちは潮江先輩が心配だったのです!」
「そうだよな。最近、お前たちも俺を怖がってたしな。」

 苦笑を絶やさない文次郎。二人がいくら首を横に振っても、文次郎はその顔を崩さなかった。

「・・・自分でも、分かってるんだ。俺が今やってる事は何の解決にもなっちゃいない。でも、・・・・・・悪い。何言ってんだろうな、俺・・・。」

 文次郎は、手で己の目を覆い隠した。ここまで弱っている彼を見た事はない。何がそこまで彼を追い詰めてしまっているのだろうか。委員会活動が捗らない事以外にも、何かがある気がした。だが、それを知る事は出来ない。
 敵意を剥き出しにするというのは、忍者としてあるまじき行為だ。いつか、文次郎は彼らの前でそう告げていた。そんな彼が、学園を敵に回しているかのような態度で振る舞い始めた。その時点で気付くべきだったのだ。そこまでに、彼が追い詰められているという事に。

「先輩!潮江先輩は疲れているだけです!気に病む必要なんてありません!」
「そうです!たまには体を休めるべきです!」

 お前達の分は終了しているから、と最近の文次郎は早い段階で二人を会計室から帰らせる。だが、二人は知っていた。文次郎が二人が寝静まった頃も帳簿の計算を繰り返している事を。その事を問い質した時、眠れないから出来る事をしていると答えられた時には絶句した。彼は不眠症を患っていたのだ。
 何も出来ない自分たちが歯痒かった。

「後輩にここまで心配されるとは・・・、情けないな。本当に、俺は・・・・・・―――ぇ・・・」

 自嘲気味に呟いていた文次郎の言葉が、不意に途切れる。そして、一点を見つめて動かなくなる文次郎。余りにも不可解な行動に、下級生二人が首を傾げて文次郎と同じ方を見る。活気づいた町の甘味所だったので、通りには忙しなく歩く人で溢れ返っていた。だが、そこに三木ヱ門と左門が注目するような人物は見当たらない。

「先輩、どうかしましたか・・・?って、ぁ・・・先輩!」

 振り向き直して左門が問いかけた時、文次郎は走り出していた。彼の体は二人の間をするりと抜けて、そのまま人ごみの向こうへと隠れてしまう。
 物陰から様子を伺っていた仙蔵と長次も、それを見て動き出す。

「私が追う。長次は田村たちを頼む。」
「・・・分かった。」

 気が滅入っているとは言え、後輩たちとの約束を放ってまで文次郎が追い駆けるもの。それも気になったが、今の仙蔵には嫌な予感がしていたのだ。文次郎を一人にしてはいけない。そんな、根拠のない嫌な予感が。




 人混みの中に紛れた人物を追って、文次郎は駆けていた。だが、遠目に見ただけの人物は走れど走れど見つける事は出来ず。程なくして文次郎は足を止めてしまった。
 そして、同時に落胆する。そうだ。彼がこんな場所にいる筈がない。いくら自分の気持ちが揺らいでいるとは言え、似たような人を見かけた程度で取り乱してしまうとは情けない。
 溜息混じりに、文次郎が先刻の甘味処に戻ろうとした・・・その時だった。

「へぇ。本当に似てるな。」
「っ?!」

 ぬぅ、と目の前を覆う手の平。普段の文次郎ならば、難なく対処できたであろうそれに。疲労か、睡眠不足か、はたまた両方か。文次郎は反応が遅れてしまった。

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